木に彫れるものは石にも彫れる……と言わんばかりの寅吉の意地がよく現れた作品だ。

ただ、明治36(1903)年の銘はあるのだが、以前に確認している「小松布孝 布行 敬作」の銘がどこを探しても見つからなかった。そんなに変な場所に彫ってあったはずはないのだが、なぜ見つからないのだろう?
もしかして、この社殿も倒壊して、実にうまく修復したものの、その際に銘が失われたのだろうか?
それが非常に気になった。
あの銘は、寅吉がこの時期、息子の亀之助に目をかけて跡取りにしようと焦っていた(?)ことを示す重要なものなのだが……。
ここでもまた、モヤモヤした気持ちを抱えてしまった。