今日は日本の原発が爆発して3000日目の記念日である。
3000日を1年365日で割れば8年と80日。正確には閏年があるから、2、3日短いが、要するにそのくらいの月日が流れた。
私は、「絶対安全神話」によって突き進められてきた原子力政策がああいう決定的な形で破綻した事件は、日本という国が戦争に負けたり、原爆を落とされたりしたのと同じくらいの重い意味を持っていると思っている。
ところが、今の日本は、原発爆発がなかったことのようにされているどころか、原子力政策の間違いを認めず、再稼働どころか輸出まで本気で進めている。
歴史の重みって、そんなものなのだろうか?
そこでふと、太平洋戦争で日本が敗れてから8年後がどうなっていたのか振り返ってみたくなった。
1945年8月15日に日本では昭和天皇が「この戦争に負けました」という内容のラジオ放送を流して、日本中が敗戦を知った。
それから進駐軍がやってきて、ギブミーチョコレートやパンパンの時代になって……8年後の1953年はどういう感じになっていたのか?
Wikiで1953年の出来事から、いくつか目に留まったものを拾い出してみると、
1月
- 大洋と松竹の合併に伴い、セ・リーグは6球団制へ移行
- 早川電機(現シャープ)が、国産初のテレビ、TV3-14T 175000円を発売
- ダレス米国務長官が、対共産圏軍事対決を主張する「巻き返し政策」の演説を行う
……といった感じで始まり、
2月
- NHKが日本で初のテレビジョン本放送を東京で開始。バラエティ番組『ジェスチャー』始まる
- 衆議院予算委員会で吉田茂首相が社会党右派の西村栄一議員に「バカヤロー」発言。翌月、衆院は「バカヤロー解散」
3月~5月
- スターリンが死去したことにより株価が暴落
- 国際電信電話株式会社(KDD)設立
- 阿蘇山が噴火、5人死亡
6月
- アメリカのユダヤ人・ローゼンバーグ夫妻が、ソ連へ原爆製造に関する機密を流していたスパイ容疑で死刑執行される。その模様はメディアでリアルタイムに刻々と伝えられ、世界中が興奮した*
- 西日本水害。九州地方を中心に758名の死者を出した集中豪雨
7月
- 南紀豪雨。和歌山県を中心に死者・行方不明者1,046名
- 朝鮮戦争の休戦成立
- ソ連でベリヤ副首相逮捕。12月に処刑*
8月
- ソ連が水爆保有を発表
- 南山城水害。京都府南部を中心に死者105名。初めて「集中豪雨」という言葉が使われる
- 日本テレビが初の民間テレビ放送開始
9月~10月
- トヨタ自動車が、クラウンの原型となる「トヨペット・スーパー」を発売
- 巨人が対阪神ダブルヘッダーに連勝し、3年連続セ・リーグ優勝
- 米韓相互防衛条約調印
- 日本シリーズで巨人がV3
11~12月
- 徳島ラジオ商殺し事件
- 米英仏首脳のバミューダ会談
- 板垣退助像の百円紙幣発行
- 奄美群島が日本に返還される
- 熊本県水俣市の水俣湾周辺の漁村地区などで猫などの不審死が多数発生(水俣病)
国民はプロスポーツやバラエティ番組を楽しみ、あちこちで豪雨などの天災。海外では独裁者の権力闘争やらなにやら……。今の日本とどこか似ている気がする。
……このうち、ローゼンバーグ夫妻の処刑とベリヤ副首相の処刑については少し説明を加えておきたい。
ローゼンバーグ夫妻処刑
ローゼンバーグ事件を知るためには、ドイツ出身の核科学者のクラウス・フックスという人物を知る必要がある。
フックスの父はルター派神学者エミール・フックス。1932年にドイツ共産党に入党。その後、ドイツでナチスが台頭すると、フランス~イギリスと逃れたが、第二次大戦勃発後に「敵国ドイツの国民」として逮捕されてカナダの収容所へ。しかし、釈放され、イギリス軍の原爆計画に加わった。1942年にイギリス国籍取得。
1943年末にはアメリカ合衆国に渡り、原子爆弾の開発を目的として創設されたロスアラモス国立研究所に勤務した。
しかしそれ以前の1941年からフックスはソ連のエージェントと接触し、ソ連に原爆、水爆の製造理論などを流し続けていた。
戦後の1950年、スパイ容疑をかけられたフックスはスパイであることを自白。懲役40年の判決を受け、イギリス国籍も剥奪される。
これがきっかけとなって、アメリカ在住のユダヤ人夫妻ジュリアス・ローゼンバーグとエセル・グリーングラス・ローゼンバーグ夫妻も同様のスパイ容疑をかけられ、逮捕された。大戦中にフックス同様、ロスアラモス研究所に勤務していたエセルの実弟デイヴィッド・グリーングラスから情報を受け取り、それをソ連に流していたという。
夫妻は無罪を主張したが、死刑判決を受け、1953年6月19日に電気椅子で死刑が執行された。
その日は、死刑執行までの状況がリアルタイムで刻々と報道され、全世界が注目し、興奮に包まれた。
……という事件。
後に、実際にスパイ活動をしていたことは証明されたが、流していた情報の質は、フックスが流していた情報の質とは比べものにならないほど低かったとも言われている。
そのフックスは1959年6月に釈放されて東ドイツに渡り、中国の核開発に協力したとされている。
さらに東ドイツでは、ドイツ社会主義統一党中央委員会のメンバー、ロッセンドルフの核研究所の副所長となり、カール・マルクス勲章を受賞している。
ソ連ベリヤ副首相の逮捕・処刑
ラヴレンチー・ベリヤ(1899-1953)は、ロシア帝国時代、グルジアの少数民族ミングレル人として生まれた。
1917年にソ連共産党の前身であるボリシェヴィキに入党。1920年にレーニンが創設した秘密警察に加わり、1926年に支部長に就任。スターリンから目をかけられて出世していく。
その間、数々のサイコパス的な性犯罪を重ねたという話もある。
戦後、フルシチョフが台頭すると、秘密警察を掌握していたベリヤは「秘密警察を国家や党よりも上に置こうとした」として、銃殺刑にされた。(会議に呼び出して絞殺、射殺したという説も)
……歴史は繰り返すというが、敗戦後8年の日本と世界、原発爆発後8年の日本と世界を見てみると、規模は違うにしても、世相や事件の背景、構造がとても似ているような気がする。
「それは違う!」という批判を承知でいえば、ローゼンバーグ夫妻事件から思い浮かべたのは、籠池夫妻の収監や、おかしなタイミングでのオウム事件犯たちの同時処刑のことだった。
ローゼンバーグ夫妻がほとんど「公開処刑」のようにされた一方で、より本質的な部分を握っていたフックスは釈放され、後に中国の核武装などに関わっている。
誰もが「なんでそうなるの?」とモヤモヤするはずだ。
原爆の技術に関するソ連へのスパイ行動はあったのかなかったのかという話は世界的なニュースになるが、「市街地に原爆を落としたことは正しかったのか?」「なぜ落としたのか?」という論考や解明は十分になされていない。
そうした風潮も原発爆発後の日本に似ている。放射線量や避難指示解除の問題は大騒ぎされるが、そもそも原子力発電は間違っていたのではないか? なぜ爆発するような不始末が起きたのか? という根本問題が十分に論じられていないし、人々もあまり関心を示さない。
長くなったのでこのへんでやめるが、要するにいいたいことは、
「忘れることで解決はしない」「歴史に学べ」ということだ。