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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ リターンズ』

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 2004年1月~6月執筆分

NHK教育テレビ番組大改造計画

 放送法というものがある。第一章総則の冒頭では、次のような原則が掲げられている。
1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。
3.放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
 放送法の理想に反し、日本のテレビはおかしな方向に突き進んでいる。広告収入と視聴率で動いている以上は、どんなによい番組を作ろうとしても、悪貨は良貨を駆逐するの図式で、現実的には期待できないだろう。
 例えば、日本が戦争に巻き込まれる可能性がでてきたこの時期に、多くの日本人は中東の国々の歴史や文化を知らない。なぜ彼らがアメリカを憎むのかが分からなければ、真の「国際貢献」「人道支援」などできるはずがない。上っ面だけの報道をするのではなく、日本人が本当に世界の真実を知るきっかけとなるような番組を、1つくらいは放送できないものか。
 唯一残された可能性は、NHK教育テレビかもしれない。最近では教育テレビの番組もずいぶん垢抜けてきた。大胆な発想の転換で、「大人を教育する」チャンネルにしていけないものだろうか。「○○講座」というようなお役所的なものではなく、娯楽性やセンスを重視した質の高い情報番組作り。力のある制作者が何人か現れれば可能だと思うのだが……。
(2004/01/07)

アマチュアスポーツとスポンサー

 ジャンプの葛西紀明が元気だ。1月10日のHTB杯、11日のSTV杯、12日は日本初のノックアウト方式(2人ずつ対戦して勝ち残った3人が優勝を争う)のHBC杯と3日連続で優勝。長野オリンピックでは、日の丸をつけた同僚たちの前にテストジャンパーとして飛ぶという屈辱を味わったベテラン。このまま調子を持続させてほしい。
 HBC杯は優勝賞金百万円が出たが、インタビューで「何に使いますか?」と訊かれると、すかさず「土屋ホームで家を建てたいので、その頭金にします」と、所属企業のPR。実はこれがいちばん印象に残ったシーンだった。露出度が少ないスポーツだけに、金を出してくれている企業に対しては切ないくらい気を遣うのだろう。この一言で、会社から金一封くらい出たのかしら。
 ジャンプだけでなく、陸上競技なども、世界レベルの選手でも食べていくのは大変なこと。野球やサッカーなどに比べると格差が大きすぎる。
 全国都道府県駅伝には中学生区間、高校生区間というのがある。そこでは、中学生、高校生が、大会スポンサーの名前が書かれたゼッケンをつけて走る。義務教育の子供が企業の広告塔として走ることになり、結構「教育上」ビミョーな感じがする。NHKといえどもモザイクをかけるわけにはいかない。文句をつけている人はいないようだが、どうなんだろう。
 まあ、世の中すべて金なのよ。企業が金を出さないとスポーツもできないのよ、という現実を教える教育効果はあるのかもしれない。
(2003/01/22)

学歴詐称問題よりもっと大切なこと

 古賀潤一郎氏(元民主党)の学歴詐称問題は、かなりの長期に渡り、各メディアの報道リソースを大きく占有した。
 4年間通ったが卒業していない大学を略歴の中で「卒業」としてしまったことは、確かに詐欺だし、公選法に違反する犯罪だろうが、あそこまで大騒ぎするようなニュースだったのだろうか?
 はっきり書けば、古賀氏が2枚目キャラクターでなければこれほどのニュースバリューは持たなかっただろう。昔で言えば「3高」(高学歴、高収入、高身長)を満たしている上に、元プロテニスプレイヤー。選挙区での相手が女性問題でスキャンダルを抱えていた山崎拓元自民党副総裁だったことも手伝って、選挙前から週刊誌などでも注目されていた。
 そして当選。山拓は落選で副総裁辞任。あまりに順調なシナリオの最後に、お粗末などんでん返しがあったため、庶民の興味を引いてしまった。
 しかし、注意したいのは、この騒動の間に、自衛隊のイラク派遣など、政治の世界では日本の歴史を変える重大なことがどんどん進められていたということだ。古賀氏が大学を卒業していようがいまいが、日本の未来には関係ない。そのことでアラブゲリラの恨みを買うこともない。同じくらいの報道時間を割く意味があるはずがない。
 私たちの心の奥底には、他人の落ち度や凋落を、どこかで楽しんでいる闇がある。その間に、自分の身に降りかかるかもしれない大きな問題から目をそらされているのかもしれない。民主党としても皮肉な結果だったろう。
(04/02/04)

