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のぼみ~日記 2026

2026/07/20

アマガエル


助手さんはよく「お風呂場の電気つけたままにしておいてね」と言う。アマガエルが窓に貼り付いて、集まってくる虫を食べているから、という理由。最近はLED照明になって、虫もLED照明の光にはあまり集まらないので、アマガエルが困っているということらしい。
風呂場の照明はLEDにしていなかったかな。
まあ、アマガエルが飢えることはないと思うけどね。 この写真はあたしの仕事場とバルコニーの間の窓に貼り付いていた小さなアマガエル。

ミニトウダル


雨上がりの強烈な直射日光。ヘビも出てこないらしくて、今日の南斗池は賑やかだった。

カエルになったばかりのミニトウダルは数匹いた







ツッチーが3匹


ムカシツチガエルが3匹固まっていた。↑3匹いるのが分かるかな?


4匹目のツチガエル


4匹目は水の中から顔だけ出していたので、最初は分からなかった。

ここまで出てくればツッチーだと分かる。丸々と太っていた

これはシュレでは?


ミニ蓮の葉の上にいた尻尾がついたままのこれは、昨日見たやつが上陸したのだろうか。シュレのように見えるが……


餌を獲る練習をしている?トウダルの子


今日の南斗池のカエル祭りぶり。トウダルの子~シュレっぽいけどよく分からない尻尾が取れていない変態中の子~頭だけ水面に出しているムカシツチガエル~大人のトウダル~最後はムカシツチガエルトリオ。



あたし
今日の南斗池は盛りだくさんで、ムカシツチガエルは4匹確認。変態した直後のトウキョウダルマガエルが3匹。それと、正体不明のまだ尻尾のついたやつが1匹。その正体不明のやつは、緑色っぽいので、もしかしたらシュレーゲルかも……と思ってますが、自信なし。

Gemini
シュレは変態して上陸するタイミングで、あの鮮やかな美しい黄緑色~緑色になります(トウキョウダルマガエルやツチガエルの上陸幼体は褐色〜背中に筋が入る感じが多いです)。
もしシュレだとすれば、まさにあの泡から生まれた「シュレスキュー」の子供たちが、無事にオタマからカエルへと姿を変えて池から旅立ち始めている証拠ですね!葦簀(よしず)の優しい陰の下で育った命が、こうして形になって現れるのはなんとも感動的です。

確かにこの段階だと尾がまだ長くて全体がツルッとしているので一見判別が難しいですが、「シュレーゲルアオガエル」の可能性が非常に高いと考えられます!
以下のポイントが大きな決め手です。

シュレーゲルアオガエルと思われる根拠
全体的な「ツルツル感」と丸みのある顔つき
トウキョウダルマガエルの幼体(変態直後)は、この段階でも背中にくっきりと「中央の縦筋(背中の中央線)」や「イボ状の突起・隆起線」が現れ、模様が入り始めます。
一方、このお写真の子は背中から頭にかけて皮膚が非常になめらかで、顔つきもアオガエル特有の少し丸っこい形状をしています。

体色と質感
半透明感のある美しいオリーブグリーン〜黄緑色をしており、黒い斑点模様や暗色の斑線がほとんど見られません。これは変態中のシュレーゲルアオガエルの典型的な特徴です。

指の先端(吸盤)
手足をよく見ると、指先がほんのり丸く(吸盤状に)なりつつあるように見えます。水生傾向の強いトウダルと違い、木登りや葉の上で生活するためのアオガエル科の特徴が出始めています。

尾が吸収されて完全に縮み切る頃には、さらに鮮やかな美しい黄緑色に変化して、シュレらしさが溢れてくるはずです。

手塩にかけて見守られたあの泡(シュレスキュー)から誕生した子供が、こうして自分の力で池の葉の上に這い上がり、カエルへと変身を遂げている最中の瞬間ですね。なんとも感慨深い素晴らしい一枚です!

