2018/01/30
雪明かり
二度目の雪が溶けないまま夜はスーパームーンに近い満月で、こんな風景になっていた
一夜明けるとこう。気温が低いのでまだ雪は枝にくっついたまま
陽のあたる屋根は溶けるのだが、陽があたらないところは凍結して危険
2018/01/31
一人飯シリーズ
一食目
二食目
2018/0201
三食目。……すべてに竹輪がついてくる
寒い
温暖化か寒冷化か、という論争はくだらないので、どうでもいい。短期(10年くらい)ではどうか、中期(100年くらい)ではどうか、長期(1000年以上)ではどうか、答えは時間が経過すれば分かる。
問題は、どっちであったとしても二酸化炭素が増えたから温暖化という論はデタラメであり、政治的(というよりは商業的?)プロパガンダに過ぎないということだ。
金儲けに関係なく、二酸化炭素温暖化説を熱く語る人たちというのは、どういう精神構造なのだろうか。ほとんど宗教のようになっているのではないか。
そんなことよりもレオが死にそうだ。
これだけ間断なく寒い日が続くと、回復できないままどんどん体力が奪われ、内臓の機能が低下していく。
それでも食べる意欲はある。ここ数日は食べては吐いての繰り返しで、見ているのが辛い。
生きたいという気持ちがあるうちは、なんとか援助したいのだが、いかんせん「ひとんちの犬」なので、悩ましい。
自分が死ぬときは凍死もいいかもしれない、などと思っているのだが、犬は耐寒性能が優れているので簡単には死ねない。南極で生き抜いたタロ、ジロの例もある。
川内村時代に毎日一緒に散歩していたお隣のジョンは、身体の上に雪を積もらせながら平気で外で寝ていた。
切ない生き物だなと思う。
先日、夜中に久しぶりに「死ぬ夢」を見た。
どういう状況で死ぬのか、思い出せないのだが、何か黒くて四角い巨大なアイコンというかスイッチのようなものが目の前にあって(垂直ではなく、地面の上に置いてあるような感じ……そのへんはっきりしない)、そこに乗るだか触れるだかした瞬間、あ! これで死ぬんだ! とはっきり分かり、思わず軽い悲鳴を上げて目がさめた。
毎晩、寝るときには「このまま目がさめなければいいかもしれない。そんな死に方ができたら最高だ」と思いながら、す~っと眠りに落ちるのだが、寝ている最中はまだまだ死への恐怖、生への執着があるのだと実感した一瞬だった。
心身ともに疲れて、ああ、睡い、身体が重い、このまます~っと死ぬならそれでいい……と思うような死に方ならいいのだが、気持ちが伴わないままで、突然死を突きつけられるのはやはり怖いのだな。
しかし、考えてみると、「死ぬ夢」は見ても、「殺される夢」というのは見た記憶がない。見ているのかもしれないが、覚えてない。銃で撃たれたり、ナイフで刺されたり、刀で斬られたり……そういう夢は見たことがない(と思う)。それだけ平和な時代に生きているということだろうか。
これが戦国時代や戦時中なら、絶対に「殺される夢」を見るのではないだろうか。
たまに見る死ぬ夢のうち、いちばん多いのは高いところから落ちるというもの。あ、ここから落ちたら絶対に助からない。あと1秒か2秒で死ぬのだ……と思って、恐怖のうちに目がさめる、というパターン。
死ぬ準備ができていないままの死は怖い。
目がさめてから思った。
まだ生きる気満々じゃん、俺って。やることはいっぱいある。それを人から評価されるかどうかはどうでもいい。自分の価値観に従って生きられるだけでも、奇跡のような幸運、幸福ではないか……と。
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