昨年末になんとかクリスマスの歌を作ってから半年以上、曲が作れないどころか、楽器にもまったくといっていいほど触っていなかった。
死ぬまでに、『上を向いて歩こう』や『赤とんぼ』のようなものすごいメロディを作り、残したい、と思っていたのだが、それはもう無理じゃないのかと感じてしまう。
しょーもないメロディの曲を意地で作ってもしょうがないのではないか? となると、このまま音楽はできないまま死んじゃうのかなあとも思っていた。テニスをやめたときのように、やめるときはすごく寂しかったが、時間が経つにつれてすっかりその寂しさも忘れてしまうようなことになっていくのか……と。
でも、ちょっとだけ気力が戻ってきて、発想を変えてみようと着手し、かなり時間をかけて仕上げてみたのがこれ↑
- メロディが作れないのは気負いすぎるから。
- いいメロディじゃなくてもいい。
- 目の前に歌詞があれば、なんだかんだでメロディをつけることはできるはず。
- であれば、思いきり開き直ってみたらどうか。
- 歌詞を作るのもきついので、いっそ百人一首でも使うか……。
……と、ある朝思いついたのだが、それを実行に移すまではさらにうだうだと数日かかった。
音楽専用マシンであるMacを立ち上げるまでにも時間がかかった。気持ちが乗らないのだ。スイッチをいくつか入れるだけのことなのに。
ようやく立ち上げたら、半年以上使っていなかったので、ソフトのアップデートのお知らせやら、LANを認識しなくてLANケーブルをつなぎ直したりで、またまた1日経過。そんなこんなでも、なんとか作業を始めたら、そこからは取り憑かれたように集中できた。
当初は、ヴォイスチェンジャー的なエフェクターを使って、自分の声を大胆に変えてロックっぽくできないかと思ったのだが、みっともないだけだと感じ、結局、今まで通りの設定で素直に歌うことにした。この曲は自分用じゃなくて、誰か他の人たちにやってほしいのだよね。であれば、デモというか、サンプルとして、歌声はいじらなくていいんじゃないか、と。
曲調と歌声の不調和感、違和感が面白いと思う人もいるかも……と期待するのは甘いのだろうが、しょうがない。
演奏面で贅沢をいいだしたら、それこそキリがない。
百人一首の中から、女性の歌だけ抜き出し、それも恋の歌ということでまとめて(ほとんどすべてがそうだったが)、少しでもストーリーがつながるように並べかえてみる……という作業だけでも1日かかった。
歌の解釈は複数の現代語訳や解説を読んで、間違いのないように心がけた。
老人は時間があるからね。そういうところはじっくりやるのだわ。
当初は、昔の貴族って、しょーもないことを歌ってたんだなあと思ったが、作業しているうちに、そういうこともあまり思わなくなった。ラブソングなんて、所詮はそういうものだよな~、と。
さて、「この次」はあるのだろうか……。