
あった! これだ。なんでしょね、これは。

つんのめっている。上の「桃」みたいなものは、接着されていないような……?

文久3(1863)年。ほう! で、なんなのだろう? 参宮十五人? 伊勢神宮にこの土地の15人がお参りした記念に納めたのだろうか?


全体を見ると、どうやら元々は燈籠か石塔だったものが、地震で倒れてしまい、真ん中の火袋や軸がなくなって、てっぺんにのっていた宝珠だけを、下の亀趺の上にのっけたのではないか……と判断した。ほぼ間違いないだろう。

お尻側。とてもていねいに作られている。

懐中電灯で照らしてみたら、かえって暗く写ってしまった。

それにしてもよくできているなあ……。文久というと利平の時代。鶴吉や寅吉が関係していたのだろうか?



では、まっ暗でどうしようもないし、あとは帰るだけ。

あぶくまPAで、ようやくまともな飯にありついた。助手さんはこれが一食目。お疲れさま~。