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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ リターンズ』

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 2008年執筆分

『ちりとてちん』○と×再び

 いや、いい歳をして、すっかり『ちりとてちん』にはまってしまった。録画しているので、一日に三回見てしまったこともある。最近、いちばんのお気に入りは、順子(宮嶋麻衣)と友春(友井雄亮)が結婚を決める場面。主人公の喜代美(貫地谷しほり)と草々(青木崇高)が一緒になる大晦日のシーンよりもじんときてしまった。何日も前から、これは友春が魚屋食堂を継ぐことになるな、と分かっていても、いざその通りになると泣けるんだから、にくいね。ほんと、みなさんプロのお仕事。
 あの回の宮嶋麻衣と父親役(久ヶ沢徹)の演技はピカイチだった。宮嶋は涙どころか鼻水もダーッと出して、ハイビジョンでは可哀想なくらいの熱演。
 でも、その日は金曜日。あれ? 泣かせるのは土曜日と決まっているのに、一日早いなあ。
 と訝っていたら、翌土曜日に、またまた唐突に五木ひろしが出てきて、雰囲気がガタガタに。最初に出てきたときは、まあ、お遊びショットも一度くらいは目をつぶろうと思ってやり過ごした。他にもいろいろリアリティのない部分が目立つお話だけに、遊び方の度合は難しい。しかし、今回はちょっとまいった。今風に言えば「もう無理!」。一気に、80年代のアイドルドラマみたいになってしまった。
 なぜ? これは脚本家の趣味なのだろうか? それとも、NHKの偉い人(漠然とした言い方だが)が、何か余計なリクエストでもしたのだろうか?
 脚本家の趣味なら仕方がない。でも、そうではない力が加わった結果だとしたら嫌だなぁ。
 せっかく心地よく楽しんでいる視聴者に、いらんことを想像させんといてえな。
        (08/01/21 執筆)

「テレビは一つ」の時代は終わった

 去年、ハードディスクレコーダーが壊れたのを機に、仕事場のテレビを液晶37インチフルハイビジョンに替えた。今の液晶の美しさは驚異的。凄いね。
 でも、地上デジタル放送も、従来の6対4画面で放送されているものが多い。ワイド画面の放送も、ハイビジョンではない、従来の解像度でワイドにしたものがある。こうした混在状態は、従来のテレビ受像器で見ている限りは分からない。みんな同じように見えるから。
 先日、せっかくのフルハイビジョンなのだからと、NHKの海外紀行番組を見ていたのだが、どうも映像が妙に明度と彩度を強調した作りになっていた。リポーターの、紫色のジャケットがピンクになっている。室内の映像では普通に見えていたので、屋外の映像は、山の緑や湖の青さを強調するために、派手な色作りで編集したのだろう。
 しかし、そこで思い当たった。液晶パネルの性能が上がっていて、数年前の液晶テレビより、今の液晶テレビのほうがずっと明るい。だから、以前の液晶テレビを標準にして色や明暗を調整すると、今のテレビでは明るく飛んでしまうのではないか。
 色調の違いよりも、縦横比の違いはもっと映像編集現場を悩ませているはずだ。横長の画面では両端が見えていても、従来のテレビ画面では切れてしまう。となると、両端は「切れてもどうということのないもの」を収めておく必要があるわけで、重要な被写体(ドラマの主人公など)は、必ず真ん中に寄せて映さなければならない。
 今や「テレビ」は1つではなく、実にいろいろな視聴環境があるわけで、映像制作現場の苦労は大変なものだろうなあ。
      (08/01/31 執筆)

東京マラソンとTV放送地域格差

 今年の東京マラソンの中継は日本テレビ。昨年の中継(フジテレビ系)では、「ゲストランナー」や一般参加の有名人の走りっぷりが映し出されず、非常に平板な内容に不満を抱いたものだが、今年はTVライフの番組表を見ると、エリートランナーのゴール後も、しっかり4時25分まで長い長い中継が組まれている。やったね!
 ……と喜んだのは甘かった。私が住んでいる福島県の山奥ではこの部分放送されなかったのだ。ったくなあ……。
 都会の人は想像しにくいだろうが、テレビの地域格差はひどいもので、地上波民放は2つとか3つしか入らないという地域がたくさんある。
 地デジなんてとんでもなくて、多くの山間地や離島では、未だに地デジ対応のめどは立っていない。というより、今も地上波はまともに受信できない。
 このテレビ放送地域格差問題は、世界陸上など、大きなスポーツイベントが民放で独占中継されるたびに痛感させられる。
 世の中、結局、儲かるか儲からないかで動いている。地デジ騒ぎもそう。利ざやの大きな大型テレビを売りたい家電メーカーには好都合な「国策」だが、格差社会を広げる一因になっている。BSデジタルで全国ネット幹事局の放送を並行放送し、CSで全国の地方局番組をすべて受信できるようにすれば、難視聴地域解消になるが、実現しない。地方局にとっては視聴者囲い込みができなくなり、幹事局にとっては、少数視聴者は切り捨てたほうが面倒くさくないからだろう。地方局も、小さなエゴを乗り越えて、どうすれば生き残れるかを本気で考えないと、つぶされてしまうよ。
 
 
  (08/02/18 執筆)

環境問題報道は戦前並みの危機?

