次は鹿沼市富岡の熊野神社。ここは
涼風号MarkIIで何度も訪れている。
しかし、不思議なのだ。
グーグーさんが2005年7月9日に訪れているときは、入口に腹の下をくり抜いていないはじめ狛犬が写っているのだが↓

2005年7月9日 グーグーさん撮影↑
2012年3月6日に訪れたときは、入口にあったはずのそのはじめ狛犬がなくなっていて、新しい小振りのもの(中国製?)が置かれていた↓。
盗まれたのではないか、とやりとりした記憶がある。私はそのはじめ狛犬は見ていないので、残念でならない。
2012年3月6日 なぜか水没していたが、入口の狛犬が変わっている。

↑↓2012年3月6日撮影。社殿前にはこの小さな狛犬しかいなかった。


↑2021年2月26日。今回も入口の狛犬はこれだった。足座に刻まれた銘は「平成21(2009)年3月 高村巌」
さらに、今回は巨大な護国型狛犬が追加されているのだ。↓


こんなでかいの、前に来たときにいたっけ?

相当でかい。

この大きな護国型をじっくり見てみよう。非常に立派で、護国型としてはとてもよくできている。


顔もよく彫れている。





助手さん担当の足フェチ拡大写真


細部にわたるまでとてもしっかり彫れている。



台座には「石工 石鉄 宇都宮市砥上町」とある。平成25(2013)年は2012年に来て撮影したときの翌年にあたる。
この顔は篠原鉄三郎ではないかと思い、帰宅後、いろいろ調べてみたところ、宇都宮の「石鉄」は本社は鹿沼であり、社長は篠原姓。篠原鉄三郎のご子孫だろうと思う。
で、狛犬が平成25(2013)年に彫られたとは思えない。台座との年代差が感じられる。
しかし、2012年にはこの場所にこの狛犬はなかったのだから、2013年に置かれたことは間違いない。
想像するに、この狛犬は昭和期の篠原鉄三郎の作で、他の場所(例えば篠原石材店~石鉄の倉庫)にあったものを、奉納者の依頼でここに奉納したのではないだろうか。
よく見ると「建立」とあるので、平成25年に狛犬を「作成」したという意味ではなく、ここに「建立」したという意味だろう。
昭和40年代あたりの制作ではないかと思う。その頃の「篠原鉄三郎」は初代ではなく、2代か3代、あるいは篠原石材店の複数の石工が「篠原鉄三郎」というブランドを継いでいたと想像できる。
岩崎神社の昭和43(1968)年の護国型に似ている↓が、彫りはもっと剛胆だ。
岩崎神社の狛犬。昭和43(1968)年
おそらく同時期のものだろう。
大正から昭和1桁時代にかけての初代(?)・篠原鉄三郎は、顔がやや横長で丸い目の狛犬を彫る人だったが、皇紀2600年もの(昭和15=1940年)に多くの岡崎現代型を作って周辺の神社に納め、戦後、昭和40年代あたりではこのタイプの護国型を多く彫った……という流れが見て取れる。

狛犬、彫刻屋台、未発表小説、ドキュメント……他では決して手に入らない本は⇒こちらで
★Amazonでも購入できます⇒
こちら
『彫刻屋台図鑑01 鹿沼の彫刻屋台』★
ユネスコ無形文化遺産登録で注目が集まる鹿沼の彫刻屋台。全27屋台を128ページフルカラーで「アート」として見つめ直す写真集。
B6判・128ページ フルカラー オンデマンド 無線綴じ
1680円(税別) 送料:220円
■ご案内ページは
こちら
『彫刻屋台図鑑02 宇都宮・今市の彫刻屋台と天棚』
写真・文:たくき よしみつ 写真:鐸木郁子
地元の人でも滅多に見ることがないという石那田、徳次郎の屋台(計12台)の他、今市の6台、その他、東下ヶ橋の天棚など、合計23台をフルカラー写真で収録。収録写真画像500枚超。類書がない貴重な資料。