2022/01/05
カワラヒワ
連日寒すぎて、涼風号MarkIIに乗る気がしない。でも、歩かないと身体に悪いので、ほんの少しでも歩くようにしている。
今日もちょこっとだけ家の周りを歩いた。

川沿いの道に入ったとたん、前方の電線に小さな鳥が並んでいるのが見えた。

逃げないように、かなり手前からHX-90Vでズーム撮影。スズメとかじゃないな。ジョウビタキは群れないし。

切り取って無理矢理拡大。カワラヒワだと教えてもらった。

↑ダイサギ。チュウダイサギかも?
どうもHX-90Vは動画性能のほうがいいみたい。↑これは動画を一時停止させた画面から切り取った。
その後、ズルしてショートカットの山登りで帰宅。軟弱だなあ↓。
三日月

夕方、窓の外を見たらものすごくきれいに三日月が出ていた。

左上は金星かな。写真だとこの美しさ、なかなか伝えられないのが残念。
最後の干し柿

ずっと忘れていた干し柿。最後の2つを取り込んで食す。

世の中はコロナコロナと相変わらず異常な煽りかたをしているけれど、ここでの生活はほとんど何も変わらない。一体どっちが本当の世界なのかと、不思議に思う。
本当の世界、現実世界ってなんなんだろう。
このところ、深い眠りがせいぜい1、2時間しか続かず、すぐに目が醒めるのだが、見ている夢がますますおかしな感じになっている。
昔に出会った人物がよく登場するのだが、親しかった人物ではなく、むしろ、ほとんど接点がなかった人物が多いのだ。小学校のときに1学期間だけ隣の机に座っていた子(しかも、当時もほとんど興味を持つことも話すこともなかったような子。男女問わず)だったり、どこでどういう形で会ったのかも忘れているような人物(でも、確かに過去において会っている)。
小学校の同級生と死んだ親が同時に出てきたりもする。
こういうのって、いよいよ死期が近いんじゃないかと考えてしまう。
認知症になった親は、よく「家に帰る」と言い張ったが、話を聞くとそれは自分が長年住んでいた家ではなく、生まれた家だったりする。
友達に会いに行く、という「友達」が、陸軍士官学校の同期生らしかったりもした。
お袋は脳溢血で倒れる少し前、電話で「人間、死ぬ前ってこういう感じなのねえ」と言っていたことがある。それが「どういう感じ」なのかはもちろん伝わってこないのだが、今は、きっとこんな感じだったのだろうと思える。
夢の中の世界は、間違いなくこの現実世界で自分が経験してきたことの断片が脳内でデタラメにつながって見せているものだろうが、不思議なことに、まったく経験したことのない場所や環境が何度も再現されることがある。いわゆるパラレルワールド的な世界だ。
現実にはありえない電車に乗っていて、なかなか家に戻れないとか、そういう夢をよく見るのだが、同じような電車や風景が、夢の中でかなりの時間を置いて何度も再現される。夢の中では、「ああ、ここか」とか思っている自分。
上智大学に戻る夢とか、大人になってからまた大学に戻りたいために、他の大学を受験しようとする夢も何度も見る。東大に入るために、大人になってから聖光学院に戻って見知らぬ後輩たちと一緒に授業を受けている夢なんてのも、何度も見た。
大学生活がそんなに恋しいのだろうか。
起きてから夢分析をするのだが、すればするほど自分の本性がつまらなく、卑しいものだと気づかされて、あ~あ、とため息をつきたくなる。
以前、「自分大好き人間」と評されたことがあるが、まさにそうなのだよなあ。自己中心で人間関係に淡泊。死ぬ瞬間は孤独の極致を味わいながら死ぬのだろうと、前々から覚悟はしているのだが、その「孤独の極致」がどんな感覚なのかはまだ分からない。宇宙の中にポ~ンと放り出されるような感覚だろうか。恐ろしいね。
……ま、いっか……と思いながら起き上がって、服を着て、1日が始まると、もうすっかり普通に動いていられる。
これが「普通」に戻らなくなると、かなりまずいんだろうな。
とにかく、まだまだ解脱の境地にはほど遠いわね。
こんなことウダウダ書いているうちは、まだ大丈夫?なのかな。