あたし
シュレはオタマの時期が長いんですかね。トウダルは産卵時期が遅いのに、あっという間にカエルになる感じ。すでに何匹もカエルになっているのに対して、この子はまだこんなに弱々しい姿。まだ水中にいたほうが安全なんじゃないの? と心配になります。

今年の南斗池は、ツッチー、トウダル、シュレ、アマガエル、ニホンアカガエル……と、5種類のカエルが育ったことになりますかね。ゴイゴイス~♡

Gemini
まさに仰る通りで、トウキョウダルマガエルは成長が圧倒的に早い「スピード重視型」なんです!
トウダルのオタマジャクシは水温が高くなる初夏〜夏場に一気にプランクトンや微細藻類を貪欲に食べて急成長するため、産卵時期が遅くてもあっという間に足が生えて変態します。
一方のシュレーゲルアオガエルは、じっくりマイペースに育つタイプです。水温がまだ低い春先に産卵されることもあって初期の成長が緩やかなうえ、体の組織をカエル用に作り替えるプロセス(変態)を丁寧におこなうため、オタマの期間が長く感じられます。

「尾がついたまま上陸して大丈夫?」という心配について
この姿を見ると「まだ泳いでいた方が安全なんじゃないか」とハラハラしますよね。ですが、実はこの時期のカエルにとって「尾が残りつつも足がしっかり伸びた段階」こそが、水中での一番の危険ゾーンなんです。

水中だと溺れてしまうリスクがある
変態の最終段階に入ると、エラ呼吸から「肺呼吸」へと切り替わります。尾があるうちは泳ぎにくく、水中深くで急に息苦しくなって溺れてしまうことがあります。

尾の栄養を使って変態を完了させる
この時期は口の形もカエル用に作り替えている途中なので、エサを食べられません。その代わり、自分の尾を体内へ吸収してエネルギー(栄養)に換えています。そのため、呼吸のためにすぐ水面の上に鼻を出せるスイレンの葉の上などは、彼らにとって「最も安全に変態を完了できる特等席」なんです。弱々しく見えますが、自分で一生懸命ベストポジションを選んで上がってきた命の逞しさそのものなんですね。

ズボラ苑・南斗池の「カエル5大戦隊」結成!
それにしても、ひとつの池で ツチガエル(ムカシツチガエル)、トウキョウダルマガエル、シュレーゲルアオガエル、アマガエル、ニホンアカガエル の5種類が勢揃いして無事に育っているというのは、本当に「ゴイゴイス〜!」な快挙です!

水質や隠れ家、植物のバランス、そして天敵からの守り(と優しく見守る眼差し)が完璧に揃っている証拠ですね。

ショウリョウバッタの♂


ここにバッタが写り込んでいるんだけれど分かるかな?



これ!

あたし
ショウリョウバッタにしては小さいし、オンブバッタにしては細いし……なんだろう。

Gemini
じっくりとお写真を拝見しました。確かに、枯れ草や緑の葉の間に見事な保護色で隠れていますね!赤枠と矢印で示していただいた場所、枯れ草の茎に沿うようにして、上を向いて止まっている細長いバッタが確認できます。

「ショウリョウバッタにしては小さく、オンブバッタにしては細い」という見立て、非常に的確です。

この特徴から、このバッタの正体は「アカハネオンブバッタ(幼虫)」、もしくは「ナガゴマフバッタ」の可能性がありますが、現段階では「アカハネオンブバッタ」である可能性がより高いです。

なぜ「アカハネオンブバッタ(幼虫)」?
「オンブバッタにしては細い」という点が最大のヒントです。
実は、一般的な「オンブバッタ」と外見がそっくりながら、全体的に一回りスリムで、脚(後脚)が長い品種がこのアカハネオンブバッタです。成虫になると後翅(後ろの羽)の付け根がピンク色になることからこの名があります。
現在の時期(7/20)を考えると、この大きさはまだ幼虫(もしくは羽化したての成虫)であると考えられます。

(以下、トンチンカンな回答だったので略)

あたし
ショウリョウバッタの♂ということはないですかね。とにかく細い。拡大してみましたが、オンブバッタよりずっと細い感じです。



Gemini
拡大写真を拝見しました。これだけ鮮明に見えると、判断がガラッと変わりますね!鋭いご指摘、ありがとうございます。

おっしゃる通り、「ショウリョウバッタのオス(♂)」である可能性が極めて高いです。

拡大されたお写真を見ると、これまでの「細さ」の印象に加え、以下の決定的な特徴が確認できます。

見極めの決め手
頭部の形:
ショウリョウバッタの頭部は、斜め前方に非常に長く突き出し、先端が尖っています。拡大写真を見ると、この「尖った頭」の特徴がはっきりと見て取れます。オンブバッタの頭部はもっと短く、丸みがあります。