 戦前戦中、日本のメディアは厳しい報道管制が敷かれ、嘘の情報や一方的な刷り込み報道が繰り返されていた。その時代を知っている人たちは数少なくなってしまったが、昨今の報道はあの時代に似ていると警鐘を鳴らす人が少なくない。
 奇怪な報道が最も顕著なのは、環境やエネルギー問題関連だ。二酸化炭素が増えて極地の氷が溶け、水没する国が出てくるといった報道が、しつこく繰り返される。しかし「そんなことはありえない」と言っている学者、専門家はたくさんいる。
 北極は海の上に氷の塊が浮かんでいるのだから、たとえその氷が溶けたとしても水面上昇にはならない。南極は大陸の上に氷がへばりついているから北極とは違うが、むしろ周辺の気温が上がれば流れ込む水蒸気が増えて氷の量は増える。やはり水面上昇とは関係がない。全地球的に平均気温が上がれば海水が膨張する分、多少水面が上がるかもしれないが、数センチのレベルだから、それで水没するような土地は、潜在的に、温暖化とは別の問題を抱えている。
 ……そうした情報や知識は、インターネットや本では得られるが、放送メディアや新聞からはほとんど得られない。
 戦争をしたかった人が情報をコントロールした結果、戦争が起き、長引いた。同様に、環境問題を歪曲したい人が情報を自由にコントロールできる世の中は、環境破壊の速度をむしろ速めることだろう。
 報道の現場には、それを分かってコントロールしている人と、分からずに、自分では正義感に燃えて間違った情報を流している人がいるのだと思う。戦争が始まる前もそうだったように。
 
    (08/03/02 執筆)

海外ドラマ面白さの鍵は「英国」

 NHK BS11で放送した『アグリー・ベティ』については、以前、このコラムで「現代の格差社会を正当化しているのでは?」と書いたことがある。「どーせアメリカのドラマだもんな」という先入観があったかもしれない。最初は面白かったのに、回を重ねるごとにどんどん保守社会寄りの視点が目立ってしらけていった『ふたりは最高! ダーマ&グレッグ』(かつてNHK総合で放送)の例もあり、期待していなかったのだが、『ダーマ&グレッグ』とは逆に、回を重ねるごとに話の内容がドロドロしてきて、単なる保守社会賛美コメディではなさそうだと思うようになった。
 このドラマ、実は『ベティ~愛と裏切りの秘書室』という、南米コロンビアでヒットしたドラマが原型となっていて、それをアメリカでリメイクしたもの。
 コロンビアで作られたドラマがアメリカ保守層万歳の能天気視点だったとは考えられない。そういう原型があってこその、あのドロドロぶりだったのね。
 で、出演者も、『エキストラ:スターに近づけ』にレギュラーで出ていたアシュリー・ジェンセンがベティの友人役だし、『エキストラ』と同じリッキー・ジャーヴェイスが主役の英国版『THE OFFFICE』(どちらもWOWOW)の受付嬢役ルーシー・デイヴィスも登場するなど、英国フレーバーも散りばめられている。
 こうした「アンチ米国」要素が、『アグリー・ベティ』を面白くさせているのだろう。
 こうなるとオリジナル版の『愛と裏切りの秘書室』も見てみたいと思っていたら、スカパーの「スーパードラマTV」でやっていた。要チェックか。
 
    (08/03/14 執筆)

「どっきり」のセンスを考える

 いろいろな批判が集中しても、やっぱり「どっきり」番組は見てしまう。人間共通の好奇心、隠れた欲求に訴えるからだろう。
『カスペ!』で「世界のどっきり!ワールドカップGP」なる特番をやった。双子の姉妹が鏡を模した透明ガラスの両側で同じポーズをして、そのとなりに立った人が「鏡に映らない」と思わせるトリックどっきりが秀逸だった。
 しかし、同番組の中で、日本人タレントを引っかけるコーナーがいただけない。ジャリズムの片割れ・世界のナベアツこと渡辺鐘(あつむ)にやくざ風の男二人が絡むというのがあったが、なんのひねりもない、最低レベルのどっきり。ナベアツの芸がオリジナルなのに比べて、悲しいほどセンスがない。
 こうした低レベルどっきりで、芸人の神経はどんどん疲弊していくと思うが、それに耐えられなければテレビでは生きていけないということだろうか。
 別の番組で、ナベアツ自身は、「今、いちばん大事なときなんだから」と、本音をギャグとして漏らしていたが、まさにその通り。「大切なとき」を、低レベルどっきりに安売りしてでも露出回数を稼げばいいとするのか、芸のクオリティを守ってやるのかは、事務所の資質。
 ラーメンズとバナナマンは、かつてはよく一緒に活動していた実力派だが、その後は対照的な歩みを見せている。芸の質を守るためにテレビと決別したラーメンズに対して、バナナマンは「子供時代の貴乃花」の物真似で売れ始めた日村がどっきりタレントのように安売りされてしまった。バナナマン本来の芸がテレビで観られる日は、もう来ないのだろうか。
  (08/03/28 執筆)

