300万円を超える高級車でも「エコカー」認定して税を軽減。逆に古い車を大切に乗り続けている人には自動車税増税という馬鹿げた施策をしている政治家や官僚たちはみな都会に住んでいる。
中には普段スーパーで買い物をしないような人もいるだろう。生まれてこの方、金槌や鋸を使ったことがないという人もいるかもしれない。
田んぼで生きる生物をじっと見ていた経験がないとか、アメンボとミズスマシの区別さえつかない人だっているかもしれない。
そういう人たちが机上の論理で地域振興だの農業政策だのを議論している馬鹿らしさ、怖ろしさ、気味悪さ。
……しかし、こうした「ズレ」はなにも政治家や官僚に限った話ではない。一般庶民においても、都会で育ち都会で暮らす人たちと田舎で生まれ育った人たちとのズレ、すれ違いは大きい。
例えば、
週刊女性に「イマドキ奥さんタイプ別」というシリーズ記事があり、ネット上でも、
- ニューセレブ妻「生活費は月100万、保育園の送迎はタクシー」
- ワーキング妻「夫は中卒。だから子どもの学費に年300万」
- マイルドヤンキー妻「地元愛が止まらない、車は2台で夜露死苦」
……という3本の記事が読める。
この中の
マイルドヤンキー妻「地元愛が止まらない、車は2台で夜露死苦」
という記事。タイトルに大いなる違和感を感じて読んでしまった。
マイルドヤンキーという言葉、語感も意味も最初から気に入らなかったが、まだこういう感じで使われているのだなぁ。
記事の内容はどうということもない。あたりまえにいる家族の話で、ドラマがあるわけでもないし、珍しさや驚きもない。それなのにわざわざ記事にするというのは、この記者(おそらく都会育ち)にとっては新鮮な、というか、記事にする価値があると思えるくらい不思議な生き方(異文化)だと感じられるのだろう。だからこそ、これだけ失礼で上から目線のタイトルをつけて平気でいられる。(もしかするとタイトルをつけたのは書いた本人ではなく、上司かもしれないが)
要するに、都会の生活が「基準」だと勘違いしている。都会人が、実はいちばん危うい生活をしているんだと気づいてない。
その「感性」に、こちらは逆に興味を抱いてしまった。これぞまさに都会と田舎(地方都市)の生活感、人生観、価値観ギャップなのだなあ、と。
この記事と対照的な位置として書かれているのが
ニューセレブ妻「生活費は月100万、保育園の送迎はタクシー」 だろう。
これもまた、都会では珍しくない話だ。生活費が月に100万円はやや片寄っているとしても、こうした生活感、価値観で暮らしている人たちは多い。
僕は両方のタイプをよく知っているし、実際につきあいもある。
だから、この記事を読んでも、あたりまえの日常があたりまえに書かれているだけじゃないの、と思う。(まあ、そういう意図のシリーズなのだろうが……)
今は「ニューセレブ妻」よりも「マイルドヤンキー妻」のほうがいっぱい知っているかもしれない。
で、敢えて言わせてもらえば、都会に住んで、ブランドや買い物情報、ファッション情報には詳しくても、基本的には教養がない「ニューセレブ妻」がいっぱいいる一方で、学歴や収入は低くても、知識欲旺盛で新しいものを知ったり経験したりすることに貪欲な「マイルドヤンキー妻」もいっぱいいる。後者のほうがはるかに人間として健康な生き方をしていると思うし、人として魅力的に映る。
要は、自分の頭で考え、常に新しいことに興味を持って自分からそれに働きかける力を持っているかどうかということ。それが「生き方の魅力」につながっているのではないかな。新しい世界や価値を知ろうとしない、世の中の流れに身を任せたままで毎日を過ごしている人は都会にも地方にもたくさんいる。日々の生活の中でどれだけ金が使われているかとか、学歴がどうとかは関係ない。