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のぼみ~日記2017たくき よしみつの日記2017


2017/12/18

「医者には絶対書けない幸せな死に方」は、本当に「医者には書けない」のか?


校了までに何度も書き直したうちの一部。推敲や校正のために、オンデマンドで印刷・製本していた

『医者には絶対書けない幸せな死に方』(講談社プラスα新書)の発売まであとひと月になった(2018年1月18日発売)。
この本の企画を講談社に持ち込んでからすでに1年以上が経過している。
企画提案以降、何度も「テスト本」を印刷・製本した(上の写真はその一部)。最終版のpdfの奥付記録はこうなっている。
「医者には書けない」と銘打っているからには、その根拠を説明する責任があるかもしれない。
もっとも、このタイトルが最終的に決まったのはつい先日で、僕が決めたものではない。
企画を持ち込んだ段階で僕が仮につけていたタイトルは、
死に時・死に方・死んだ後
というものだった。
しかしすでにその段階で、まえがきには、
「死に方」についての本は医療関係者や宗教関係者によって書かれることが多いのですが、私はそのどちらでもありません。しかし、医療や宗教の現場とは無関係だからこそ、体裁を繕わず、本音で、踏み込んで、あるいは一線を「踏み越えて」書けることがあります。
という一文は入っていた。

企画会議は通らず、ペンディング扱いになった。上のテスト本奥付記録で3月から7月まで4か月空いているのはそのためだ。
編集のTさん(僕は彼には全幅の信頼を置いている)は編成会議には「死ぬ技術」というタイトル、コンセプトで提案したそうだ。
これには脱帽した。なるほど「死ぬための技術書」というコンセプトか……。それなら確かに「医者や宗教者には書けない」だろう。
この「技術」という大胆なキーワードを得た上で、以後、何度も書き直しを重ね、しぶとく食い下がった。それでようやくGOとなり、入稿を始めたのが夏。それから校了までも、大きな書き直しを何度も重ねた。

人の終末期においては、苦しみを加えるだけの延命治療はやめて「自然死」をうながすべきだ、という意見を表明する医師は増えている。
僕の手元にある参考書籍の著者をざっと拾ってみても、石飛幸三、長尾和宏、中村仁一、久坂部羊、西村文夫……みんな医師である。
内容はどれも納得で、僕もずいぶん参考にさせていただいたし、彼らの姿勢には心から敬意を表したい。

自然は、私たち生き物が、穏やかに最期を迎えられるようにセットしてくれています。それを人工的な延命措置を施して自然の摂理に逆らおうとすると、生き物に与えられた自然の恩寵(神の恵み)を受けられなくなります。
身体が最後に代謝を終えるのなら、飛行機が着陸するのなら、もう水分も燃料も無理に補給することはない、欲しくなくなるのですから食べなければよいだけ、そのうち眠くなって夢見心地、老衰の最終章はそんな姿です。
「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのになぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三

……「医者には絶対書けない」どころか、すでに多くの医者が書いていることじゃないか、と言われそうだ。
確かに、「自分は医師として無理な延命治療には反対である。なぜなら……だからだ。この実態をあなたも知った上で、自らの死に向き合ってほしい」……という趣旨の本は多い。
彼らは、終末期患者と接した経験をもとに「こんな死なせ方はよくない」「もっと人間らしく、穏やかに、自然に死なせるべきだ」という「意見表明」をしている。しかし、では、具体的にどうすればいいのか、という「技術」についてはあまり語っていないように思う。医療の現場から発信できる情報は案外限られているし、実際の医療制度の問題などにまで踏み込むのは現役の医師として躊躇われるということもあるだろう。
「自然死がいい」と言われても、医者ではない我々にはできないことがたくさんある

こうした本を書いているあなたのような素晴らしい医師がそばにいてくれるならいいけれど、実際には在宅看取りに理解を示し、家まで来てくれる訪問医師はほとんどいない。
「あなたの街のホームドクター」を標榜している、いつもにこやかで優しいかかりつけのお医者さんも、いよいよ最後になると「ここから先はうちでは無理なので、ちゃんとした医療措置のできる急性期病院へ」と言って、長い間診てきた患者を急性期病院に送り込む。
その大病院では、患者が入って来るなり、医療点数の高い検査や投薬を徹底的にやり、それで死期が先送りされると、今度は入院基本料が下がって「まるめ」にされてしまう90日前には一転して追い出しにかかる。