現代「おばかタレント」考


 無知・無学・無芸を「売り」にする「おばかタレント」が重宝されている。昔から、おばかを演じるタレントや、おばかが魅力となって人から好かれるタレントというのは存在していたが、実はみんな人並み外れた才能の持ち主だった。例えば、ジミー大西。後に、美術の才能を世に認めさせたことからも、実は頭がいいことは明白だ。
 たこ八郎は左目がほとんど見えないハンディを隠してプロボクサーテストに合格したが、視力検査表を丸暗記していたという。パンチドランカーになり、ボクサーを引退してからはコメディアンとして愛され続けたが、一流の役者や芸人が絶賛する、すばらしい人格者でもあった。
 一方、現在「おばか」として重宝されている若いタレントたちは、芸能界に生き残る術として、おばかな表情、おばかなリアクションといった最低限の「おばか技術」を身につけただけという印象を受ける。
 それでも「おばかで売る」ことは大変なことだろう。それに比べ、自分の能力を実際以上に誇示しながら「おばかいじり」をする芸人の薄っぺらさよ。
 彼らを生み出したのは、おばかタレントという売り方を見つけたテレビ界だが、支えているのは、彼らのおばかぶりを見て喜んでいる視聴者だ。
 演出のないところに偶然生まれるおばかは見ていて楽しいが、最初からおばかぶりを見せることを目的とした番組が企画され、連日おばかの大安売りが繰り返されている今の状況は、決して気持ちのいいものではない。
 そろそろ視聴者も、「おばかタレント」を笑う自分が、実はいちばんバカにされているということに気づいてもいいのでは?
 
          (08/04/10 執筆)

「つまらなさ」を分析する虚しさ


 NHK連続テレビ小説『瞳』の初回視聴率16・5%(関東)は、過去2番目に低い数字だという。しかし、連続テレビ小説の場合、視聴率と面白さは連動していないようだ。前作『ちりとてちん』は近来稀に見る面白さだったが、平均視聴率は15・9%(関東)で、連続テレビ小説史上最低だったそうだから。
『瞳』は3週まで、じっと我慢して見続けた。が、4週目に入る前で、ついに投げ出した。
 つまらなさを脚本のせいにするのは簡単だけれど、それだけなのだろうか。こうした脚本を「書かせている」見えない「意志」のようなものを感じるのだ。
「町が子どもを育てる」とか「世代を超えたコミュニケーション」とか「家族の再生」とか、お役所のパンフレットを見ているような気がする。
 実際、このドラマは随所に「視聴者を教育する」的な目線や姿勢が感じられる。テーマを持つのは創作の基本だが、そのテーマに魂がこもっていなければ人の心を揺さぶることはできない。なによりもテレビドラマというのは「面白い」ことが大前提。エンターテインメントにできないのなら、ドキュメンタリーのほうがよほどいい。
 NHKで面白いと思う番組は、たいていスタッフロールが短い。つまり、スタッフの数と番組の質が反比例する傾向がある。
 これは想像にすぎないが、大河ドラマとか連続テレビ小説のようなNHKの看板ドラマには、偉い人たちの「意向」「趣向」が強く働き、最初から「こうあるべき」という理想像が存在するのだろう。その見えない「意志」の大きさを考えると、むしろ現場のスタッフや役者たちに同情的になってしまうのである。
            (08/04/21 執筆)

視聴率の本当の意味とは?

 前回、「NHKの連続テレビ小説は視聴率と面白さは連動していない」と書いた。朝、NHK総合をつけておくのは「時計代わり」の人が多い。ドラマの内容が面白いと思ったら、中途半端には見ず、録画して後からじっくり見ようとするはずだ。つまり、面白さの指標は視聴率ではなく「録画率」に現れる。
 現在、業界がいちいち大騒ぎしている視聴率は、ビデオリサーチ社が行っており、測定サンプル数は、関東地区、関西地区、名古屋地区が600、それ以外の地区は200にすぎない。
 たったこれだけのサンプル数で正確な視聴率など分かるのかという議論は以前からあったが、今なお、これに代わるシステムというものが出てきていない。
 生の視聴率以外に「録画率」もある程度調べているようだが、これはあまり顧みられていない。なぜなら、録画した番組を再生して見る場合、ほとんどの人はCMになると飛ばしてしまう。広告主は「録画率の高い番組はCMを見てもらえない確率が高い番組である」ということになり、生で見ている人が多い番組に広告を出そうとする。
 つまり、視聴率というものは、視聴者とは関係なく、テレビ番組に広告を出している企業のために存在していると言える。
 生で見る人が多い番組のメインはスポーツなどの生中継だろう。これは視聴率の高さがかなり正確に番組を見た人の数に関係してくる。しかし、それ以外の番組では、「てきとーにだら~っと見ていればいい」番組ほど視聴率が高くなるだろう。
 かくして、視聴率至上主義で番組が作られれば、「録画するほどではない」「見応えのない」番組が多くなるわけだ。
      (08/05/09 執筆)

