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のぼみ~日記 2021

2021/06/17

大田原方面へ(12)大田原神社の狛犬の安否(2)

2021

で、昭和16(1941)年4月奉納のこの狛犬だが……



2004

【2004】これは2004年には石段上にいた狛犬だ。台座ごとここに移動したのだろうか。



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この狛犬、太平洋開戦の年に建立されているのだが、そのわりには顔は柔和で、子獅子の姿も愛らしく、当時、大量に作られていた護国タイプのいかめしい像容の狛犬とはかなり趣を異にする。







全体のフォルムや、尾や鬣の流れ方も優美というか、端正。


こんなところにも石工のセンスを感じる。



この直後、日本は真珠湾攻撃をする。


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次はこの狛犬。流れ尾が美しい。近代化された江戸獅子タイプとでもいうか……。




阿像は口の中にわずかに着色が残っている。大正9(1920)年3月。奉納者:渡辺吉太郎



2004

【2004】2004年の写真を見ると、この狛犬はほぼ無傷で3.11を生き延びたことが分かる。



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隣にある稲荷神社の狐。ここには大小多数の狐像がいたはずだが……


台座だけ残っているのがあったりして、すでに不安が広がる。


2004

【2004】これが2004年の写真。いちばん大きな狐はこのときすでに耳が取れていたことが分かる。

阿像は右耳が欠けていて、




吽像は両耳がなくなっていた。



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2021年の今も、17年前と一見同じだが、

よく見ると顔に継ぎ目が見える。


しかし、これもしっかり確認してみたところ、2004年時点ですでに継ぎ目があったことが分かる。左が2004年、右が2021年。



昭和8(1933)年2月。石工・二代渡辺末吉



授乳の子ギツネも首がつないであった。



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大きな狐像の下に置かれていた小さな狐。



こちらは大正4(1915)年の作。
2004

【2004】これも2004年当時と同じだった。赤い前掛けまで同じ。毎年新調されているのだろうか。



しかし、2004年当時は他にも小さな狐像がたくさんあった。今回それは写真に収まっていないのだが、奥のほうに置かれているのを見落としたのだろうか。それとも3.11後の整備の際に片づけられてしまったのだろうか。
2004

【2004】大きな狐の台座の横にいたこの2頭が、今回は見あたらない。



【2004】これも……今回は見落としていたのかなあ。



【2004】顔が破損したこの狛犬も、今回は見あたらなかったようなのだが……



【2004】元治元(1864)年の銘がある江戸期の狛犬だったのだが……



【2004】このへんはもしかすると社殿の裏側あたりにあったのを今回は見落としていたかもしれない。




2021

この裏手まで確認しなかったのが失敗か。




並んでいた末社には、小さいながら見事な木彫の社が。









帰り際に……。これは市の指定文化財だそうだ。



やはり、いちばん痛かったのは「月に吠えるオオカミ」阿像の破損だ。
稲荷社の狐像のように補修できなかったのだろうか。
吽像だけでも無事だったのは不幸中の幸いととらえるべきか……。
残念な思いを抱きつつ、次へ……。
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