家康の墳墓の上に建てられた宝塔(奥宮)の前にあるのがこの銅製唐門。当初は石造りだったが、慶安3年(1650)に鋳造の門に造り替えられた。
奥の院の歴史をざっと振り返ると、
- 元和2(1616)年4月17日:家康死去。遺体はその日のうちに久能山に移される
- 元和3年(1617):家康が奥社に改葬される
- 元和7年(1621)頃:奥社に木造の多宝塔・唐門・拝殿・鳥居などを建立
- 寛永17年~18年(1640~1641)頃:家光による「寛永の大造替」によって奥社も建て替えられ、宝塔・唐門・鳥居が石造りになった
- 慶安3年(1650):石造りの唐門が何度か崩れるなどしたため、青銅製に造り替えられる
……ということらしい。
元の石造りの鳥居と唐門は山の中に埋められたが、昭和になって掘り起こされて、今は元宝物殿のあった場所のそばに再現されている。
この鋳抜門と狛犬の製作者は衛椎名伊豫。
奥宮の狛犬の歴史もまとめておくと、元和7年に木造の多宝塔などが建立された際には木製の狛犬がいたらしい。
その後、寛永18年頃に唐門などが石造りになった際に石造りの狛犬になり(それが今、休憩所のところにいる狛犬)、慶安3年に鋳抜門に造り替えられたときに青銅製狛犬も同時に建立……ということのようだ。
だから、「現役」の奥の院狛犬はこの青銅製狛犬ということになる。
蜃(しん)はツバメの子が好物で、雨が降りそうになると現れて口からシューシューと霊気を吐き出して蜃気楼を作り出す、とか……面白いねえ。この口から出ているぶっとい牙みたいなのは蜃気楼を作りだす元となる「気体」だったのね。
余談だが、鋳抜門は近づけないので、かなり遠く、しかも横側からしか写真を撮れない。今回は400mm相当の超望遠ができるFZ1000が威力を発揮した。写真に撮って見るまで、狛犬(特に吽像)の眼光などはほとんど分からなかった。
薄曇りという天気も幸いした。ドピーカンだと影ができてしまい、こんな風にきれいには撮れない。