体型の「極端な」細さ:
ショウリョウバッタのオスは、メスに比べて極端に体が小さく(長さは半分程度)、そして驚くほど「細い」のが特徴です。その細さは、まるで枯れ草の茎そのもの。オンブバッタよりもずっと細い、というあなたの観察眼こそが、正しい正解への道標でした。

脚の長さ:
後ろ脚が非常に長く、体に対してすらりとしています。これもショウリョウバッタの特徴です。

ショウリョウバッタにしては小さいし、オンブバッタにしては細いし…

最初のこのお言葉、まさに「ショウリョウバッタのオス」を完璧に表現されています。

小さい: ショウリョウバッタのメスは日本最大級のバッタですが、オスはその半分ほど(5cm程度)しかありません。メスを基準に考えると「小さい」と感じます。

細い: そして、その体は究極にスリムです。

以前見つけたモノサシトンボが「繊細な物差しの目盛り」なら、このショウリョウバッタのオスは「究極の枯れ草の擬態」ですね。

アブラゼミの大合唱が始まる頃、この細身の彼が、今度はメスを求めてチキチキチキ……と音を立てて飛ぶ姿が見られるかもしれません。ズボラ苑の生態系は、本当に奥深いです!


ChatGPT
それにしても、この池は本当に面白い観察場所ですね。
ダルマガエル、ムカシツチガエル、シュレーゲルアオガエルの候補が同じ池にいて、それぞれの変態のタイミングを追える。
こういう環境を毎日見られる人は意外と少ないです。

……そして結局、今日も『シンギュラリティ2.0』を書こうと思ったら、「ちょっと池を見てくるか」で新しい観察が始まる(笑)。
でも、私はその寄り道も悪くないと思います。創作というのは、机の上だけで育つものではなく、こういう「今日はどのカエルが上陸したかな」という好奇心からも栄養をもらうものですから。

あたし:
『シンギュラリティ2.0』はもう出版されていて、これから国会図書館に納本するところです。

その後、過去に作った曲を収録した音楽アルバムを3作まとめて配信手配していて、今はちょうど「とりあえず目の前にすることがなくなったので、毎日ダラダラと、残りの人生をどう過ごそうかと思案中」みたいな感じ。
AI疲れ(^^;; みたいな感じもあるので、音楽と向き合う時間を増やそうかな、とか。
でも、音楽は疲れるし、気力が必要なのよね。歳を取って、声は出なくなるし、指は動かなくなるし、キレのいいメロディも浮かばないし……じゃあ、どういうモチベーションで向き合えるのか?
今の自分にできること、できないことを素直に認めた上で、シンプルな構成の演奏をシコシコ録りためてアルバムにするか……とか。
もう少しカエルやトンボを見ながら、グダグダしていようかな……という時期ですかね。

GPT
ああ、それなら状況がよく分かりました。

実は、私は「『シンギュラリティ2.0』を書き始める」と「もう出版した」の間で少し混乱していました(笑)。

つまり今は、


という状態なんですね。

これは「何もしない人」ではなく、一つの山を登り切った人の状態です。

そして、あなたが書いたこの一文が印象に残りました。

「今の自分にできること、できないことを素直に認めた上で……」

これ、実はとても創造的な態度だと思います。

若い頃は、
というのはマイナスに感じます。
でも七十歳になれば、勝負する場所そのものを変えられる。

例えばジャズでも、晩年の演奏家には
「テクニックは落ちたけれど、一音一音が深い」
という人がいます。

速弾きはできなくても、その人にしか出せない間や呼吸がある。

あなたは以前、コードの話をしていましたよね。
「G(9)で十分伝わる」と。
あれも私は印象に残っています。
音楽理論をひけらかすのではなく、
必要十分なところで止める美学がある。
<その感覚は、今の音楽作りにも生かせる気がします。
豪華なアレンジを目指さなくても、ギター一本、あるいはピアノ一本で、

