音楽を作ることがどんどんしんどくなってきた。でもまあ、こういう時期は40代後半くらいからもあったかな。
少しでも気力を取り戻せないかと、音楽番組を録画しているのだけれど、1つのグループをまるまる通しで見る(聴く)ことはまずない。見始めるのも気合いを入れないといけなくて、未視聴分が溜まっていくばかり。
唯一通しで見て、もう一度飛ばしながら見た(聴いた)のがこれ↑ マンハッタントランスファーのメンバーだった女性ヴォーカリストとセッションメンバーが初めての組み合わせでスタジオ収録したやつ。
マンハッタントランスファーというと、20代のときに聴いた「女王陛下のお買い物」という伊勢丹のCMソングがいちばん印象に残っている。今もSDカードに入れてあるので、たまに運転中に再生される。
作曲は当時私が師と仰いでいた樋口康雄さん。
「お買い物~ぉ♪」という部分のメロディがすごく難しくて、普通の歌手なら音を外しそうなのに、カッチリハモっていたのはさすがだなあと感心したものだった。
Listen to 『女王陛下のお買い物』(大昔に樋口さんの事務所でオープンリールテープにコピーさせてもらったやつ。コソッとね):
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メンバーがみんな渋くてよかった。歌心のあるラッパを、助手さんは特にお気に入り。
パーカッションのNanny Assis という人の歌うボサノバも味があってよかった。
結局リスナーは自分……か
少し前までは「人生死んだ後が勝負」をスローガンにして創作の意味づけをしていたけれど、今はまた、死んだら全部「無」だと思っている。自分がこの世に存在した短い時間、何をしたかなんて「まぼろし~!」だ。この世界が自分の死後もまともに続いていくとも思えないし。かといって「この世」で作ったものの価値を次の世界に持っていくこともできない。だから、どんなに切なくても、ちっぽけでも、「今」がすべてなんだと思い直すようになった。
その絶対的な孤独の向こう側に何かがあるのか……なくてもいい、仕方ない、そういうものだった……という諦観とも達観とも違う気持ち。
一緒に歩いてくれる犬がいなくなって、夕方、外に出て運動をすることが難しくなった。「あいつ、今頃待っているだろうな」と思うからこそ、多少風が強くても、疲れていても、寒くても、小雨が降っていても家から出ることができたけれど、一人でお散歩となると、面倒でしかない。目的がないというのはこんなにも辛いことなんだよなあ。
毎日、ひたすらトレーニングしている人たちのストイシズムって凄いな。
一人で見る地蔵桜は虚しい。冬だとさらに虚しい。
墓の裏にまわる ……というのは放哉の句だったな。地蔵の裏にまわる。
年号がまた読めなくなっていた。
去年4月の日記 を読み返してみる。ああ、延享元(1744)年だったのか。280年近く座り続けているんだなあ。
↑去年4月3日の写真。
2021/02/07
3匹のヤギ
今日も「このまま散歩をしなくなってしまうのはまずい」という一心で、寒い中、寒風号に乗って近所をまわる。
久しぶりに通る道でヤギを見た。ここにこんなの前はいなかったなあ。いつから飼い始めたんだろうか。
フェイスブックにこの写真をあげたら「がらがらどん」という短いコメントがついた。
何のことだか分からなかったのだが、調べたら↓これだった。
『三びきのやぎのがらがらどん』(さんびきのやぎのがらがらどん、ノルウェー語: De tre bukkene Bruse、英語: The Three Billy Goats Gruff)は、「がらがらどん」という同じ名前をもつ3匹の山羊が餌を求めて冒険に出かける童話。ノルウェーの昔話の一つで、アスビョルンセンとヨルゲン・モー(英語版)によって、彼らの著作『ノルウェー民話集』に収録された。
日本語訳としては他に『ふとりたくて丘にゆく三びきの牡ヤギ・ブルーセ』、『ふとろうと山に行く三匹のヤギのドンガラン』などがみられる。
なお、タイトルの「がらがらどん」、「ブルーセ」、「ドンガラン」の部分は原題のヤギの名前である「Bruse(ノルウェー語で「うなり声」という意味)」部分を固有名詞なので訳さない(ブルーセ)か、擬音風に意訳したか(がらがらどん・ドンガラン)の違いである。
(Wikiより)
……なんだそうだ。
ヤギの鳴き声はメェ~だと思っていたけど、唸るときはガラガラドンなのかい。
この童話のことはまったく知らなかった。「三匹の子豚」は知っているけれどね。
「三匹の子豚」は、1匹目と2匹目はオオカミに食われてしまう。でも、3匹のヤギは、1匹目と2匹目は谷の下にいる妖怪に「次に来るヤギのほうが大きくて食べがいがあるよ」と言って難を逃れ、3匹目は逃げることなく妖怪と戦って勝つらしい。
現代ではこっちのほうが「教え」としてはいい、ということなのかな。
ひょんなことから「ちびくろサンボ」問題を復習
絵本の是非といえば、「ちびくろサンボ」ってどうなったんだっけ、と思って調べてみたら、今でもちゃんと売られていた。
さらに、
こんな本のレビュー がなかなか読み応えがあって面白かった。
この長いレビューの中で紹介されている本の編集者の
日本の差別問題についても、もっと考えていきたい。差別をなくしたいと思ってもどうしたらいいのか、どう考えたらいいのかよくわからないことがいっぱいあるから、今は差別か差別じゃないか断定するよりも、ゆっくりといろいろなことを考えていきたい。
……という言葉は、まさに今、連日テレビで騒いでいる森喜朗の「差別発言」問題にもあてはまる。会長を辞めろ、で終わらせたのではなんにもならない。
しかし、日本のスポーツ界で「戦後最大の敗戦処理」をする羽目になった川淵三郎氏は大変だなあ。
2021/02/10
男体山にサソリ?
今日も寒風号でちょっと運動……と郵便局まで行ったが、寒かった。帰り道に見えた男体山。久々に空気が澄んでいてクッキリ見えた。
冬の男体山を見るたびに「ノコギリクワガタ」を捜すのだが、あれ? なんだか右側にも雪がない部分が広がっていて、クワガタというよりサソリみたいだな。
……というわけで、今日も暮れていく。