2022/08/05
ブリッジのような日記

百日紅が咲いたのだが、ずいぶん上のほうで、視界に入らない。しかも花が少ないな。

2022/08/07

寝る前にトイレに入ったら、ちょうど数字が連番になるところだったので、しょーもな~と思いつつも、やっぱり撮ってしまった。湿度67%のところまでつながってる

オオカミ池からはすっかりオタマはいなくなり、トウダルが数匹いるだけになった。これがミドリンかどうか、よく分からん
2022/08/08
蠅の寿命?

5月くらいからずっと居間にいついている蠅が、最近姿を見せない。助手さんは「死んじゃったのかしら」と心配している。
ミニ池がなぜか人気

プランターを埋めただけの小さな池「ミニ池」。我が家でいちばん古い池だが、不思議とトウダルやツッチーに人気があって、常に複数匹のカエルが居着いている。

このところ、音楽制作も執筆もすっかり気力が萎えてしまった。
体力が落ちたということもあるけれど、世の中、というか、人間に対して何かを発信することの意味が見出しづらくなったという感じかな。
何かを残したい、という欲がなくなり、この肉体、この物理世界からどうやってうまく抜けていけるのかというようなことを考える時間が増えた。朝起きたときは特にそう。
世界というか宇宙というか、そういうものが、自分の肉体が感知している……言い換えれば「肉体の外側にある」のではなく、内側、というか、肉体の制限を飛び越えたところにあったらいいな……と。
でも、肉体の死までボ~ッと過ごすのも嫌なので、絵を描くとか、そういう時間を持つようにしようかな……と。
それには、今の仕事場よりもかわず庵のほうがいいかな。余計な機材とかなくて、作業台だけがあるような空間。ときどき庭を見て……。
というわけで、ゴミ屋敷になっているかわず庵を少しずつでも片づけようかと思うのだが、まったく手がつかないままため息ばかり出る。
割とスカスカした段ボール箱が廊下に出ていたので中を見たら、親父が亡くなった小さな施設の部屋に残していた小物が入っていた。
何も書かれていないノートやスケッチブック。色鉛筆や筆ペン、筆記具いっぱい。鉛筆削り……。
……最後の最後まで脳が壊れていくことと闘い、何かを書き残そうとしていた苦闘の跡……という話はこないだすでに書いたのだったね。
絵を描くとか粘土細工するというのも、相当気力が充実していないとできないのだよなあ。
結局「好き」じゃないんだろうな。惚けても、好きなことなら最後までやるだろうし。
この日記みたいな駄文を書き連ねるのは続いてるし、苦痛に感じない。というか、気がつくと書いてしまっている。「書くことが好き」という意識はまったくないのだが、身体に染みこんでしまっているのかな。
それが楽器演奏ならミュージシャンだし、絵具や粘土に向かうことならアーティスト。あたしはどっちでもない。
最近は日記に書くことにも気を使うようになった。もちろん、見えにくい「あいつら」に仕掛けられた
分断爆弾のせいだ。
今まで同じグループにいると思っていた人たちが、見事に別の方向に分かれてしまった。
なんと残酷な爆弾だろう。
そんなわけで、世の中の気になることを書くのは日記ではやめようかとも思ってる。
書かないようにする、というのもストレスを溜めるので、
⇒ここでひっそり……。