朝からずっと強い雨。これはもう絶対人は集まらないだろうなあ。身内と主催者だけで4~5人の雑談になるんじゃないかと思っていたら、20人くらい集まった(主催者発表)。
テレビカメラまで来ていたのにはびっくり。
今日は朝、6時くらいに目が醒めてしまった。無意識のうちに気になっていたことが頭の中でまとまり、起きてしまうことがたまにある。本の校正のこととか。
外部被曝と内部被曝のこと、なぜか朝、頭の中で「ああ~、そうかあ……」と思うことがあり、そのまま目が冴えてしまったのだが、ネコに朝ご飯あげていたらなんだか忘れてしまった。
ぼんやりと思い出すまままとめてみると……。
まず、ストロンチウムやプルトニウムが飛散・拡散していないというのは怪しいのではないかということ。
プルトニウムはアルファ線核種だから、検出は非常に難しい。4月のはじめ頃だったか、敷地内でプルトニウムがごく微量検出されたというニュースが流れてからは、プルトニウムのプの字も聞かない。
本当だろうか?
プルトニウムは重いから飛ばないのだという説明がよくされるが、これもどうもすんなりとは信じられない。煙だの微粒子にくっついて飛んでいくのなら他の核種と同じではないのか。量がごく少なかったとしても、ほんの少しでも飛散していれば、それを吸い込んだら致命的なんじゃないか。空間線量がどうのなんてことはどうでもよくて、これを吸い込んだらアウト。ということであれば、これはもうくじ引きみたいなもので、運の問題になる。そういう論じられかたをすると困るので、ひたすらプルトニウムやストロンチウムの話を出さないのでは?
内部被曝の怖さというのは、線量やベクレル値だけで語っていてもダメで、むしろ確率の問題(微量であってもプルトニウムのように吸い込んで肺に吸着したらアウト。つまり%ではなく、○か×か)になってくるのではないか。
だとすれば怖い。これがいちばん怖い。計算できないのだから。
食品汚染についても、セシウムばかり計っているが、ストロンチウムは本当に出ていないのか?

↑プルトニウムやストロンチウムは検査していない
問題は内部被曝なのに、いつまで経っても空間線量の話が中心になっているのは、うまくごまかされているだけなのではないか。
除染除染と騒いでいる人たちのほとんどは、中身が分かっていないように思う。
空間線量を下げるための除染などほとんど意味がない。除染作業で、定着していた放射性物質をまきあげたり浮き出させたりして、身体への付着や吸引の危険性を上げてしまうことのほうが、実質的なリスク増大に結びつく。マスクもしないで舗装道路を剥がしているシーンなどを見ると、おいおいおい、わざわざ金をかけて内部被曝のリスクを上げているだけじゃないの? と思う。
線量の高い場所には放射性物質もそれだけ多く付着している。だから鼻や口から取り込んでしまう可能性も高くはなる。でも、放射線そのものは、もうある程度無視するしかない。除染除染と言っている人たちは、怖がる対象を間違えている気がする。
半年経って、いっぱい雨も降り、風も吹いた。それでもへばりついている路上のセシウムは、そうとう頑固にこびりついている。放っておいてもそこにくっついているだけなら大した問題ではない。そこから出ているベータ線は大した距離飛ばず、靴や服で遮られる。ガンマ線を外部被曝したところでどうということはない。そのままそっとしておけばいいじゃないか。
やるなら保育所や学校など、子供の生活圏のホットスポットを消すという除染。これは絶対に必要だから、しっかりやり方を考えた上で早急にやる。子供は泥だらけになって遊ぶし、平気で汚れた手を口に持っていくからね。触らせないようにするには、触らせたくないものを取り除くしか方法がない。
だけど、削った土を敷地の隅に山のように積み上げてブルーシートかけただけなんてのでは意味がない。作業する人の内部被曝を避けることと、作業後に出た放射性物質を含んだ土やゴミをどこに運び、保管するのかも課題。
問題はあくまでも内部被曝なのだから、同じ金をかけるなら、プルトニウムなどの危険な核種の検出徹底と、農水産物の検査態勢の大幅強化といった方向こそ緊急だし重要だ。
今の状態ではサンプルの抽出数が少なすぎるのは明々白々。
すでに我々は内部被曝は確実にしているのだから、いかにそれを減らすかを考えないといけない。
チェルノブイリのときの海洋汚染による魚の汚染は、漏出6か月後がピークだったという。3月の6か月後はまさに今だ。検査態勢は間に合っているのか?