助手さんの実家片付け3回目。
今日は「なんでも買い取ります」という触れ込みの買取り業者が来る日だったので、わざわざ日光から片道2万円近くかけて出かけていったのだが、結局、持っていったのはレコード(ゼロ円)と安藤広重の東海道53継絵図(非売品で1枚ずつバラになって布張りの大きなケースに入っている)だけ。
53継の絵は「古書店が写真を見ただけで2000円の買取りを提示した」と言ったら「じゃあ、3000円で」と買い取っていった。それまで、ネットにつないで時間をかけて調べていたので、万単位で売れる品だと分かったからだろう。
他はまったくダメだった。
来たのは若い男性一人で、「東海道五十三
継續絵」の字が読めなかった。
「本は無理ですね~」「家具は無理ですね~」「家電も無理ですね~」「着物は着る人によるので買い取れません~」と連発して、結局何も持ち出せないまま。
この業者に依頼するとき、本が中心であるということは告げてある。「大丈夫です。分かるものをいかせます。男性2人なので重いものでも持ち出せます。本や家具はそのままの状態でも大丈夫です」などと言っていたのに、話が全然違う。
これで学んだことは、
- なんでも買い取りますという業者はいちばんダメである
- 電話応対の相手の言うことを信じてはいけない
- WEBの広告文句は誇大広告だと思え
……ということであった。
その業者が帰った後、様子を見に来た不動産屋さんと話し合い、やはり本に関してはもう少し、古書店などの専門業者に査定依頼、出張買取りの可否を確認してから処分にしましょう、ということになった。
いやはや徒労感ハンパない。
片付けのために3回目の往復だったが、行きも帰りも首都高は渋滞しているし、特に物流は今まで通りにめまぐるしく動いている。多くの業態で、コロナはもう関係なくなっている印象。それはそうだよなあ。Amazonにものを発注すれば日光の田舎に翌日届くし。
ただ、飲食関係やイベント関係などは、まだまだ復活できず、どんどん死んでるんじゃないだろうか。自分たちも、まだ今年、外食していない。
精神的な呪縛というか、そういうのが解けるのは時間がかかるのだろう。
たまに外出していちばん腹が立つのはコンビニでのレジ袋有料化だ。
この時期に強行したことで、どれだけの人が余計なストレスと労力を増やされたことか。ごみ問題や衛生管理にとっても、むしろマイナスなのはいうまでもない。
マイバッグの中が不潔になっていたり、万引きが増えたり、レジでのトラブルが発生したり……いいことゼロ。ゴミが……というなら、ポイ捨てや不法投棄をさせない、焼却施設の高性能化というほうが大切な話で、海にプラゴミが溜まっていくというのはマナーの悪い諸外国の問題が大きい。日本でも昔は平気でポイ捨てしていたのと同じで。
これに関しては一部企業への利益誘導というよりは、政治家が単にバカなのかな、と思う。
本気でCO2削減だとかプラスチックゴミ削減だとかに結びつくと考えている連中が相当数いるのではないか。恐ろしいことだ。
帰宅後、複数の古書専門店に写真を添えて出張買い取りの可否を訊ねたが、どこも「買い取れるものがない。あったとしても100円とかそういうレベルなので出張は無理である」「文学全集や美術全集の類は売れないので買い取れない。処分費をいただくような形になってしまう」などなど、まったくダメ。
最後、地元の古書店(店から現場まで10分で来られる)をなんとか説得して、「値がつかなくてよいなら、軽ワゴンで1回分だけ引き取りにいく」という話をまとめる。
とにかく疲れる。
もはや重厚な装幀の高額な書籍ほどゴミになるのだなあと思い知らされる。
百科事典の類はまったくのゴミ。文学全集も、古典に属するようなものはほとんどが青空文庫で無料で、スマホやタブレットで読めるし。
美術全集は、美術を楽しむ余裕を人々が失っているし、家が狭くて置いておく場所もない。特に若い世代ほど、今や生きるのに精一杯で、文化だの芸術だのと言っていられない。
実際、買い取り査定に来る人はみな若い男性である。
ネットで広域展開しているような買取り業者ほど、現場に来るのは若い人たちで、本部の指令に従って動いている。
彼らの給料、交通費、組織の維持費、宣伝費……などなどをまかなうには、利ざやの薄いものは見捨てて、高額で転売できるものだけに的を絞り、安く買い取るしかないわけで、仕方のないことだ。
分厚い百科事典を隅から隅まで読んだ人などまずいない。ほとんどは買ってそのまま本棚の肥やし、というか飾りになっていたはず。今はスマホで最新情報が何でも分かる。
美術全集も、何度も何度も見て、鑑賞を堪能した人は少ないだろう。やはり本棚の体裁ネタになって何十年もそのまま。地震のときに倒れてくると命取り。
そう考えていくと、いつでもひょいと手を伸ばせば見ることができる小型のペーパーバックで、中身は読み応え、見応えのある本(I hope so.)を作っている自分を少しでも正当化、というか、慰められるかな。
ようやく安倍政権が終了……と思いきや、その後のことを考えるとまたまた目眩がする。
消去法で行けば
「クラウンじゃ嫌だ、レクサスにしろ」のこの人が、それでもいちばんマシなのかなと思うが、テレビに連日この顔、この表情、この物言いが映し出されるのかと思うと、クラッとする。まあ、今までよりはずっとマシだが。
と思っていたら、安倍の辞任会見後、安倍政権支持率が急上昇したとかいう、生きる気力をすべて奪い取るようなニュースが……。ふうう(深く深呼吸)。
しかも、その後、菅がやはり出るらしいとなると、メディアは一斉に菅のことを、やれ苦労人だとか、叩き上げだとか、冷静沈着だとか、令和おじさんだとか、プラスイメージを植えつけるような報道に雪崩をうつ。
ダメだこりゃ。
正気を保つ努力をますます重ねないと、病気になってしまう。
テレビはお笑いと海外ドラマだけにしよう。
YouTubeに知らないうちに
「Mix - A Soalin' (ukulele x 2)」というMIXリストができていた。
この手のリストって、どういう風に作られるのだろう。YouTubeのユーザーが作ってUPするのか、それともYouTubeのスタッフがやっているのか、YouTubeのシステムアルゴリズムが自動的に作成するのか。
ちょっとググってみたところ、ミックスリストと再生リストは別物らしい。ミックスリストは自動生成される……というようなことがYouTubeコミュニティに書かれていた。
だとしたら、再生数が大して多くない動画からのミックスリストというのは、どういうアルゴリズムで作成されているのだろう。
AIが、この音楽が好きな人はこんな音楽も好きなはずだ……とやるのか?
もし、人間が作成しているのだとしたら、このミックスリストの内容はかなり興味深いものがある。ウクレレものだけが集まっているというわけでもないし。
「A Soalin' (ukulele x 2)」には2人のコメントがついていた。どちらも嬉しいコメントだが、結局、いろいろ凝ったことをやるよりも、シンプルな弾き語りのほうが人を感動させる力はあるのかな、と思ったりもする。
肉声の力、生楽器の音の力。
う~~ん。
それだと演奏の力ってことだもんなあ……目指しているものとは少し違う。
自分が探究しているのは
メロディの力であって、それを伝えるための手段はうまい演奏家に任せたいし、プロではない普通の人たちにメロディを記憶し、口ずさんでほしい。
でも、その願いが、どんどん遠ざかっていくのも感じている。
さて、いつまでこんな悩みをグダグダと抱えながら音楽を「作る」作業を続けていけるのだろうか。