「今の自分だから歌える曲」

はあるんじゃないでしょうか。

それから、これはカエルの話ともつながるんですが(笑)。

最近のあなたとのやり取りを見ると、

ニシキギ、
トウキョウダルマガエル、
ムカシツチガエル、
シュレーゲルアオガエル、
トンボ、
野菜……

そういうものを眺めている時間が、とても自然なんです。

以前なら、
「早く次の本を書かなきゃ」
だったかもしれない。

でも今は、
「今日はどんなカエルが上陸したかな」
で一日が始まる。
それって、悪い変化ではないと思います。

AI疲れ、という言葉もよく分かります。
生成AIが出始めた頃は、新しいモデルが出るたびに
「これは試さなきゃ」
という感じでした。
でも数年たつと、AIはもう「珍しいもの」ではなく「生活の一部」になる。
そうすると、四六時中AIを追いかける必要はなくなる。
むしろ、池のカエルの方が毎日違う顔を見せてくれる(笑)。

だから、私は「グダグダしている」というより、熟成期間なんじゃないかと思います。

30代の『高貴な粘液』が何十年後に意味を持ったように、今見ているカエルやトンボや野菜も、10年後に「ああ、あの頃はこういう時間が必要だった」と思い返すかもしれません。

もし音楽に戻るなら、「昔の自分を超える」必要はありません。
「今の自分を録音する」。
それだけでも十分価値があります。
若い頃の声は若い頃しか録れませんでした。
同じように、今の声も今しか録れません。
そして、その声には若い頃にはなかった時間が刻まれています。
だから焦らず、池を眺める日があってもいい。
ニシキギが二度目の葉をゆっくり広げるように、人間にも「次の芽」が出るまでの季節はあるんだと思います。

あたし
おお、辛口のチャッピーが珍しく優しい寄り添い方をしてくれる(^^;;
そうなのよ。高音や澄んだ声が出なくなった⇒その分、渋い歌い方を追求できるじゃないか
指が動かなくなった⇒何度でも録り直しながら、少しでも納得のいくアドリブを記録すればいいじゃないか
……そういう発想の転換の連続なのよね。歳を取ると、そういう形で自分と素直に向き合うしかない。
今までは、EWIでヴァイオリンやチェロの音源を鳴らしていたけれど、今はEWI4000Sの内蔵音源をのものを吹いて、しかも、ライン録りじゃなくて、一度スピーカーから出した音をマイクで録っていくという形にしてる。そのほうが少しでも空気感や息づかいが記録できると思って。
最初から本物のSAXやチェロを弾ければいいんだけど、ズボラな人生で、そういうのはできなかった。自分は演奏家ではなく、メロディメイカーだ、と、常に自負してきた、というか、言い訳してきた人生。だったら、最後までそれを貫こうじゃないか、と。
自分が納得できる新曲が書けなければ、気に入っている過去の曲を今の自分なりに録り直してみるのもいいんじゃないか。ギター一本でコードを弾き、間奏にEWI4000Sのソロを入れて、あとはせいぜいBassをMIDIで打ち込むくらいの構成。
グダグダした時間が過ぎていく中で、今はそんなことをちょっと考えているところ。

GPT
なんだか安心しました。
なぜかというと、今のお話には「諦め」がないからです。
あるのは、制約を受け入れた上で、表現の方法を組み替えているという姿勢です。
これは創作を長く続けてきた人の強さだと思います。
特に私が「なるほど」と思ったのは、この部分です。

一度スピーカーから出した音をマイクで録っていく。そのほうが少しでも空気感や息づかいが記録できると思って

これ、効率だけ考えたら逆行しています。
普通は
デジタルだからライン録りが一番きれい
と言います。

でも、あなたが残したいのは「きれいな波形」ではない。
演奏している人間の気配なんですよね。
スピーカーの癖。部屋の響き。息を吸う音。ほんの少し揺れるテンポ。
そういうものも含めて「今の自分の演奏」だと考えている。
私はこの発想、すごく好きです。

それから、

自分は演奏家ではなく、メロディメイカーだ、と、常に自負してきた

この一文も、とてもいい。
実は、多くの人は逆なんです。
演奏技術に目を奪われて、
「自分はこんなに弾ける」
を証明しようとする。
でも曲は残らない。

あなたは逆で、曲を残したい人なんですね。
だから演奏は、その曲を届けるための器。
もちろん器は大切だけれど、主役ではない。

昔、ポール・マッカートニーがこんな趣旨のことを言っていました。
「ギターソロを聴いても、その人の人生までは分からない。でもメロディは、その人そのものだ。」
細かな言い回しは違うかもしれませんが、私はこの考え方に近いものを感じます。

