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のぼみ~日記 2022

2022/10/04

20代の自分はひどい人間だった、という回顧録?

ひょんなことから20代の頃の自分を思い出すことになってしまったが、ついでなので(?)もう少しダラダラと記憶を掘り起こしてみる。
しょーもない話だから、完全に自分の備忘録。老人あるあるで、今は最近のことは忘れても昔のことはよく思い出す。そのうちに昔のことも思い出せなくなるだろうし、記憶がどんどん不正確に書き換えられるだろうから。

ハロージャンボ後楽園音楽祭

上田知華さんが亡くなったと知った後に、どういうわけかウッドJazzカフェでかつてフォノグラムで本城ディレクターの下で働いていたという女性と話をすることになったりして、俄然、あの頃の記憶が次々に甦ってきた。

そのタイミングで、かわず庵のゴミの山の中から↓こんなカセットテープが出てきた。

1976年8月15日「第2回ハロージャンボ後楽園音楽祭 出場記念」とある。
後楽園ゆうえんちのプールサイドで行われた公開オーディションのようなイベント。
大雨の日で、本来は満員のはずのプールには客がいない。スカスカのプールに向かって、雨に濡れながら演奏した。
司会が小島一慶さんだったということは、今回テープを聴いて分かった。演奏時間より紹介のやりとりのほうが長いのは、雨だったからというのもあるのかな。
↑演奏前の小島一慶さんとのやりとり

演奏したのは「売れ線」だけを狙った歌謡ポップスみたいな品のない曲。それをロック調のアレンジでやっているのだが、ほんとにひどい。
しかも、出場者の中で少しでも目立とうと、前日になって急に「後楽園ゆうえんちのCMソング」みたいなものを作って、曲の前につなげてやるというしょーもない小細工までしていたら、大雨になってますます場違いなスベリ地獄になり、完全自爆。
数多ある若気の至り黒歴史の中でも最悪のランクに入る出来事だった。
恥ずかしいのを通り越して、思い出すだけでも胃のあたりをズタズタに引き裂かれるような後悔があるので、聴き返したことはない。
しかしまあ、もういいだろうと、勇気を出して聴いてみた。
……いやはや……ううう……想像以上にひどい。
音楽がどうのという以上に、自分の人間性を疑うような痛みとでもいうか……。
このときの自分は、音楽が好きだからやり抜くというのではなく、とにかくデビューしたい、売れたいという欲だけで動いていた。
音楽というものを完全に勘違いしていた。その結果、自分の個性やいいところも見えていなかった。
そんな時期の私につき合わされたバンドメンバーには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
8月15日ということは31年前に玉音放送が流れた敗戦記念日ではないか。そんな日に、恥知らずで罰当たりなことをしたものだ。

このとき優勝したのが上田知華だった。
山下院長(ギター)の記憶によれば、上田知華のバックバンド(セミプロみたいな人たちだった)が雨のせいか遅刻してリハに間に合わず、急遽、駆り出されて上田知華のバックに入ってリハをやったという。私はそれには加わっていなかったので記憶に残っていないのだが、それもまた、自分しか見えていなかった証拠だろう。

審査員に本城さんもいた。これであたしは完全に本城さんから見放されたような気がする。もちろん自業自得だ。

樋口康雄さんと録音したデモテープ

この最悪の出来事の前だったか後だったか忘れたのだが、ミュージカル「黄金バット」に提供したデモテープなどを聴いた樋口さんが「ベース、ドラム、ギターはいい。ピアノはひどい。これなら自分(私のこと)で弾いたほうがよっぽどいいよ。このメンバーでバンド組もうか?」と言われ、「いえ、ドラムもギターもプロ志向ではないので」と説明したら、「じゃあ、3人で組もうか」となった。
ビックリした。雲の上の人のように思っていた樋口さんと一緒にバンドを組む?? ウソだろ……と。
「本城さんに頼んでフィリップスのスタジオ予約したから」と言われ、その前日だったか、樋口さんの実家(大豪邸で、二階の広い部屋の片隅に象牙と黒檀の鍵盤のスタインウェイグランドピアノがあった)で音合わせをした。
てっちゃんがギターアンプを持っていないというと「そんなんじゃダメだよ」と怒られていたのが気の毒だった。

そのときの1曲が⇒これ

天才・樋口康雄と一緒に演奏するというだけでもうガチガチに緊張し、録音はなかなかうまくいかなかったけれど、一生忘れられない経験になった。

樋口康雄CM音楽集

synchronicityというのはあるもので、CDラックの下の方から『YASUO HIGUCHI CM WORKS ON ASSOCIATES YEARS』というCDが出てきた。
だいぶ前に買ったまま、あまり聴き返すことなくラックに収めて忘れていた。
今回は全曲MP3に変換して保存した。
このCDに収録されていないものの中に傑作がいっぱいあるんだけど、中でもすごいのはマンハッタントランスファーが歌った伊勢丹のCM「女王陛下のお買い物」
作詞は伊藤アキラさんで、伊藤さんのCM作品集アルバムにも曲は入っているんだけど、音源がなくなっていたんだか権利関係がうまくいかなかったかでマンハッタントランスファーのやつは収録できず、日本人コーラスによるデモバージョンみたいな音源だった。
「収録を諦めていたら、デモバージョンのカセットが出てきたので入れられた」と伊藤さんご自身から聞いた。

70年代の樋口師匠の仕事ぶりは、本当に天才としか言いようがない。
ひっそりと⇒ここにいくつか置いてある。

80年代後半くらいから収録楽曲が減っているのは、CM音楽という文化と日本の経済事情が衰退していった歴史を示しているなあ。もう、あんな贅沢な時代は来ないだろう。
我々はすごい時代を生きさせてもらった。

挫折の日々からのKAMUNAまで

そこから30代半ばくらいまでは本当に泥沼の時代だった。
それまで自分がやってきたこと(自己中心で、大切な仲間を裏切ったりする生き方)がすべて自分に返ってきた結果、どん底にまで落ちた。
戻ってやり直せるものならやり直したいとも思うが、今はもう、こうなることが自分の人生だったのだと認めている。

再び音楽をちゃんとやりたいと思うようになったのは、「小説すばる新人賞」を受賞したときだった。
賞金で新しいギターを買い、近所の個人経営の音楽教室の門を叩き、そこで吉原センセと出会った。
ドレミファからギターの練習を始めて、ジャズギターの基礎の基礎を習いつつハノンによる運指練習。最初は1日2時間くらいハノンを弾いていたような気がする。
そして、センセをうまくたぶらかしてKAMUNAの1枚目のアルバムを録音。
その頃の映像がCD-Rに残っていた。

小説『グレイの鍵盤』を出版したのが1995年だから、これは翌年1996年だと思う。41歳かな。
結構いっぱいいっぱいでやっていたけど、こうして見ると、楽しそうな顔をしているし、今よりはるかに指は動いている。
音楽人生において、社会的に成功することより価値のあることを手に入れた瞬間だったのかもしれない。

10月3日の家の前。








マユミの花。もうすぐ落ちる

ジョロウグモ。小さいのは♂。これだけ大きさが違う。♂は♀と交尾した後、♀に食われてしまうことが多いそうだ。カマキリと同じ

どんな種も♀のほうが強いのかな。
人間も……。

結局、私の音楽人生はこれ以上でも以下でもなかった。
今も、自分のことがちゃんと見えていないのだと思う。
邪念を捨てきれない小人のままこの歳になってしまった。

肉体がボロボロになった今からでも、精神力だけで少しは立て直せるだろうか。





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