2022/09/12
吹割の滝(3)浮島観音~第一観瀑台へ

浮島橋を渡ると、浮島観音堂という小さな御堂がある。
延歴14年(西暦795年)創建といわれているそうだが、現在の御堂は昭和59(1984)年再建。
ここに祀られている如意輪観音像は左甚五郎作と伝わるそうだが、本当かなあ……。
沼田市観光協会のWEBサイトにはこんな説明がある。
明治26年、ある者がこの観音像を前橋の石丸という塗師の家へ持参して、金箔塗りを依頼したままその後いっこうに受け取りに現れず、とうとう昭和27年まで石丸家に大事に保管されていました。その間、昭和20年8月5日の前橋大空襲の際には石丸家も全焼しましたが、その寸前に奥さんが、大切な家財と一緒に観音像をリヤカーで運び出し、間一髪で焼失をまぬがれました。そして、同年3月大勢の人たちに迎えられてこの地へ帰って来たときは、白木の筈の観音像が金箔塗りのお姿に変わっていたのです。以後、追貝の海蔵寺(かいぞうじ)に仮安置されていましたが、浮島橋の開通の日、平成2年4月26日、ようやく97年ぶりにここに安置されました。
(沼田市観光協会 吹割の滝 より)

左甚五郎が宿に泊まった際に一夜で彫り上げたというのだが……。その話は別にしても、とてもよいお顔だと思う。
その先に吹割橋という橋がある。ほとんどの人はこのへんで引き返してしまうようで、周囲には誰もいなくなった。

吹割橋からの眺め
案内板によれば、ここから480m歩くと第一観瀑台、第二観瀑台、第三観瀑台……とあるようなので、とりあえず第一観瀑台というところまでは行ってみようと、歩き始めたのだが……

いきなり上りだわ。きついな

そこから先の道もずっと上りできつい。480mってこんなに長かったっけ?

あと200m……
道の途中には「熊よけの鈴」というのがところどころに設置されていて、それを鳴らしながら進む。
ようやく着いたのだが……え?

どこが観瀑台?
道の横に看板があるだけ。そこから見下ろしても、目の前の木々が邪魔で滝はほとんど見えない。しかも遠い。
なんとか木の枝の隙間から覗けるわずかなポイントを捜して望遠で撮ったのだが、肉眼では全然「観瀑」できないし、「台」でもない。
助手さん曰く「これは詐欺ね」
だわな~。

それでもなんとか撮ったのがこれ。助手さんからStylus1を受け取って

やれやれ。まぁ、運動だと思えばいいか。
浮島観音堂から第一観瀑台までの往復ですれ違ったのは若い男の子の3人組と中年女性1人の2回だけ。
さて、帰りましょう。
このまま進むと120号線にぶつかり、吹割大橋という橋を渡って120号線を駐車場まで戻ることになる。それだと軽く1km以上ある。
地図が手元にないのでうろ覚えだったが、戻ったほうが早いはず。迷わず今来た道を戻ることにする。
帰り道は下りだったのでいくらか楽だったが、最後に駐車場まで戻る登り坂がキツかった。

駐車場へ戻る道。こんなにキツくて長かったのか、とため息が出るほどだった
駐車させてもらったお店に入ると、出るときに会った店主が「入口の坂道がきつかったでしょう」と言いながら迎えてくれた。
蒟蒻を買って、帰路についた。
脚がつりそうだわ。

帰りに寄った「道の駅 尾瀬かたしな」。村役場に隣接している。ピアノが置いてあった。ちょっと触ってみたけれど、調律がグチャグチャで、かなり厳しい代物だった。音はでかかったので、ちゃんと調律してあればなかなかのものなのかも?

帰りの金精道路は霧で視界が悪いこともあって、ヘトヘトに。中禅寺湖まで降りてきたところでダウン。いろは坂までそのまま突入すると危険を感じたので、湖畔のPに停めて、助手さんに運転を代わってもらった。

帰りにセブンイレブンで夜ご飯を買い、帰宅したときは18時を過ぎていて暗くなっていた。
往復で約200kmか。
もう歳だから、一般道だけの遠出は往復100km程度にしておいたほうがいいのかな。
川内村にいたときは、40kmくらい離れた大型スーパーにもよく買い物に行っていたけれどな。
(1エフの隣のプラント4とかね。原発爆発してなくなってしまった)
若いとき、1週間くらいかけて北海道ドライブなんかもしたけど、もう死ぬまでそういうのはできないんだろうな。寂しいね。
あと、滝を見に来ている人の多くがマスクをして遊歩道を歩いているのがなんとも気味が悪かった。
滝しぶきから出るいい「気」を吸い込んで、体内に溜まっている悪い「気」を吐き出す絶好のチャンスなのに、なんてもったいない、というか、馬鹿げたことを!
道のあちこちにマスクが落ちていたのも興醒めだった。
日本人はもうマスクを取れない人種になってしまったのか??
これぞ「情報宗教」の怖ろしさ。
最後にもう一度、今回の吹割の滝まとめ動画を入れておきますね。