サイクロンと地震・注目度の差

 5月2日夜、ミャンマーを襲ったサイクロン「ナルギス」による被害者は、死者・行方不明者が13万3000人、被災者総数は200万人を超えるらしい(5月18日の国連発表による)。
 この大災害はしかし、5月12日に中国四川省で大地震が起きた後は、相対的にあまり報道されなくなっていった。中国のほうが日本人になじみが深い国で、オリンピックも控えていることから関心度はそちらのほうが高いということなのだろう。しかし改めて「ニュースの価値」というものを考えさせられた。
 ミャンマーは軍政が敷かれ、自由に取材ができないこともあって、日本人にはあまりなじみがない。漠然と小国のイメージを持っている人が多いと思うが、実際には国土は日本の1・8倍もある。人口は5322万人。5322万人の中の13万3000人は、1万人あたり25人だ。
 一方の中国。国土は日本の約25倍で、人口は10倍の約13億人。
 四川大地震の死者は5万5000人超、行方不明者約2万5000人と発表された(5月23日時点)。合計すると8万人だ。
 13億分の8万は1万6250分の1。1万人あたり0・6人に相当する。乱暴な計算だが、「国民総数あたりの死者・不明者数規模」は、ミャンマーのサイクロン被害のほうが中国四川大地震の40倍以上なのだなあ、などと考えてしまった。
 さて、こんなときにテレビの役割は? カンガルー募金も結構だが、まずは世界を「知る」ことが大切だ。せめて、こうした機会に、日本人がミャンマーや四川省について、その位置や文化などをもっと知る助けとなるような「心のある」報道をする努力をしたらどうだろうか。
 
          (08/05/23 執筆)

『お試しかっ!』は続いてほしい

 春から登場した数あるお笑い新番組の中で、いちばん頑張っていると思えるのが『お試しかっ!』(テレビ朝日系)だ。
 タカ&トシをホスト役に据えているが、実はこのポジションは誰でもいい。番組そのものの企画に気合いが入っているので、面白いのだ。ただし今のところ打率は3割強というところか。
 初回の『もしも相方が別の芸人になったら?』、2回目の『お試し新ネタマーケティング』はこの番組本来のコンセプトを踏襲していて、気持ちのいいクリーンヒットだった。
 それに比べると、『お試しグルメ!冒険レストラン』は凡打。『もしもどんな状況でもすっきり目覚めなければならなかったら?』は、タカに1週間密着して毎朝寝起きを襲うという、よくあるいじめ企画で、これは三振。女装コンテストはそこそこ楽しめたので振り逃げ、というところか。
 感心したのは『新ネタ~』の審査員に20代から50代の一般男性を揃えたところ。『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)をはじめ、この手の審査員は若い女性が多く、芸人の顔で選んだり、内輪ネタが大うけしたりして、おのずとネタそのものの水準が低いところで採点されがちだ。その点、「全員大人の男性」というのが実に気持ちよく、案の定、納得の採点が出る。
 いっそこの「大人の一般男性によるお笑い選考」というコンセプトで大きな特番を定着させたらどうだろうか。
 やればできるじゃないかと思わせるこの番組、どうか謙虚な姿勢でこれからも気合いの入ったお試し精神を発揮してほしい。
 深夜のお笑い番組ルネッサンス……となれば、いいねえ。
 
      (08/06/05 執筆)

地方局が生き延びるための道

 地元(福島県)のローカル局からメールがあり、夕方の情報ワイド番組の中で狛犬特集をやりたいので協力してほしいとのこと。20分のVTR+5分の生中継のために、結局、3日間もつき合ってしまった。
 田舎ではこうした仕事での移動距離が半端じゃない。ロケの集合場所まで家から85km。1日で200km近く走った。
 しかし、それだけ苦労して作った特集は、平日の夕方4時からという、昔なら放送休止の時間帯に流れるだけ。一体何人が見たのだろう。もったいない。
 地方局とキー局の資金格差はあまりに大きい。2011年にアナログ地上波が本当になくなるとしたら、その後は地方局は財政破綻し、合併を繰り返しながらじわじわと消滅していくと予測する放送関係者もいる。
 地方局制作番組には面白いものがたくさんある。また、都会に出てきた地方出身者たちは、故郷の情報に接したいという思いがあるはず。この際、全国の地方局は一致団結して「地方発信番組を全国に届ける」ことを本気で考えたらどうか。
 衛星放送利用が難しければ、インターネット配信でもいい。視聴者がいつでもダウンロードして見られるシステムを築くことはそれほど難しくないはずだ。
 繰り返し、時間を超えて見られるとなれば、個々の番組作りもていねいになり、テレビ文化向上にも結びつくだろう。
 スポーツ中継など、リアルタイム配信はキー局に任せ、地方局は腰を据えて見応えのある番組作りをめざす。ネット配信の中に地元企業のCMを入れていくことも技術的には可能なはず。
 このくらいの改革を本気で考えないと、手遅れになるだろう。
        (08/06/21 執筆)

愛のない中継、心のない解説

 今年の陸上日本選手権は8月の北京オリンピックの代表選考会になっていた。放送はNHKのみで、総合とBS-hiでやったが、あまりに心のこもっていない中継、編集に唖然とした。
 男子5千メートル、1万メートルはダイジェストさえやらない。一旦引退を宣言しながら現役復帰した朝原宣治(36)が出る100メートルの予選もやらない。女子5千メートルは、A標準記録を持つ小林祐梨子(19)が、日本記録保持者の福士加代子、ママさんランナーの赤羽有紀子、1万メートル日本記録保持者の渋井陽子らを相手に優勝して代表を決めた注目のレースだったが、これも放送なし。
 一体何を考えているのか。陸上を知らない、愛していない人間が、適当に「これとこれを入れておくか」というノリで編集したとしか思えない。
 心がないといえば、『News Watch 9』(NHK総合)のコメンテイターもひどい。国語の試験における「○字でまとめなさい」的な言葉を読み上げているだけで、コメントでも解説でもない。もとよりNHKのニュース番組では、突っ込んだ解説や意見などは望めなかったが、ここまで極端だと、「バカにしているのか」と言いたくなる。
 視聴率に媚びないのがNHKのよさだが、媚びないことと「思い入れがない」こととはまったく違う。「あたりさわりのなさ」に逃げるだけでガチガチに固めた心のない番組作りや、愛や情熱のない編集、編成はもううんざりだ。制作現場のひとりひとりが情熱を持つのはもちろん、上の人間に、現場の情熱を解き放たせ、それを見守る懐の深さを望みたい。
        (08/07/04 執筆)

『笑・神・降・臨』を定番化せよ!