いくらなんでも出過ぎだよ爆笑問題


 爆笑問題は好きな芸人ユニットの1つだ。
 88年にコンビ結成だから、もう16年になる。93年から翌年にかけて『GAHAHAキング爆笑王決定戦』(テレビ朝日)で初代10週勝ち抜きチャンピオンになってからようやく注目され始め、今や最もテレビで目にする芸人になった。
 僕は、彼らがまったく売れない『GAHAHAキング』以前から注目していた。それだけに、突然売れ始めたときには、太田光のバラ売りと、芸をやる時間がなくなることの2つを心配していた。
 前者は今のところ杞憂に終わっているし、田中裕二のツッコミとしての成長ぶりもめざましい(かつて『タモリのボキャブラ天国』で執拗な田中イジメをしていた金谷ヒデユキなどは、今頃猛省しているかな)。
 しかし、後者の心配はやはり現実になった。テレビで爆笑問題を見ない日はなくても、二人の漫才はすっかり見られなくなった。あれだけレギュラー番組を抱えてしまえば、新ネタを作る余裕などとうていない。過去のネタをやっても、パワーは確実に落ちる。
 特に太田の過労が心配だ。最近では、本当に「壊れた」のではないかと思うようなリアクションを見せることがよくある。不意をつかれるようなボケこそ彼の持ち味なのに、見ている側が先回りして心配してしまうようでは先行き不安だ。
 太田のかみさんでもあるタイタン・太田社長にお願い。もう少し仕事を断りましょう。あなたの旦那さまには、この先、長くしぶとく活躍してほしいのですよ。
(2004/02/17)

オウム死刑囚の素顔と死刑問題

 重めのドキュメンタリーを2つ立て続けに見た。1つは『NHKスペシャル なぜ無差別テロに走ったのか~オウム元幹部9年目の告白』。もうひとつは『ドキュメント04死刑~検証・見えざる極刑の実態』(日本テレビ)。
 犯罪者はけしからん。とんでもない罪を犯した者は死刑に処するしかない、という意見が多勢を占めるのは分かるが、実はそう簡単な問題ではないということを、この2つの番組は語っている。 オウム元幹部たちはみな悩み多きインテリで、人生の答えを求めた末にとんでもない詐欺師と関わってしまった。なぜ狂気の殺人集団になりはててしまったのか。彼らは何を考えていたのか。今はどうなのか。一般人はそこが知りたいのだが、死刑が確定した元幹部たちに直接取材すらできない。Nスペでは、彼らが番組スタッフに当てて書いた手紙の数々を淡々と紹介していただけだが、彼らが生まれながらの殺人鬼ではなく、感受性の高い青春期に一歩間違った道に踏み込んで、抜けられなくなったという図式が見えてくる。
 一方、その過ちを自らの死で償うことができるのかどうかという議論(死刑そのものの是非)は別にして、現在の日本では死刑執行が秘密裏で行われるため、被害者遺族などにとっても納得できないことが多々ある、という問題提起をしているのが日テレの番組。
 面倒なことにならないうちにささっと執行してしまいたいという「官」の本音が浮き彫りになっている。こうした番組、重苦しくてもちゃんと作っていかないとね。
(2004/03/03)

Qちゃんは悲劇のヒロインではない


 3月14日の名古屋国際女子マラソンはすごかった。大阪女子の1位2位を当て、先日のびわ湖毎日のリオス優勝も当てたマラソンファンを自認する僕も、正直なところ故障を抱えたトサレイ(土佐礼子)があそこまで走れるとは予想しなかった。
 しかし、彼女がゴールすると同時に「でも、陸連はQちゃんを選ぶだろうから、松野明美、鈴木博美、弘山晴美と続いた悲劇の主人公の系譜を、今度はトサレイは引き継ぐのか、やりきれないなあ」と思っていた。ところが、翌日の発表では、トサレイの名前は2番目に読み上げられた。落ちたのはQちゃん。まっとうな選考だが、陸連にQちゃん外しをする勇気があるとは思っていなかったのだ。
 トサレイの激走にも感動したが、15日のQちゃん&小出監督の記者会見はもっと感動した。さすが世界の頂点を極めたQちゃん。言葉のすべてがクリアで、真心を感じた。
 小出監督が何度か「(この質問には)おまえが自分の口から答えろ」と促すシーンがあったが、その態度もまた、何かというと守り一方になる他のチームの監督とは違う正直さが出ていた。そもそも、他の有力選手がQちゃんとの直接対決を避けたことも、今回のもやもやした結末を生む原因になっている。
 Qちゃんは名古屋を回避するという賭に出て、それに負けた。しかし、結果的には悪役にならずにすんだし、再び闘争心を燃やすきっかけもつかめたかもしれない。Qちゃんにはメディアが演出するような安っぽい「悲劇」は似合わない。
(2004/03/18)

