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のぼみ~日記 2021
2021/12/05
喜多院
喜多院(星野山無量寿寺喜多院)は天台宗の寺で、徳川家康~家光までの将軍家の頭脳として働いた天海が住職をつとめていた。家康の没後、遺骸を日光に移した際にはここで天海による4日間の法要が行われた。
境内は非常に広くて、川越市民憩いの場になっている。
この日はよく晴れた日曜日で、人が多かった。
鐘楼門
仙波東照宮側から喜多院の境内に入ると、最初に右手に見えるのが鐘楼門。国指定重要文化財。2階建て入母屋造り、本瓦葺。 階上の銅鐘は元禄15年(1702)の銘があるそうで、これも国認定重要美術品。
鐘楼門2階飾り障子の彫刻
屋根と鬼瓦
裏……というか外側から見たところ
慈眼堂
鐘楼門と向き合う形で少し小山になったところに建つのが慈眼堂。国指定重要文化財。慈眼大師の呼称を持つ天海をまつる御堂。この小山は7世紀初頭の古墳なのだそうだ。先達の墓の上に建てちゃったのね。
慈眼堂の裏手に歴代住職の墓がある。
慈眼堂のある小山から見下ろす慈恵堂(大師堂/潮音殿)。県指定有形文化財
紅葉に包まれたどろぼう橋
その先、「どろぼう橋」と呼ばれる抜け道までの道が、予想外の紅葉で楽しめた。
ビニールゴミが落ちている↑ 汚らしいので消しておく↓
どろぼう橋。境内は治外法権だと知っている泥棒がこの橋を通って逃げ込んだが、その後、住職に諭されて改心したという言い伝えがある↓
松平大和守家の墓所
明和4(1767)年から慶応2(1866)年までの松平大和守家歴代藩主の墓がある廟所。
入口に大きな亀趺があるが、上に何がのっていたのだろう。
五輪塔が並んでいる。
多宝塔
寛永16(1639)年に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されたが、老朽化が進んだため明治43(1910)年に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築。その際にかなり改造されてしまったため、昭和48(1973)年、解体修理を行いこの場所に復元。
総高13m。県指定有形文化財。
慈恵堂
慈恵堂は比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)を祀る御堂だが、現在は喜多院の本堂として機能している。よく晴れた日曜日ということもあってか、参拝客が引っ切りなしに入って行くのを見て、中には入らなかった。ずいぶん遅れた七五三参りの親子連れの姿もあった。
12月なのにまだ七五三の参拝が続いていた。
五百羅漢
川越北田島の志誠の発願で天明2(1782)年から文政8(1825)年まで建立が続いたそう。、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。川越市指定史跡。
……というわけで、喜多院はサラッと見て回り、次は川越氷川神社へ。
クルマに乗る前に駐車場前の日枝神社も覗いたが、特に何もなかった。
日枝神社前のこのお店、なんだろう?
あ~、腰が痛い……。
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