 7月12日深夜、NHK総合で『笑・神・降・臨』という番組が放送された。29分間、1組のお笑い芸人がみっちりネタを演じるというコンセプトで、登場したのはバナナマン。演じたネタはすべて見たものだったが、そこは実力派のバナナマン、やはり何度見ても面白い。ああ、ようやくまともなお笑い番組が出てきたかと喜んだのだが、実はこれ、『番組たまご』というテスト制作番組プロジェクトの中でのもので、定番化するかどうかはまだ分からないらしい。
『番組たまご』からは、イマイチな番組がいっぱいレギュラー化していったが、中には、『ドキュメント72時間』や『サラリーマンNEO』など、良質の番組も生まれている。
『笑・神・降・臨』は、なんの変哲もないお笑い番組である。実力派芸人に30分時間をあげましょうというだけのこと。しかし、そのあたりまえのことが、現代のテレビ界では実現できなくなってしまっているところが大問題なのだ。NHKがわざわざテスト番組として視聴者にお伺いを立てなければならないほど、あたりまえのお笑い番組が絶滅してしまっているということを改めて知らされた思いだ。
『笑・神・降・臨』は確実に定番化してほしい。次はラーメンズ、おぎやはぎ、東京03あたりが続くかな。さらに欲を言えば、1時間枠にまで拡大して、柄本明・ベンガル・綾田俊樹の東京乾電池精鋭ユニット、シティボーイズ、ラサール石井・小宮孝泰・春風亭昇太・清水宏のユニットなども見たい。
 なにより大切なのは出演者の質を守ること。同じ芸人に、新ネタを持ってくることを条件に、何度でも登場してもらえばいい。
 
  (08/07/16 執筆)

ドラマがみんなワンパターン?

『ちりとてちん』『瞳』『乙女のパンチ』(いずれもNHK)に共通していることがある。サブキャラクターのひとりが、肉親の死にまつわって誰かに恨みを抱き、それを芸やスポーツにぶつけて一種の復讐に燃える。
 主人公は同じ芸やスポーツを志しているが、サブキャラの間違った動機を諫め、対決する。
 最後はわだかまりが解けて、「憎しみで突き進む道の果てに幸せはない」といったメッセージが浮かび上がる……という物語構造。隣人たちの友情・愛情が、これでもかと盛り込まれるのも特徴。この原稿を書いている段階で『瞳』はまだ終わっていないけれど、最後は確実にそういうハッピーエンドになると、誰もが予想しているはずだ。
 ワンパターンが必ずしも悪いとはいわない。でも、こう毎回同じ物語構造では……ねえ。
 人気タレントに寄りかかり、リアリティのないドラマを作り続ける民放と、道徳の教科書的ドラマを量産するNHK。そのどちらでもないドラマが見たい。
 ひたすら人間描写に徹し、結論や主張を押しつけない、かつての向田邦子脚本ドラマのようなものは、現代ではもう出てこないのだろうか。
 5月にテレビ東京で放送された『本当と嘘とテキーラ』(山田太一・脚本)は、「そのどちらでもないドラマ」の1つだった。でも、山田太一のような超ベテランに頼らなければ、もはや大人が見るに堪えるドラマを作れる土壌がないのか、と、危機感を覚えた。
 そんな中『ちりとてちん外伝 まいご3兄弟』(NHK)はやっぱり面白かった。NHK体質?の下でもしっかり力を発揮する藤本有紀の脚本力はすごい。
        (08/07/31 執筆)

五輪中継の隣で戦争記録を見る

 8月のBS。北京オリンピック中継番組が流れる隣で、NHK BShiでは、『戦争証言プロジェクト シリーズ証言記録 兵士たちの戦争』を連夜のように放送していた。隣のチャンネルでは金メダルだ新記録だと絶叫しているときに、炎に包まれてのたうち回る兵士の姿や無惨な死体が並ぶ映像が流れる。なんとも不思議な感覚だった。
 気がつくと、チャンネルは戦争証言特集に固定されていた。
 太平洋戦争とはなんだったのか。体験した人たちはどんどん亡くなっている。この時期、NHKが本気で「証言」を集め始めた、このプロジェクトは、高く評価されるべきだ。
 ところで、2011年以降、NHKのBSは2チャンネルのみになり、今のBShiのチャンネル分を民放に明け渡すという話があるらしい。そうなると、いよいよまともな番組は放送されなくなるかもしれない。
 そもそも、アナログの衛星ハイビジョン放送がとっくになくなり、地デジも始まっている今、「BSハイビジョン」という呼び方はどうなのか。
 また、今までのBShiの番組編成を見る限り、「なんとなく一般受けしそうもない」という色合いのものが多かった。『戦争証言』シリーズにしても、戦時中のフィルムから起こした粗い映像がハイビジョンで放送される意味合いは薄い。ハイビジョンだのなんだのにこだわらず、単純にNHKBS1、BS2、BS3として、豊富なラインアップを誇っていれば、民放に明け渡すようなことにもならなかったのではないか。整合性や緊張感を感じられない番組編成を放置してきたことに問題があると思うのは、私だけだろうか。
          (08/08/15 執筆)

経済解説の視点はどこにある?