介護施設にしても、自分のところで看取りまでするというポリシーを持ったところは極めて少なく、最後、食べられなくなったら病院へ送り込むことがほとんどだ。石飛さんのような自然死をテーマにしている医師が専属で常駐している施設など、日本中探しても数えるほどだろうし、たとえ見つかっても人気が高くて簡単には入れない。
また、石飛さんがいるのは特養だが、今は要介護3以上じゃないと特養には入れない。石飛さん自身、言っている。
特別養護老人ホーム(特養)の入所は、厚生労働省が要介護3以上に定めたので、衰えが進んで重症化している人ばかりが入ってくるようになりました。以前は、認知症で徘徊する人や「帰りたい、帰りたい」と騒いだりする人など体力的に元気な人がいましたが、いまはそんな元気な状態で特養に入ってくる人は珍しくなりました。「平穏死」を受け入れるレッスン

要介護3というのは、ざっくりいえば、排泄、食事、入浴など、日常の行動ほぼすべてに介助が必要で、認知症の程度も重い状態だ。そういう状態になって初めて特養に入る「権利」を得られるわけで、今、普通に生活できている人が考える「幸せな死に場所」とはかけ離れているだろう。
頭はしっかりしていても金がない老人が安心して過ごせる(穏やかに死ねる)場所や環境を見つけるのは極めて困難なのだ。
金さえあれば快適な施設は見つかるのかもしれない。政治家や有名人などセレブ御用達病院として有名な聖路加国際病院と提携している「聖路加レジデンス」は、65歳から79歳まで入居した場合、2億200万円~5億5200万円(税抜き)という金額が提示されているが、もちろん、一般人がそんな金を持っているはずもない。
貧富の差が広がり、年金や福祉関連の制度が崩壊していく今後、「幸せに死ぬ」ことはますます難しくなっていくだろう。医者が書く「死に方論」では、そうした視点からの具体的提言も乏しい。

また、自分では、病院には絶対に行かず、家で静かに死ぬ覚悟ができていたとしても、いざとなると家族や親族がそれを許さない可能性が高いだろう。その危険を回避するにはどうすればいいのか?

その他もろもろ、「穏やかに、幸せに死ねない」要因が山のようにあって複雑に絡み合うのが普通だ。それを解決していくための個々の技術については医者たちはあまり教えてくれない。
さらには親の認知症問題や、老後破産の問題などが重なり、解決しなければいけない問題は次から次へと増えていき、「終末期の延命治療を拒否する」という話だけでは対応できない。


『医者には絶対書けない幸せな死に方』では、現時点で考えられる限りの問題点を洗い出して整理し直し、その対応策──「技術」について、極力「具体的に」提案していった。
医者や病院とつき合う技術、幸せに死なせてくれそうな施設を見つける技術、認知症につぶされない技術、老後破産せずに楽しく生ききる技術、そして最後には「自ら死ぬ(自殺の)技術」にも言及している。

本書を何度も何度も書き直している期間は、父の認知症と老後破産に向き合い、介護生活を実際に経験していく期間でもあった。医療や介護の現場で働く人たちの生の声にも数多く触れることができた。
介護保険制度や介護施設関連の裏事情については、ルポライターなどによる「告発もの」はよく目にするが、それを知った上で、具体的にどんな解決策があるのか、どうやって「死に場所」を見つければいいのかを書いている本は少ない。もちろん、医者が書いた「死に方の本」も、その方面のことまでは言及していない。
そうしたもろもろが「医者には絶対書けない」部分なのだと思っている。

本書の内容については⇒こちら(http://takuki.com/shinikata.html)をご参照ください。




医者には絶対書けない幸せな死に方
「医者には絶対書けない幸せな死に方」(講談社プラスα新書)
2018年1月18日発売  内容紹介は⇒こちら

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