2021/12/05
ああ、円丈師匠まで……
2009年5月6日 寅吉・和平ワールドを案内したときの円丈師匠
久々の県外遠征から戻ってきてメールチェックしたら、いきなり円丈師匠の訃報が入っていて大ショック。
6月に息子さんからメールが来て、師匠が家で転倒して頭を打ち、入院中であること、歩くのが難しくてリハビリ中だが、言葉などはしっかりしているということを聞いていたので心配していたのだが、まさかこんなに早く……。
今年は大塚康生さん、伊藤アキラさんと、よくしていただいた人生の恩人が次々に亡くなり、まさかの円丈師匠まで……ほんとに、なんて年だ! と叫びたくなる。
大塚康生さんの訃報を聞いたときは、とにかく「寂しい」という気持ちだった。あんなに素敵な人が……という喪失感。
でも、円丈師匠の訃報は、そういう感情を超えて、とにかくショック。
共同事務所を立ち上げませんかと持ちかけられたのは21年前。二人合わせてちょうど100歳だから縁起がいい、と言われたけれど、結局その話は流れたのだった。
ジアンジアンでの新作落語の会の前に、「哀しみの大須」など2作の書き直し添削を依頼され、赤ペンを入れたことも。
狛研の定例会では「円丈・たくきの狛犬五番勝負」とか、弟子の小田原丈さんに朗読させた「大胆推理・内藤慶雲物語」などなど、とにかく、語り尽くせないほどの思い出がある。
思い出だけでなく、円丈師匠との関係性というのは、多分誰に話しても理解してもらえないほど複雑で、とても簡単には追悼文的なものは書けない。
「たくきさんとは意見の対立とか、しょっちゅうありますけど、こうしてずっとやりとりしているのが不思議で。なんなんでしょうね。結局、好きなんでしょうね。たくきさんのことを」というメールをいただいたことがある。好きだからぶつかる。ぶつかったあとに、何かひっかかって、考え込む。そんな感じのことを伝えられたんだと解釈した。それが嬉しかった。
自作落語のCDや毎年作る手拭いは必ず送られてきていた。あの手拭いがもう来ないのかと思うと、ああ、本当にいなくなってしまったんだ、自分の日常からまた一つ何かが消えてしまったのだなと理解できる。
毎年何枚も送られてくるので、家のあちこちにある「円丈手拭い」。「還暦記念」とあるので、これは16年前のものみたいだ
うまく言えないけれど、死という最後のメッセージによって刺激を受けた、というか、背中をぽーんと叩かれたというか、最後まで何かを語りかけられたような、奇妙な感覚に包まれたまま、やっぱりうまく言葉にはできないので、この日記にもなかなか書けなかった。(書いている今は12月20日)
「
自分の作品を評価できるのは他人ではない。死ぬときの自分だけ」という言葉を思い出す。
この言葉を噛みしめながら、次に自分の番が来るまでは、なんとか気合いを入れて、人生の最後を耕していこう、という気持ちになる。
円丈師匠、ありがとうございました。