 厚生労働省の所得配分杯調査によれば、1984年時点で、日本人の所得上位20%の合計は下位20%の合計の13倍だったそうだ。それが2002年には168倍になり、今なお、この格差は急速に拡大している。
 日本の国債(国が債券を発行して国民から金を借りる借金方法)はすでに償還不可能な額に達している。この借金で、日本はアメリカの国債を買ってアメリカの借金返済を助けている。
 ゼロ金利で得をしているのは銀行と、国債の金利も低く抑えられる国。銀行から低金利で金を借りられる大企業も、経営規模をさらに拡大できる。当然のことながら、その裏には、本来もらえる金利を奪われている一般預金者がいる。こうして格差はさらに広がる。
 これだけでたらめな経済政策がとられているのに、報道番組できちんと伝えられることはない。経済ニュースの解説では常に「○○銀行××研究所アナリスト」だの「△△証券経済資料室研究員」だのという肩書きを持つ人たちが出てくるが、この人たちは拡大する格差社会の上位に位置する高給取りであり、毎日の暮らしに少しも困っていない人たちである。
 こういう「経済強者」が解説する経済ニュースに、国や大企業経営者にとって「不都合な真実」が浮かび上がってこないのは当然のことだろう。
 報道番組に言いたい。経済強者に不都合なことを適当に覆い隠すような解説者しか使わないのであれば、「解説」しなくて結構。もっともらしい解説を見ている視聴者は、なんとなく「それでも日本国は大丈夫」という暗示にかけられてしまう。それがいちばん怖い。
          (08/08/31 執筆)

「街角の声」は本当に必要か?

 福田首相の「やっぱりね…でもひどすぎるね」辞任会見後、テレビでは連日、次期衆院解散・選挙関連の報道がにぎやかになっている。
 この手のニュース報道があるたびに思うことなのだが、「ここで街角の声を聞いてみましょう」という、例の街頭インタビューは、本当に必要なのか?
 顔は露出しているものの、匿名に近い通行人にマイクを突きつけ、適当な発言のみを拾い、それをニュース番組制作サイドで選別・編集して流しているわけで、大した内容の発言に出逢うことはない。
 いわゆる爆弾発言や、報道側に少しでも都合の悪い発言は事前にカットされる。結果として、最終的に流れる「街角の声」なるものは、報道番組制作側が、こんな発言で埋めておけばいいだろうと判断している概要が透けて見えるだけで、報道価値があるとは思えない。
 だらには、負の面としては、視聴者の中には本当にその「街の声」が、標準的な世論を反映していると思いこむ人がいるということだ。つまり、報道する側が、「街の声」という責任の所在がない道具を使って、世論操作、マインドコントロールをすることも可能だ。
 おそらく、報道側としては、そこまでの意識はなく、「街の声をこのへんで30秒入れるのが鉄則だから」という、暗黙のルールに従っているだけだろう。
 いずれにせよ、これは、報道が責任ある論客を用意できない、報道機関としての主張を明確にできないことからくる責任逃れ、怠慢だ。そして、まさにその怠慢はこの国の国民性でもあり、現在の末期的政治体質を生んだ根本原因と言えるのだが。
        (08/09/11 執筆)

ドラマはオンデマンド配信で

 NHKの連続テレビ小説は、朝7時半(BShi)、朝7時45分(BS11)、朝8時15分(総合)、昼12時45分(総合)、夜7時30分(BS11)と、1日5回放送した上で、さらに土曜日には1週間分まとめて(BS11で朝9時30分~11時)放送している。特に、朝は7時半から8時半の間の1時間に3回同じものを放送しているのである。
 そもそも、朝の忙しい時間帯にテレビドラマをじっくり見られる人は限られており、本当に見たい人は録画して見ている。(それ故、連続テレビ小説の視聴率は人気度と反比例して出るのではないか、という話は以前にもここで書いたとおり。)
 同様に、大河ドラマも何度も繰り返し放送される。9月終わりからは、「宮崎葵特集」として、『瞳』と『純情きらり』をBShiで毎晩放送している。
 NHKのドラマを楽しんでいる人は多いが、ドラマという即時性のないコンテンツをこうまでして何度も放送するよりは、さっさとネット配信システムを作り、いつでも好きなとき、好きなものを視聴できるようになったほうがはるかにいいのに……と思っていたら、12月から「NHKオンデマンド」という配信サービスが開始になるとか。
 ひかりTV、アクトビラ、J・COMなど、配信メディアも環境に応じて選べる。
 こうなると、今後はリアルタイム視聴はますます減っていくはずで、1時間に3回同じ番組が流れているという今の状況も変わるだろう。また、民放キー局や地方局をも巻き込み、テレビの視聴スタイルが激変していく予感がする。
 視聴スタイルが変わることで、番組の質も上がるといいのだが。
 
