先月の13日、
日光に引っ越してきて6年目にして初めてノウサギを見た。越後時代にも阿武隈時代にもノウサギというのはほとんど見た記憶がない。一瞬、横切るのを見たとか、その程度ならあったようにも思うが、まじまじと観察できるほど近くで見た記憶はない。
それが、日光で、しかもすぐそばを車が通っているような原っぱで悠々と飛び回っているのを長い時間見ていられたのだから感激した。
その原っぱにはこのところいつ行ってもキジの夫婦がいて、そのときもキジを撮っていた。そうしたら目の前を何か違うものが横切っていったのだ。
もう一度見たいと思って、その後も何度か出かけたが、キジの夫婦は毎回いたが、ノウサギは現れなかった。
で、今日(5月20日)は、主に別の目的で出かけたついでに横を通ったのだが、原っぱ全体が完全に消滅していた。
間違いなくメガソーラー建設だろう。すでに周辺の草むらがことごとくつぶされてソーラーパネルだらけになっているので、ここも狙われているのではないかと危惧していた矢先だ。
ここは草むらだけでなく、そこそこの水たまりを含む湿地もあった。そこにはオタマジャクシ(おそらく時期的に見てアカガエル)が泳ぎ、ヤゴなどもたくさんいた。通年、水が完全には抜けず、湿地を保っている場所というのはこのへんにはもうほとんど残っていない。ツチガエルなどがオタマジャクシのまま越冬するためにも必要だし、鳥や野生生物にとっても貴重な水場になっていたはずだ。
それがつぶされてしまったのは本当に痛い。

オタマジャクシやヤゴがいた水たまりも埋められていた
日光に引っ越してきた直後、町内の集まりで「自然環境を……」と口にした途端、「人間は自然を壊して生きているんだからしょうがない」と反論する人がいた。めんどくさいやつが引っ越して来やがった……と警戒の目を向けられたようだ。
俺たちは環境を壊して金を稼ぎ、よりマシな生活を営んできた。これからもそれは続くんだから、きれいごとを言うな……というわけだ。
しかし、こうした犠牲に見合うだけのメリットが人間にあるのか? 太陽光発電バブルはすでにはじけている。中小の業者はあちこちで倒産しているし、大手は最初から「建て逃げ」作戦だから、あと10年もすればあちこちで事業者不在ソーラーパネルが増えるだろう。
20年もすれば、ゴミとなって放置されたソーラー設備の撤去で、各自治体は苦労するに違いない。
すでに我々は高額な「再エネ賦課金」を電気料金に上乗せさせられている。
金がかかる発電方式というのは、それだけエネルギーを使っているということだ。
太陽光発電パネルを製造する過程で、すでに膨大な電気や資源を使っているからこそ高くつくのだ。使ったエネルギーを回収できるだけの発電ができない、見込めないからこそ電気料金や税金を投入して無理をしている。
原資が税金や公共料金だから、そこに生じる
利権にたかれば確実に儲かる。
人の金で非合理な商売をして儲ける……
この構図は原発を推進してきた国策と同じだ。
問題が起きても誰も責任をとらないし、負の遺産を押しつけられ、つけを払わされるのは若い世代。これのどこが「クリーン」なのか。
発電にかかっただけ電気料金に上乗せしていいですよという「総括原価方式」をやめれば、必然的に、最も合理的で省エネの発電方法をとらざるをえなくなるから、原発も大型ウィンドタービンも無茶なソーラー発電もなくなり、日本の環境破壊は緩まる。
日光杉並木は国の特別天然記念物に指定されているわけだが、その両側はすでにソーラーパネルだらけになっており、杉並木を通っていても杉の幹越しに異質な光景が見える。
ナガミヒナゲシが危険生物だの駆除しろだのなんだのと寝ぼけたことを言っている場合ではない。植物も動物も巻き込んだ大規模環境破壊が猛スピードで進んでいるのだ。すでに大変なダメージを受けているが、今からでもなんとか歯止めをかけないと、気がついたときには取り返しのつかないことになる。いや、すでになっている。
ノウサギとの再会を願って、「兎が原」とでも名づけようかと思っていた草原はもうない。
「兎が原」の横は通学路だが、これから先、子供たちはノウサギやキジではなく、ソーラーパネルに埋め尽くされた土地を横目に見ながら通学することになる。その子たちは「再生可能エネルギー」は増やすべき重要なもので絶対的な「善」だと刷り込まれているから、これは「自然にとっていいもの」だと信じて成長するかもしれない。……やるせない……。

道路(通学路)側から見た光景。もうすぐここに黒いパネルが敷き詰められるのだろう
このままでは日光杉並木は「ソーラー街道」になる
このへんを散歩するたびに、オセロゲームのコマようにソーラーパネルが増えていく。「え? ついこないだ通ったときにはなかったのに……」と呆気にとられるのだが、だんだん麻痺してくるのが怖い
日光杉並木は、日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けているのだが、そのすぐ脇をソーラーパネルで埋めていくことになんの制約もかからないのか?

今日も重機が稼働中。ここはもうすぐパネルで覆われるだろう

消滅した「ウサギが原」のすぐ横。住宅や農地に隣接してすでに設置されたパネル

例幣使街道。杉の間から見えているのは牧場なのだが……

なにやらパネルを載せるフレームがすでに組み上がっているようだ。ここも牛からソーラーに転換か……

杉並木を挟んで反対側の草地。ここなどもすでに「予約済み」なのかもしれない

その先、日光山内に近づくにつれ、杉並木の間から見えるパネル群は増える

これだけ増えると植生や生態系も影響を受けないわけにはいかない。ただでさえ毎年倒れる杉が増えているのに、大丈夫なのか……


手前が例幣使街道の杉並木。そこに隣接して作られたメガソーラー。道を渡って見ると……↓

こういう規模のものがあっという間に作られている

国も県も市も、何を考えているのか?

ここを通って日光山内や奥日光をめざすハイカーやライダーたちは多いが、こうした風景に迎えられてどんな気分になるだろうか

ソーラーパネルを敷き詰められた側と街道を挟んで反対側。見えているのが杉並木(この向こう側が例幣使街道)。こちら側にもこうした草原があちこちあるが、この調子だとどんどんパネルが敷き詰められ、日光杉並木街道はソーラーパネルに挟まれた「ソーラー街道」になってしまいそうだ

ここも狙われそうだなあ。すでに「予約済み」なのかもしれない……
悩みながらもこんな動画を作ってみた
↑これを作りながら「プロテストソング」という言葉を思い出した。ずいぶん前に消えた言葉のような気がする。まさか人生の終わりにさしかかってこういうものを作るとは思わなかった
プロテストというよりも、ただただ悲しい、虚しい。
この地でノウサギに再会することは、もう一生ないかもしれない。
(2017年12月20日追記)
後日、この近所に住んでいるかたから、この横の道でノウサギが車に轢かれて死んでいたと報告があった。棲み処を失ってしまった悲劇。通学路だから、その野ウサギの死体を見ながら子供たちは学校に行き来したのだろうか。
なぜノウサギがそんな死に方をしなければならなかったのか、伝わっただろうか。