「モザイク役者」とテレビの演出限界

 最近、バラエティやドキュメンタリーだけでなく、ニュース番組でも「元○○業界の人間」という人物がモザイク処理、音声処理されて出てくる映像をよく見る。
 はたしてあの手の映像のうち、どれだけが本物なのかと疑っている視聴者は少なくないだろう。
 例えば、裏口入学で医大に入ったという医師がその事実を告白する。その医師は現役であり、毎日多くの患者に接している。暴力団や犯罪がらみの裏稼業の人間の場合、身元がばれることは命にも関わる。簡単に撮影に応じるとは思えない。モザイクなどは後で編集しているのだから、撮影時には生の映像が記録されているのである。
 恐らく、「本物」に取材したことを題材に脚本を書き、役者を使った取材時の「再現映像」を作って、それを本物らしくモザイクや音声で加工しているケースもあるのではないだろうか。「再現取材場面」と断り書きを入れた映像なんて、しらけるものね。
 元○○の××さん(仮名)というテロップが出て、顔も声も判別できないとなれば、その映像そのものの真偽も視聴者には分からない。絶対安全な「演出」となる。
 こうした「モザイク役者」がそのうちに「絶対匿名」でテレビ局と関係の薄い雑誌に告白することもあるかもしれない。
 しかし制作側は「あれは演出の範囲内。実際に本物に取材はしているのだから問題ない」と言い張るだろう。いっそ、「この映像には演出は一切ありません」というテロップでも入れたらどうだろう。え? 無理?
(04/04/01)

爆笑オンバトの使命は終わった

 4月からNHK総合のお笑い番組2つが模様替えした。1つは、今の第3次?お笑いブームを築くきっかけとなったと言われる『爆笑オンエアバトル』。ただの『オンエアバトル』となり、お笑いは「爆笑編」として隔週放送になった。すでに多くの若手芸人を排出し、その中の有望株を民放番組が争って引き抜き、看板番組まで作っている今となっては、オンバトの使命は終わっているのだろう。審査員がどうしても若い人重視になり、その弊害も目立っていただけに、別にこれ以上ひっぱらなくてもいいのではとも思う。
 もう1つは『笑いが一番』。こちらは爆笑問題らレギュラー陣がコントをやったり、ゲスト出演者へのインタビューをやったりというのを廃し、単純に芸を見せていく構成に変更した。
 これは大歓迎だ。そもそも、ベテラン芸人の芸をテレビで見る機会はどんどん減っているのだから、インタビューなどする前に本来の芸を1分でも長く見せてほしいと以前から思っていた。
 オンバトはますます子供の番組に、『笑いが一番』は大人の番組に変わったと言えるだろうか。
 お笑い番組に演出はいらない。芸を普通に見せてくれればそれでいい。それでいいというより、それがいちばんいい。
 BSなどでも、そうしたシンプルなお笑い番組を増やしていってほしい。そうすれば、ラーメンズなど、テレビを見限って去っていった優秀な芸人たちを再び見るチャンスも訪れるかもしれない。
 多分それは、NHKにしかできないことだろう。 
(04/04/13)

気になるテレビの「いじめ化」傾向

 イラクで武装ゲリラに捕らえられた人たちに対して「自己責任論」が吹き荒れたとき、僕の周囲では「日本人はおかしくなっている」「戦争前のヒステリックな空気と同じものを感じる」という声が多かった。自分は絶対安全地帯にいながら、相手の小さな弱みに対して袋だたきにするような姿勢があまりにも目立つというのだ。同感である。
 例えば、最近、タレントの無学ぶりを笑うバラエティ番組が増えている。クイズ形式で常識問題を出題して、答えられなかったり、あまりにアホな回答をするタレントを見て笑うという趣向。
 いつも偉そうにしているけど、こんな常識も知らないのかよ。顔が可愛いだけで(あるいは胸がでかいだけで)、頭はこんなに悪いんだ、とあざ笑い、ストレス解消する。
 ……なんとも気味の悪い風潮だ。かつてのお笑いタレントは、知性を隠して馬鹿をやってみせた。それが「芸」だった。しかし今では、本当に馬鹿であることもタレントとして生き残るひとつの方法になってしまっている。
 はなわの「ガッツ伝説」はまだいい。おちょくるほうもおちょくられるほうも芸としてある程度確立している気がするから。
 でも、出川哲郎を婚約者の前で水槽に落としたりというのは、笑えない。
 出川は、どんなに虐めても安全な「リアクション芸人」という位置づけをされているが、そこで馬鹿にされているのは出川哲郎という「被虐タレント」ではなく、彼が虐められるのを見て鬱憤晴らしをするだろうと思われている視聴者のほうではないのだろうか。
(04/04/23)

