
神社なのに狛犬はいなくて、なぜか石仏が。

元文2(1737)年10月19日と、はっきり読める。283年前か。

摩耗しているけれど、穏やかな顔の半跏思惟像。

「奉供養十九夜念佛」と読める。十九夜講のほとんどは女人講、念仏講。この地域では、残っている石仏のほとんどは女人講が残したものだ。ということは、これも如意輪観音だろう。

質素な石の祠は大正2(1913)年。おそらく元々の社殿が焼失などして、仮に造ったものがそのまま今も残っているのではないか。

感心したのはこれ。ピカピカの黒御影石で「移転記念碑」が2つ並んでいる。

最初は昭和55(1980)年。道路拡張工事のために移転。富久田さんが敷地として44平米を無償贈与したとのこと。富久田(とみくだ)さんの爺さまは、以前、「秘密の沢」を復活させようとしていたときに草刈りを手伝ってくれたりもした。頑固そうだけど、心が気持ちよい人。彼のことかな。

次はこれ。平成31(2019)年というから昨年。報徳会というのは、すぐそばの特養を運営しているところかと思ったら違った。宇都宮で病院や老健を運営しているようだ。こんなところに土地を所有していたのね。

割れた社額が捨てられずに残っていた。