      (08/10/01 執筆)

『キングオブコント』の惨劇

 10月5日に生放送された『キングオブコント』(TBS系)は、番組そのものが一種の「放送事故」だったと思う。
 プロアマ問わずでコント日本一を決めるという、M1、R1を意識したコンテスト。2146組が参加したそうだ。
 1回戦から準決勝まではTBSのプロデューサーと放送作家が審査員をつとめたが、勝ち残った8人が競う決勝では、負け残った6組を審査員にして、立ち上がらせ、声に出して優勝させたい組の名前を言わせた。
 優勝を審査された2組は、バナナマン(ホリプロコム)とバッファロー吾郎(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)。
 で、負け残った6組のうち4組がよしもと所属。TKOは松竹芸能だが、よしもとの強大な力を嫌と言うほど知っているベテラン(結成18年)である。彼らが、この世界で自分たちを少しでも危うくするような行動(よしもとの意向に反した裁定)をするはずがない。「優勝はバッファロー吾郎です」と、振り絞るような声で言う芸人たちの姿の、なんと惨めだったことか。お笑い番組でこれだけ気分が悪くなったことはかつてない。
 しかし、もっとショックだったのは、インターネット上には、「どっちでもいい」「バナナマンも使い古したネタでつまらなかった」といった書き込みがいっぱいあったことだ。
 どちらが面白かったかということではない。芸人に踏み絵を踏ませるという、人間として、いちばん見たくない映像を放送してしまったこと。そして、この審査方法をごり押ししたという、よしもとの一芸人の暴走を、テレビ界の誰も止められなかったことが、一番の問題なのだ。
 
            (08/10/10 執筆)

NHK時代劇の衣装はどこから?

 NHK BS-hiで毎日(月~金)、『篤姫』を第1回から放送し始めたので、録画して見ている。地デジが永遠に来そうもないような山奥に住んでいるので、BSハイビジョンで『篤姫』が見られるのは嬉しい。(ちなみにBS11で放送される『篤姫』は16対9のワイド画面ではあっても、ハイビジョン放送ではないので画像が甘くなる)
 当初から、台詞があまりに現代語調でリアリティがないといった批評もあったが、史実を参考にしたフィクションのドラマとして楽しめばいいのである。
 感心するのは、衣装や小道具のクオリティだ。着物の柄のセンスのよさは、民放時代劇では到底真似できない。新しく作っているとしたら素材はなんなのだろう、もし古いものならどこから調達しているのだろう、などなど、興味は尽きない。
 小道具の質感やデザインにも注目だ。篤姫が碁を打つシーンがたびたび出てくるが、生家である今泉島津家で打っているとき、江戸の薩摩屋敷で打っているとき、大奥に入ってから打っているとき……と、すべて碁盤と碁石が違っている。
 江戸薩摩屋敷で直五郎と碁を打つシーンでは、碁盤の側面の塗りや、碁盤についた細かな引っかき傷、白い碁石のいくつかについている筋状の模様などに目がいった。白い碁石のいくつかに粗い模様(貝目という)が出ているのは、貝(たいていは蛤)の品質が均一ではないことを意味しているのだが、大奥に入ってからの碁石はすべてきれいな白だった。グレードアップしたわけである。
 こういうところを見て楽しめるのも、NHK時代劇ならではと言えるだろう。
  (08/10/23 執筆)

芸能界「いい人大賞」はこの人!

 突然だが、大林素子には驕りというものが一切感じられない。お笑いが好きで、マニアックな芸人情報にも精通しているらしいが、最近びっくりしたのは、バナナマンが30分間みっちりコントを披露した『笑・神・降・臨』というNHKのテスト番組。
 宮沢りえと食事ができそうなチャンスが急に巡ってきた一般人の男(バナナマン日村)が、テンパりまくった挙げ句、その話が流れ、「代わりに大林素子と食事はどう?」と言われ、「う~~ん」と悩むというオチ。
 こういうオチに名前が使われる大林素子も災難だと思うのだが、なんと、この番組ではその後、実際にレストランでバナナマンと会食する実物の大林素子が登場した。
 ほんの数秒のショット。それも、ひどいオチに使われているにも関わらず、ジャージ姿の日村の隣で、正装した大林はにこやかに食事をしていた。
 かと思うと、『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日系)では、巨大なソファだの巨岩だのというネタのとき、大きさを示すために大林素子が一緒に出てくる。これも10秒もないような映像。それだけのためにわざわざかり出されているのだが、やっぱりにこやかに笑っている。
 モータースポーツが好きで、小排気量の市販車を使ったレースでは、「Mito nattoレーシング」なる茨城の族まがいの名前のチームのピットに入り、スタッフと同じTシャツを着てステッカーを売る。
 自分のブログでは、顔が大きくひしゃげて写っているケータイ写真をなんのためらいもなく載せている……。
 これはもう、芸能界の泥沼に浮かぶ蓮の花のようではないか。
 大切にしてね、ホリプロさん。
  (08/11/07 執筆)