教育現場の問題も分かる『バク天』

 以前、爆笑問題の太田光が壊れかかっていて心配だということを書いたが、『爆笑問題のバク天』(TBS系)を見る限り、太田は「壊れ芸」を開拓中なのだと思い始めた。
 この番組、心配なのは、制作者が面白さの意味を取り違えていくこと。現状では若手芸人たちはまったく生かされておらず、アナーキーな「バク天芸人」コーナー以外はヘルパー的若手芸人出演者は一切なしでよい。ただの「にぎやかし」で集めるのなら、その時間に新ネタを作らせて、他番組できちんと生かすべし。
「変な試験解答」のコーナーは楽しいが、本当にアホなのは試験問題を作っている教師であり、迷解答を書いている生徒たちではないことに気づく。
 教科書の文章を適当に虫食いにして穴埋めさせるだけのアホ問題。しかも、社会科の問題で「エジプトはナイルの賜物」という文章の「賜物」を穴埋めさせるなどという教師のセンスは、「揚物」と書く生徒以上におバカで、こんな試験をやらせる教師の授業につき合わされる子供たちも可哀想だと、真剣に心配してしまう。そのへん、もっと突っ込まなくてはね。
 おちょくる対象はふかわりょうではなく、レベルに達していない教師たちだ。間違いない! ライセンスはネタではシュールな芸風を発揮できるのに、こういう場面ではまったくの素人で、ツッコミむことができない。爆笑問題の二人だけにやらせたほうがどんどん展開するかもしれず、残念。
 一度「アホな試験問題と、それに反逆した勇気ある生徒たち」という特集を組んでほしいな。
(04/05/13)

5・22報道レース騒動雑感


 ようやく蓮池さん、地村さんご夫婦のお子さんたちが日本の地を踏んだ。本当によかった。
 彼らを乗せた飛行機が北朝鮮を発つ前から、各テレビ局はまさに戦場のようになっていただろう。
 いちばん驚いたのは、NHKの対応ぶり。民放局が通常番組を中断して映像を切り替えても、平然とプロ野球を流していた。じゃあ、BSは? と切り替えると、なんと田圃ののどかな風景とか野村のよっちゃんの笑顔が映っているだけ。
 空港到着後は、各局の望遠レンズ性能競争という様相を呈していた。タラップの窓越しや、ホテルに向かうバスのフロントガラス越しに超望遠レンズが狙う。どの局がいちばん鮮明な映像をとらえられるかという競争。
 なんだか犯罪者の護送みたいで、子供たちが気の毒だったが、みんな素直そうで、笑顔もこぼれていたことが、見守る全国民には救いだった。
 その後は毎日「今日の蓮池家・地村家」という報道が続く。どこへ行って何を買っただの、何を食べただの、報道するほうも大変だろうが、されるほうはもっと大変。
 辛抱強く質問に答えている親たちや、緊張が続いている子供たちのことも考えて、記者たちには、もう少し質問の内容や訊き方のマナーに気をつけてほしい。多くの国民は、心から応援しながらも、なるべく「自然体」で接したい、その結果、5人の子供たちにありのままの日本を知ってほしいと願っている。誇れる母国なのか、ちゃんと伝えるためにも、記者たちもまた「見られている」ことを自覚してほしい。
(04/05/26)

