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のぼみ~日記2019

2019/03/27

棚倉・浅川を再調査(4)鹿島神社(白河市表郷下羽原)


今回の予定ルートには19か所リストアップしてあったのだが、長久寺や宇迦神社で思いの外時間を取られたので、いくつかカットしなければならない。
少し悩んだが、瀬ケ野方面に向かう。
瀬ケ野村は利平の妻・ノブの出身地。ノブは文化7(1810)年10月10日~明治26(1893)年11月23日(享年82)で、瀬ケ野村の 大沼金蔵の次女として生まれている。
現在の大沼家では、江戸時代のことなどはまったく分からないとのことで(それはそうだろう)、瀬ケ野村というところがどんな地形、雰囲気の場所なのかだけを見ておきたかった。
その途中で立ち寄ったのがこの鹿島神社。Googleマップに載っている写真には古そうな石仏や狛犬があって、調べてみる価値があると思ったのだが、狛犬は見あたらなかった。
後から確認したところ、GoogleマップにUPされている写真のうち何枚かはまったく違う神社のものらしい。
しかし、いい感じの古い石仏がたくさん、それもひっそりとあって、雰囲気のある神社だった。



この燈籠は元禄と「亥」だけが読み取れるので、元禄8(1695)年(乙亥)だろう。



これは正徳3(1713)年の銘が読み取れる。「澄悦法師」という法名も読める。
「有縁無縁三界万霊……」
「三界」とは「欲界」「色界」「無色界」のこと。「欲界」とは淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた有情の住む世界。「色界」とは欲界の2つの欲望は乗り越えたものの、まだ物質的条件(色)にとらわれた有情が住む世界。「無色界」とは欲望も物質世界も超越し、精神のみの世界。
つまり、「三界万霊」とはこの世のすべての世界の霊ということだという。
そこに住む縁のある人、ない人すべての人びと、という意味だ。
自分の先祖だけでなく、この世界に生を受け、死んでいったすべての霊を供養する、ということなのだね。



参道脇の小さなお堂の裏に集められている江戸時代の石仏群。






年号が読めるものはほとんどが江戸末期あたりだった。飢餓や重税に苦しんでいたであろう人たちが、精一杯の金を出してこうした石仏を奉納していたことを思うと、現代とはずいぶん違う精神世界に生きていたんだなあと、改めて考えさせられる。








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