2022/04/04
地味桜はフライングだった?
昨夜から冷たい雨が降り続いている。
一番手で咲いた地味桜は雨に濡れて寒そうだ。もう少し待ってたほうがよかったんじゃないの?

雨に濡れる地味桜

水滴がついているんだけど、分かるかなあ……。HX-90Vだとこういうマクロ的な撮影はダメだね。こんなに画質が荒れるとは……
案の定、雨が上がった後は黄色く縮れたようなショボい花になってしまっていた。散ることもできずに枯れたようで哀れ↓。

雨が上がった後の地味桜。散らずに枯れた花びらがついている。



どうもこういう種類の桜らしい。暖かければ花期が長いのだが、今年は急にに冷えたのでこんなことになった。
なんちゃって宗教哲学
何かに着手しても、こんなことしてなんの意味があるんだろう、という気持ちばかりが強くなる。
「軟弱音楽宿」をせめてあと1回やって一区切りにしたい。
「たくき よしみつSONGBOOK3」を編集してオンライン販売網にのせたい。
「狛犬の精神史」を書籍化する計画はどうなったのか……。
全部棚上げのまま。
持久力がなくなってしまっている。
もうすぐ死んじゃうしなあ……という思いが常につきまとう。実際、毎日身体が壊れていくのを実感しているし。脳と肉体がうまく連動していないのも感じる。
死を意識すればするほど、世界とは? 意識とは? みたいなことを考える。残りの時間はそういう思索を追究することに費やしたほうがいいのでは、という気持ちもある。
寝ているときに見ている夢の中でも、その手のことをあれこれ考えていることがある。要するにちゃんと眠れていないんだろう。
昨夜も寝る前になって、ふとこんなことを考えていた。
絶対的な物理世界が1つだけあるというのは錯覚に過ぎず、「世界」は脳が意識する数だけ無限にある、みたいなことを考える人は昔からいる。
二人の人間……例えば、夫Aと妻Bがいるとする。
二人は「同じ現実世界(物理世界)」に生きているといえる。
この場合、夫Aの世界と妻Bの世界は別々の世界なのだが、二人が作りだしている(二人の脳が意識として「見ている」)世界は一部が重なっている。その重なり部分も含めて、AとBを包括する世界に二人は生きている。

夫Aが先に死ぬと、夫Aの世界はそこで消滅するので、妻Bの世界の「集合」が変わる。
「この世」が一人一人の世界の集合であるとすれば、「同一の世界」は存在しない。
「重なり合う」世界が無数に存在し、常に変化している。
量子の世界を人間が理解できないのは、重なり合う「個々の世界」は無数にあるという状態が「全体世界」だからなのではないか。
……そんな夢想をしながら眠りにつく。
「情報宗教」が席巻する現代社会
そうした多次元宇宙論?みたいな夢想、空想とは別に、現世で今目の前で起きていることがどうしても理解できない。
理屈が通らないことを疑いなくしている人たちがあまりにも多くて、混乱させられっぱなしなのだ。
理屈が通らないこと、あまりにも理不尽なことを自らの意思で選んでしまう……これは一種の「宗教」ではないのか?
そう考えないと理解できないような状況が多すぎる。
……という思いから書き始めたのが
⇒これ
少し前から書いていたのだが、これもまた続かずに、もっとストレートに書いたほうがいいかなと思って始めたのが
「ぷちぷちサミット」。
どちらも、少し書いては直し、寝て起きて読み直しては直し……とやっているうちに疲れてまた寝て……。
俺は一体何をやっているのか? 何をやろうとしているのか? 意味ないんじゃないの?
……と、また振り出しに戻っているという無間地獄。
ま、地獄は言いすぎか。結局は好きでやっていることだものな。
さて、このへんにして、風呂入って、酒呑んで、さがみやで買った弁当食いながらテレビ見て、寝よう。
スヤスヤ~っと寝たいなあ。