「血液型」を扱うならもっと慎重に


『脳力探検!ホムクル!!ABOAB血液型性格診断のウソホント!本当の自分&相性…すべてわかるスペシャル』(ああ、長いタイトルだ!TBS系)というのを見た。
 血液型と気質・性格の関連性というのは、四半世紀くらい前に能見正比古氏が『血液型人間学』という本をベストセラーにして以来、ずっと話題にされている。しかし、医学界などでは「まったくのでたらめ」という意見が強く、血液型人間学を真顔で論じるのはタブーという雰囲気も形成されてしまった。
 今では星占いなどと同列にされ、お遊びとしてのみ生き残っている感がある。しかし、「まったくのでたらめ」なのかどうか。僕自身は、実は「でたらめ」だとは思っていない。ただ、一般に論じ方、取り上げ方があまりにもお粗末なのだ。
 だからこそ、テレビでこの話題を扱うときは真面目にやってほしいと思うのだが、この番組の姿勢は実にひどいものだった。タレントを血液型別のチームに分けて、どうでもいいクイズをやらせたり、血液型人間学とはまったく関係のない演出に終始。こういう番組ばかりだから、いつまで経っても血液型人間学はお遊びレベルから先に進まないのだ。それこそ、テレビの力をもってすれば、双方向リアルタイムのアンケートや各種の真面目なテスト、統計(運動能力や特定の病気における罹患後の存命期間平均値などなど)で、いくらでも真相に迫れるのに。
 それをやらないのは、やはり「血液型」は究極のタブーだという証明なのかもしれない。
(04/06/10)

『火の鳥』次は実写版で見てみたい!

 今さら言うまでもないことだが、手塚治虫作品の中で『火の鳥』は最高傑作である。手塚作品というと海外でも大ブームを起こした『鉄腕アトム』や、ディズニープロが『ライオンキング』でパクッたと言われている『ジャングル大帝』など
がよく代表作としてあげられるが、文学性、哲学性という意味では『火の鳥』が図抜けている。
『NHKアニメ劇場火の鳥』は、その珠玉の手塚作品をテレビアニメ化したものだ。その心意気はもちろんよしなのだが、若い頃、原作を読んで感動した世代としては、いかにも制作費の限界を感じさせる仕上がりが残念な気がする。
 特に、その後の大河ドラマ『新撰組』の作りが、どこかバラエティドラマ、トレンディドラマ風で軽いだけに、いっそ逆にすればいいのにと思ってしまうのだ。
『火の鳥』の原作としての質は極めて高いから、制作費をかけ、才能あるスタッフを注ぎ込んで大胆に作り直せば、見応えのある「大河ドラマ」になりえるだろう。一方、過去数え切れないほどドラマ化されている新撰組だの忠臣蔵だののネタは、いっそアニメにして、子供向けに作ればいい。
 要は、大河ドラマは歴史ドラマでなければならないという前例主義を捨てられるかどうかだ。未来編などはどこまでCGを使うかなど技術的な問題も多いだろうが、鳳凰編など、過去の物語は実写版でも十分可能なのではないか?
『火の鳥』は日本の文化遺産。いつかNHKに、もうひとがんばりしてほしい。
(04/06/16)

旅チャンネルに見る逆進化の法則?

 ときどきCS(スカパー)の「旅チャンネル」をぼーっと見ている。旅番組は低予算ほど面白いと以前から主張しているが、本当にそうで、究極は旅チャンネルである。
 例えば『舞の海の旅はちゃんこで』という番組があった。舞の海が日本全国にでかけていき、ほとんどアポなしに近いような状態でロケを敢行。普通の民家や店舗に上がりこみ、台所を借りてちゃんこを作ってみんなで食べるという不思議な企画。出かける場所も出逢う人々もふつーで、そこがよかった。残念ながらこの番組は終わってしまい、今は『舞の海の旅はいちばん』(いろんな「一番」を捜す)という、事前仕込み見え見えの、ありふれた企画になってしまった。残念!
 素人っぽい女性がすっぽんぽんで温泉に入る『美女と隠れ湯』という名番組があったが、これも今は『美女と湯めぐり』に変わり、魅力が薄れた。
 出てくる「美女」が、以前は年齢不詳で美しいのかどうかもビミョーな近所のお姉さんorおばさん風だったのが、今は売れないorこれから売り出すグラビアモデルみたいな中途半端な若い子になってしまった。同じスカパーのMONDO21で『グラビアの美少女』とかに出てくる女の子が、そのまま旅チャンネルの『美女と湯めぐり』に出てくることも多い。内容も薄味になった。
 ディレクターがカメラマンも兼ねていた超低予算の『隠れ湯』時代のほうがずっと堪能できたのに、JICさん(旅チャンネルの番組を一手に引き受けている制作会社)も、分かってないなあ。
(04/06/24)
以下、下半期分は次のページで



第四回「小説すばる新人賞」受賞作の改訂版↓

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