デジタル放送録画のストレス

   年末年始は、いつにまして留守録画をしたり、録画した番組をDVDにコピーして整理したりすることが多くなると思うが、デジタル放送、デジタル録画の時代になって、便利になった反面、今までにない種類の不便やストレスが生じている。
 一つは録画機の内蔵チューナーにもB-CASカードを入れる必要があるため、WOWOWやスカパー!e2などの契約をしている人は、録画機に契約登録してあるカードを入れると、テレビでの直接受信ができなくなることだ。せっかくテレビにデジタルBSチューナーが内蔵されているのに、WOWOWやスカパーをリアルタイムで見るにはいちいち録画機からの外部入力に切り替えて見なければならないという、実に理不尽な不自由を味わうことになる。
 もう一つは、ハードディスクレコーダーに録画した番組をDVDにコピーして保存したくても、滅茶苦茶面倒なこと。従来はコピーワンス規制のかかった番組でも、「移動」コピーなら可能だったが、現在は、コピー先のDVDディスクがコピー制御(CRPM)対応のディスクでなければ移動コピーも受け付けない。ディスクそのものの種類だけでなく、ディスクのフォーマット方法がいくつもあり、高画質対応でフォーマットしたディスクは従来のDVDプレイヤーでは再生できない。従来の機器はゴミと化してしまうのだ。
 これだけ複雑なことになってくると、電気店の店員やメーカーの社員でも完全には把握しきれていないのではないか。
 テレビ番組を録画して個人で楽しむのは普通の権利だが、それさえ、大変な知識とお金が必要な時代になってしまった。
 
 (08/11/27執筆)

『祝女』のレギュラー化に期待!

    『サラリーマンNEO』(NHK)が今イチマンネリ化してきたかなあと思っていたら、同じスタッフが女性出演者だけを起用した『祝女~SHUKUJO~』というのを作った。番組たまご(レギュラー化する前のテスト放送的番組)での初回放送を見たが、これはいける。09年はぜひこれがレギュラー化することを期待したい。
 女性出演者だけのコントというかショートドラマ集という体裁。
 出演は、
 友近◆◆市川実和子◆佐藤めぐみ、小出早織◆臼田あさ美、松木里菜◆◆YOU。
 この面々、NHKの番組サイトでは五十音順に並んでいるが、実際の放送ではこの順番でエンドロールが流れた。◆は「空き」を表している。つまり、友近と市川の間に大きな空き。佐藤と小出、臼田と松本は並んで表示、最後にまた大きな空きがあってYOU。NHK内の序列としてはYOU、友近、市川……の順らしい。友近は出世したのだなあと感心。あるいは所属事務所の力関係かな。
 脚本は、劇団宝船主宰で女優でもある新井友香と、女性ばかりのテレビ番組制作会社「ベイビー・プラネット」代表のたむらようこ。かっこいいオープニングタイトルなどのデザインやCGは美貌と実力を兼ね備えた映像作家・笠原紗千子……と、中心的スタッフも女性で固めている。これが功を奏したか、『サラリーマンNEO』よりも抑えた作りが成功している。
 べつに女性で固めると面白い番組ができるとは思わないけれど、連続テレビ小説や大河ドラマも、このところ女性脚本家のほうが力があるし、09年、NHKではますます女性パワーが目立つことになる予感がする。
(08/12/03執筆)

小便スタイルに見る時代の流れ?

     数年くらい前だろうか、何かの番組で「最近、小便を座ってやる男の子が増えた」という話題を扱っていた。男の小便は立ってやるのが「常識」という視点からの話で、それの延長で、「修学旅行でパンツを穿いたまま風呂に入る生徒がいる」というような話も紹介されていた。「ありえないよね~」ということで話題になっていたわけだ。
 で、先日、『ありえへん世界』(テレビ東京系)を見ていたら、ボツネタ特集というのをやっていて、その中で、進行役の宮崎哲弥と関ジャニ∞の3人が「洋式便器に小便をするとき、立ってするか座ってするか」という話で盛りあがっていた。これが一旦は放送の際にボツにされたのは「ジャニーズはシモネタ禁止だろう」という判断からとか。
 で、宮崎が「あれ、立ってする? 座ってする?」と関ジャニに振ると、3人は全員「ぼくは座ってする」「オレも座りション」「絶対座る」と、座り派を強調。へえ~、と見ていたら、宮崎が「そうだよね~。オレも座ってするんだけど、年長の方からは『え? 立ってしないの?』って驚かれる」と応じていてさらにびっくりした。宮崎がさらに、スタジオで見学していた一般視聴者(の若い男の子たち)に向かって確認すると、ほとんどの男の子が「立ってする」派だと判明(だよね~! ←私の心の声)。それに対して関ジャニのひとりが「座るやろ? 立つの!? わんぱくやな~!」とツッコミを入れて終わった。
 う~む、これが時代の流れというものなのかと、改めてびっくりした私は50代。宮崎氏よりは7歳「年長の方」である。
 さてあなたは? あ、TLの読者の多くは女性でしたね(汗)。
(08/12/18執筆)

■ここに収録したのは提出原稿の控えで、最終稿では一部訂正が加えられている場合が多いです。
 縦書き原稿のため、二桁算用数字は半角、その他の数字やアルファベットは全角になっていて、横表示にすると若干読みづらいですが、ご容赦を。
 年末年始は、執筆時期が早いため、掲載号が越年しています。



『神様Aはベジタリアンだった』に続く幻の作品↓



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