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のぼみ~日記 2020

2020/08/22

R.I.P. 篠原文雄さん


ベースを弾く篠原さん。2012年11月3日。at Daddy's Cafe



ギターを弾く篠原さん。2012年11月3日。at Daddy's Cafe



ドラムを叩く篠原さん。2013年3月2日。at Daddy's Cafe


ピアノを弾く篠原さん。2015年1月3日。at Daddy's Cafe


フェイスブックの2013年3月のこの投稿↓に、なぜか今頃コメントがついた。

篠原さん 亡くなられたそうです

……え? 亡くなった?! 篠原さんが……?

理解するまで数秒かかった。

考えてみると、最初に会った2012年にすでに80歳前後だったから、もう90近い。
老衰でもおかしくないお歳だったのだが、最後に会ったときもまだステージに上がってジャズのセッションを楽しんでいらしたから、なんだか不思議な感じがしてしまうのだった。

ここ日光に引っ越してきたのが9年前。近所にライブハウスがあると聞いて、出かけていくと、静かに隅っこに座っている老人が一人。
声をかけると「脳梗塞で入院していて、退院したばかり。手脚がうまく動かないから、少しずつリハビリを始めている」とのこと。
そのときはプレイヤーだとは思わず、ジャズの好きなじいさんが来ている、くらいに思っていたら、とんでもなかった。
次にお目にかかったときは、最初のときと目つきがガラッと変わっていて、ステージに上がって、まだ完全には動かない手でベースを訥々と弾き始めた。『月の沙漠』。
なんでもこなせるマルチプレイヤーだと知ったのはさらに後。
いっぱい失礼をしてしまった。
友人のモロさん(サックスプレイヤー、自分のビッグバンドを持っていた)は、Daddy's Cafeで篠原さんとセッションをした際にとちってしまい、煙草を吸うために外に出たところを捕まって、説教されたという。
「俺は明日死んでしまうかもしれない。だから、常にこれが最後の演奏になるかもしれないという気持ちでステージに上がっている。俺とやるときは気合いを入れてしっかり演奏してくれ」と。
「じゃあ、(デタラメな演奏やっている)たくきさんはどうなんですか?」と訊いたら、篠原さんは、「あの人はああいうタイプだから、あれこれ言わず、好きにやらせたほうがいい」と言っていたとか……。
要するに、あたしは見放されていたのでした(泣笑)。

それでも直接怒られたことはある。「ミストーンは絶対に出すな。たった1音で台なしになる」は心に刻んでいる。
これは吉原センセにも何度か言われたこと。ほんと、そうなんだけど、ミスしちゃうのがアマチュアの甘さ……。

享年88歳。……昭和一桁生まれで、親たちと同年代だ。
親たちは、実父、義父、実母、養父、義母の順で全員亡くなり、ここ何年かは親父と義母の介護に明け暮れた。
その世代でも、篠原さんは最後までプレイヤーであり続けた。カッコいい。なかなかこんな人生は貫けない。

亡くなるまで現役プレイヤー……というと、ジャズヴァイオリンのステファン・グラッペリを思い出す。グラッペリの音楽が特に好きというわけじゃないけど、そのストイックな生き様に敬意を表して、吉原センセにジャズギターを習い始めて初めて書いた曲には『ステファン』というタイトルを付けた。
今は、ステファン・グラッペリに代わって、篠原さんが「生涯現役」の生き様として刷り込まれた。

このところまったく音楽をやる気力がなくなっていたけれど、篠原さんの厳しい表情を思い出しながら、もう少し頑張ってみようかな……。
2015年9月5日。at Daddy's Cafe

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