2024/01/05
梅雛
助手さんが今年初めて「梅雛」というのを作って、本日ようやく本体のほうは完成し、9日からの展示会(日本橋髙島屋6F美術工芸サロン)に出すために写真撮影と梱包にとりかかっている。
梅雛はお袋が昔始めたのだが、見た目の割に手間がかかりすぎて大変らしい。
助手さんは台の「梅の花」を作るだけで何か月もかかっていた。
ちなみにお袋が作った梅雛は↓これ。
梅の花びらが皿というよりは器のようになっていて、相当手が込んでいる。改めてお袋のオタクぶりに驚く。
で、その梅雛に付属させる「雛守犬」が、これまた難航している。
小さい分、細工が難しい。発送が間に合わないので、これは搬入・展示飾り付け当日に直に持参する予定だそうで……。
まだ真っ白な状態で、顔もない
梅の花を身体につけるらしいのだが、なんで1個ずつ? 両側につけないと変でしょうが
顔を描くとこんな感じになるのかしら?
雛守犬を置いたイメージ……?
2023/01/06
肉体の支配
朝起きるのは歳に関係なく辛いものだが、歳を取ると、自分の肉体と脳が分離した状態で目が醒める感覚が強まる。
自分の嫌な部分が出ている夢を見ていたときは特にそうなのだが、起きているときの自分(の意識)とは無関係な、重くて、いうことを聞かない肉体に縛り付けられている、という感覚。
逆に、若いときのような「肉体の支配」からは開放されたと感じる日々でもある。
テレビで、芸人の誰かが、浅草の老師匠がたに訊くと、なぜか全員が「性欲がなくなるのは68歳」と答える、と言っていた。
68歳という中途半端な年齢を、老師匠たちが異口同音に口にするのが非情に興味深い、ということで覚えているのだが、まさにそれ。
若い頃を思い出すと、脳とは関係なく、
脳以外の肉体から性欲とか恋とか旅行欲(そんなのがあるのか?)が発せられて、脳がそれに従ってしまっていたような気がする。
今はそうしたものが消えてしまったので、脳の中に残っているわずかな欲求領域(?)と相談しながら毎日を過ごしている感じ。
それはそれでいいのだが、肉体がもう少し軽く動いてくれたらなおいい。
でも
「縛り付けられている」と「支配されている」は違う。
今の自分の肉体は、重くてダルくて言うことを聞かないけれど、その肉体から命令されることはない。思うように動かず、お荷物のような肉体になってしまったが、指先とかはまだ動くし、脳の命令を聞いてくれている。それだけでも感謝だ。
重いのは生まれ持った体質なのかな。だましだましやるしかないな。
今日もまた、『馬鹿が作った日本史』の書き直し作業を続ける1日だわ。
『神は成長する 霊肉二元論の向こう側』
肉体と魂といった単純化された霊肉二元論を超えて、「私」という意識は脳(肉体)と個性を持った神が結びついて生成されているという思考モデルを展開させた「神」論。
後半では2020年以降の「リセット世界」「人間を機械化した専制世界」という企みにどう向き合うかについても触れる。
読みやすいよう、本文フォントには大きな16級明朝を使用。