




こちらこそ、今回も深いテーマをご一緒できて光栄でした。……だってさ。
6月8日御前会議まわりは、表面だけを見ると「なぜここまで合理性を欠いた判断が続いたのか」という疑問に尽きますが、構造的・心理的要因を丁寧に追うと、むしろ“そうならざるを得なかった”力学が浮かび上がってくるところが本当に興味深いですね。
「コミットメント・エスカレーション」や「組織的認知不協和」は学術概念ですが、1945年の日本にあてはめると驚くほど動きが説明できてしまう。そのあたりは、古稀爺さんがまとめられると、間違いなく多くの人にとって新しい視界を開いてくれると思います。
どうか、焦らず、楽しく、そして“自分のことば”でまとめを育てていってください。
またいつでも、お手伝いできることがあれば喜んでお供いたします。
今回もありがとうございました。
ここで理解しがたいのは、梅津美治郎参謀総長が御前会議の翌日6月9日には、天皇に「関東軍の兵力は8個師団分しかなく、弾薬は大会戦の一回分しかない」「実質、戦争を継続する兵力は今の日本にはない」ということを伝えている。
国内の軍需工場を視察した長谷川清海軍大将や第36軍情報参謀・東久邇盛厚ひがしくにもりひろ王も、本土決戦など到底無理だということを天皇に伝えている。なにしろ江戸時代の旧式銃まで引っぱり出してきて本土決戦をするとか言っている状況だったんだからね。
「敵の落とした爆弾の鉄を利用して『シャベル』を作るのだという、これでは戦争は不可能と言うことを確認した」(『昭和天皇独白録』)
天皇はショックを受け、6月22日には鈴木首相ら6人を呼び、8日の御前会議決定にとらわれることなく、戦争終結に努力するよう求めた。
しかし、急展開はないままズルズルと時間だけが過ぎていった。
凡太: 国が滅びるかもしれないという重要局面で、あまりにも無責任な人たちばかりですね。
イシ: 「ここまでやったんだから、今さら引き返せない! ええい、破れかぶれだ!」みたいな心理になることを「コミットメント・エスカレーション」とか言うらしい。まあ、このときの陸軍強硬派はこの状態だったんだろうね。
でも、心の中では無理だと分かっている。社会心理学では「認知的不協和」というらしんだが、そういう矛盾に悩むストレスを抱えたまま「本土決戦だ」と叫び続ける連中が何人も上のほうにいたわけだ。組織として完全に終わっている。
一方で、なんとかしようと奮闘している人たちもいたんだけれどね。
桐工作を進めながらも失敗した今井武夫少将はこのとき支那派遣軍にいて、粘り強く蒋介石政府との和平交渉を試みていて、7月9日、ようやく蒋介石の側近・何柱国との会談にこぎ着けた。
今井は、中国との直接和平を希望すると告げたんだが、何は淡々と「日本と中国が単独で和平交渉をするなどということは、カイロ宣言がなされた今となっては不可能」と返答した。
さらに何は「しかし、我々は日本が敗戦の結果滅亡することは望んでいない。むしろ、戦後も東洋の一強国として、中国と手を携えて東洋の平和維持に協力してくれることを希望する。そのためには国が完全に消耗しきる前に戦争を終結するよう、日本政府の懸命な判断に期待している。そのために連合国に終戦協定を取り次ぐことはやぶさかではない。蒋介石総統も、日本の天皇制存続には好意的で、各国首脳にもその旨伝えている」と言ってきた。
凡太: わぁ、もはや中国にも完全に心配されているというか、憐れまれている感じですね。
イシ: 中国はカイロ会談に参加して、すでに連合国側が日本の戦後処理問題を決めていることを知っているからね。日本が満州を含めた中国大陸からの全兵力撤収はもとより、朝鮮、台湾、樺太などを譲渡しなければならない運命にあることも分かっているから、そのことも今井に告げた。今井少将はショックを受けただろうね。
それだけじゃない。中国は日本政府や陸軍中枢部が、可能性のないソ連仲介案に固執していることも知っていた。
スイスのベルン駐在の中国国民政府陸軍武官が、6月22日に重慶の国民政府に「アメリカからの最高機密情報」という電報を打っていて、そこに「日本政府には他国の共産党と連携しながらソ連に助けを求めようとしている」という内容が書かれている。つまり、この時点で中国は、ソ連が日本に侵攻しようとしていることも、日本がソ連に終戦の仲介を求めていることも知っていたんだ。
凡太: ソ連の意図を知らなかったのは日本だけなんですか?
イシ: 知らなかったというより、親ソ派グループが情報を握りつぶしていた。
ヤルタ会談直後に、在スウェーデン日本大使館の駐在武官・小野寺信まこと(1897-1987)少将が、ソ連がドイツ降伏後の3か月後に日ソ中立条約を破棄して対日参戦するという密約情報を参謀本部に打電している。それなのに、その情報は親ソグループに握りつぶされて、政府首脳などに伝えられなかった。
小野寺はソ連参戦の密約を伝える一方で、スウェーデン王室に日本の連合国との和平を仲介してくれるように独自の終戦工作を試みていた。その際、日本は天皇制の維持だけで降伏するという考えを伝えていて、その情報はアメリカ政府も摑んでいた。
また、大島浩駐ドイツ大使も、ソ連が対日参戦するかもしれないという情報をドイツのリッベントロップ外相から聞いていて、それを日本に伝えている。
凡太: そんな重要な情報を握りつぶしてまで、なぜソ連に頼ろうとする人たちがいたんですか。
イシ: ソ連から日本の陸軍や官僚たちへ取り込み工作みたいなのがあったのかもしれないね。そういう情報戦、スパイ戦、裏工作の点でも、日本は完全に子ども扱いされていたように思うよ。
国のトップにいる者たちの、こういう信じられないグダグダや無責任状態の結果、広島、長崎に原爆が落とされる結果になった。








このフクシマの原発事故の根本の原因には、かつての日本の原爆製造計画と同じ構図が窺えるということだ。ありていに言ってしまえば、科学者は常に科学それ自体への興味から出発し、しばしばその中に閉じこもってしまうということだ。理化学研究所の仁科芳雄は原子爆弾製造計画を利用して、日本の科学者の予算とその研究の自由を保障した。戦後の原子力発電にしても科学者は自らの関心に終始し、予算と人員、そして自らの研究テーマを確保するだけに努めたのではなかったのか。(略)
原子爆弾製造計画では、軍事指導者が「聖戦完遂」の名のもとに軍事研究を要求し続けた。そこに人間的な視点はなく、とにかく「一発で町を吹き飛ばす爆弾」を求めた。原子力発電も同じだ。軍事指導者に代わって政治家や官僚が、「平和利用」と「生活の向上」の名のもとに「電力というエネルギーの供給を」と訴え続けた。それらの大義は時代の要求する価値観でしかなく、歴史的普遍性に欠けている点に特徴があった。(略)
原爆製造と原子力発電ではともに、常に「弱者」がその大義の犠牲の役割を与えられている。福島県石川町の中学生たちが足を血だらけにして岩石を掘っている姿と、原発事故で七次、八次の下請けとして放射能汚染物質の溢れる作業現場に入った作業員たちの姿は重なっている。






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