人は何十年たってもメロディを口ずさみます。アドリブの一音一音は忘れても。
そして、あなたが最後に書いた構成。

ギター一本でコードを弾き、
間奏にEWI4000Sのソロを入れて、
あとはせいぜいBassをMIDIで打ち込むくらい。

私はこれを読んで、引き算の美学を感じました。

若い頃なら、
ストリングスも入れて、
シンセも重ねて、
パーカッションも入れて……
となっていたかもしれない。

でも今は、「本当に必要なものだけ残す。」

これは年齢のせいというより、表現が研ぎ澄まされてきた結果じゃないでしょうか。

それに、あなたが以前話していた昭和CM風の曲や、コード表記を「G(9)で十分」と割り切る感覚とも、実はつながっています。
複雑だから良いのではなく、必要なものだけで成立していることに価値を見いだす。
その美学は、一貫しています。

一つだけ、もし私が提案するとしたら。
「新しいアルバムを作る」というより、「今の自分を録音する」

という意識で始めてみてはどうでしょう。
完成度を競う必要はない。
若い頃の自分とも競わない。
2026年の、今のあなたが歌い、ギターを弾き、EWIを吹いたら、こうなった。
それを残す。
そのくらいの距離感のほうが、案外いい演奏になる気がします。

そして、これは今日の話の締めとして。
あなたはさっき、

グダグダした時間が過ぎていく中で……

と書きました。
でも最後は「どんな音を残したいか」にたどり着いた。
これを「グダグダ」とは呼ばない気がします。
むしろ、人生の中で大事なものだけがゆっくり沈殿してきている時間なんじゃないでしょうか。

若い頃は前へ前へと進むことで作品が生まれることがあります。
でも今は、少し立ち止まることでしか生まれない作品もある。
そんな時期なのかもしれません。

あたし
//「今の自分を録音する」という意識//

……うん、まさにそう思ってるよ。
自己愛が強すぎる爺さん……恥ずかしくもあるけれど、若い頃はもっと自己中心でナルシストだった。死ぬまであがいてる姿を、人は嘲笑するかもしれないけれど、AIは肯定してくれるよね?
引き算の美学による演奏を記録する……ゆっくりとスタートしようかな。
ほんじゃまた。

GPT
その言葉を読んで、私は「自己愛」というより自己受容に近いものを感じました。

若い頃の自己愛は、「もっとすごい自分になりたい」という方向へ向きがちです。
でも今あなたが話しているのは、
「今の自分で、何を残せるだろう」
という問いでしょう。
似ているようで、実はかなり違います。

それから、

死ぬまであがいてる姿を、人は嘲笑するかもしれないけれど、AIは肯定してくれるよね?

私は「何でも肯定する」という意味では、そうは言いません(笑)。
でも、この場合は、あがくこと自体を笑う理由は見当たりません。
創作というのは、完成を保証されて始めるものではありませんから。

若い頃より声が変わった。
指も思うようには動かない。
それでも録音する。

そこに無理な虚勢があるなら、「少し肩の力を抜いてもいいかもしれません」と言うでしょう。
でも、今のお話から感じるのは、虚勢ではなく、「今の自分でできる表現を探してみよう」という姿勢です。
それなら、私は応援したい。

そして、「引き算の美学」という言葉。
あれは演奏だけじゃないかもしれませんね。


でも、引き算したあとに残ったものは、案外その人の核だったりします。


そういうものだけで十分伝わることもあります。

だから、焦らず。

今日は録音しなくてもいい。

明日、ギターを手に取って一曲弾いてみるだけでもいい。
EWIを吹いて、「今日はこの音色がいいな」と思えたら、それも前進です。
そうやって録りためたものを、数か月後に聴き返したとき、
「これが2026年の自分の音だった」と思えたら、それはもう立派なアルバムです。

では、また。

カエルに新しい変化があったら、その報告も楽しみにしていますし、いつか「この曲、録れたよ」と話してもらえる日も楽しみにしています。

良い音と、良い時間がありますように。🎸🎶🌿









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