オオカミ池の縁に、少し大きめのトウダルがいた。そばに行っても逃げない。もしかして禎一くんが戻ってきたのかとも思ったが、一回り小さい気もする。禎一くんを最後に見たのはいつだっただろう。2か月くらいは経過しているかもしれない。
写真を撮って、禎一くんの写真と比べてみたら……違っていた。

↑上が今日いたトウダル。下が禎一くん。模様が違う。

かわず庵の庭に曼珠沙華が1輪だけぶった切れて倒れていた。切った覚えはないのだが……もしかして、まだ花が咲いていないときに草刈りで伐った後、花が咲いたのだろうか? そんなに生命力が強いのか?
ミニ池まで運んで、池に差した。

U字工事がまた来ていた

助手さんが栃テレの番組を録画していた。「下の家が出てくるみたいだから」だって。
「下の家」というのは、岩崎観音のそばにある蕎麦屋。店主が変わった人で、自分で蕎麦畑もやっていて、蕎麦粉は自家製。
店舗がプレハブで見栄えが悪いのを逆に「味がよければいいんだ」と開き直って売りにしている。
最初に訪ねたのはこの日記のときかな
⇒2012年2月1日の日記。
たまに客人を案内することもある。
↑2014年4月26日
2021/09/24
三光神社の狛犬を再確認
一昨日、板橋不動尊の狛犬を見に行って、三光神社と栖克神社の狛犬も願主として「福田常吉」の名前がある、と書いたのだが(30分の長い動画でもそう説明してしまった)、本当にそうだったか気になって、確認しにいった。
涼風号MarkIIでお散歩シリーズ動画の第2弾にするかどうか……ちょっと気が重かったが、どんどん怠けていくことに抗うため、Stylus1をまた首からぶら下げて出発。
で、台座を確認してビックリ。
福田常吉ではなかった!
ほとんど読めなくなっているのだが、「福田辨蔵」と彫ってあるように見える。
過去に台座を撮った写真をできる限り掘り起こして、読める文字を組み合わせてみたところ、建立年も昭和3(1928)年ではなく昭和5(1930)年が正解のようだ。
というわけで、前回の日記も一部訂正した。

↑↓この写真だと、願主の名前はほとんど読めない。


↑↓石工名も、この写真だと「入江兼吉」だけ読むのが精一杯だが……


↑泥を落とすと、その下に「朝光」という号があった。

願主の名も、泥を落とすと「常吉」ではなく「辨蔵」と読めるような……
結論としては、この狛犬の願主は当所「田中坪?」の福田辨蔵さん。石工は徳次郎の入江兼吉朝光さん、ということでOKかな。
となると、福田常吉と入江兼吉を結ぶ糸はないのかもしれない。
しかし、石工をしていた福田家が板橋にあって、板橋不動尊や栖克神社、栖克神社隣の稲荷神社などの石造物に関わっていたことは間違いないだろう。
で、本日の動画はこれ↓ 笑ってやってくだされ。