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のぼみ~日記 2020

2020/06/27

阿弥陀如来・福耳薬師・不動明王



お堂に向かって右側には、大きな福耳薬師、阿弥陀如来、小さな不動明王像を収めた石の祠などが並んでいる。

左側から、まずはこの阿弥陀如来像(多分)。螺髪(らほつ)があるので如来。腹の前で禅定印を結んでいる。

「亨保」は読めるのだが、その下は「廿」? だとすると乙卯だし、21年なら丙辰なのだが、どちらにも見えない。享保十八年(癸丑)かな? だとすると享保18(1733年)年。



で、これが主役? ともいえる福耳薬師。今市地震で倒れてしまい、台座が低くなったという。年号はほとんど読めない。



「奉」の字は読めるのだが……。



その右には小さな不動明王像が収まった石の祠。



これは享保12(1727年)年。左の阿弥陀如来・享保18(1733年)の6年前。ということは真ん中の薬師如来も亨保年間だろう。



向かい合う3体の如意輪観音は、いちばん古いのが享保19(1734年)年。だから、如意輪観音は右側に並ぶ薬師如来や阿弥陀如来、不動などより後に建てられている。



燈籠の建立年は……

享保三年(戊戌)。1718年。さらに古い。

18世紀(1700年代)初めにはこのお堂はあったということだろう。かつてはもっと立派な本堂があったのかもしれない。
江戸時代、広い日光御領という環境にあって、農民たちは他の地域よりも穏やかな生活を営んでいたのかなあ……などとも想像する。
母方の先祖がともに幕臣だった我々夫婦が、なぜか人生の終わりにこの地に流れ着いたのも、何かの縁なのか……。


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