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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ リターンズ』2021

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 2021年執筆分


「コロナ報道」に見るダメダメぶり

2021/01/15

 1月になって新型コロナの感染者が急増している。テレビは連日「都内の感染者数はついに2000人を超え……」とか「緊急事態宣言は遅すぎたのではないか」などとまくしたてているが、これは10年前の福島第一原発原発爆発の後に似ている。
「年間20ミリシーベルトまで被曝しても平気だなどとんでもない」⇒「新規感染者が何人になったら緊急事態宣言を出すつもりだ」。「放射能汚染された町に住民を帰還させるなど殺人行為だ」⇒「営業時短要請に従わない飲食店は公表しろ」「入院を拒む感染者には罰則を与えろ」

 こうした二者択一的な議論を仕掛けて同調圧力を加速させるようなものばかり見せられている気がする。

 運よく今回のパンデミックが収まったとしても、次にまた新種のウイルスが現れるだろう。その度に同じことを繰り返すのだろうか。

●どうしたらウイルスと共存しつつ、壊れない社会を作っていけるのかという具体的な方法を模索・提案する。

●最新の科学的な証拠・情報を正確に伝え、間違っていると分かった対処法などはしっかり訂正する。

 これらがまったくできていない。

 原発爆発後も同じだった。放射性物質がばらまかれたことによる直接的な健康被害よりも、情報の錯乱や不条理な差別、間違った対策などで共同体が壊れ、人々が疲弊していくことのほうが深刻な問題だった。

 新規感染者数が~とか、緊急事態宣言が~という話で終わっている報道はあまりにもお粗末すぎる。

 政治に期待できないなら、メディアが道の先を照らさなければ──国民メディアであるテレビには特に、そうした気概を持ってほしい。



番組制作姿勢に見る「駅伝愛」の差

2021/01/28

 正月の箱根駅伝中継(日本テレビ系)の視聴率は過去最高だったそうだ。創価大の独走と最後のどんでん返しというドラマは驚いたし、選手たちの力走には感動した。しかし、翌日、早朝から夕方までの地上波ニュース、ワイドショー系帯番組に、総合優勝した駒澤大の選手と監督が同じ会場に座らされたまま出ずっぱりになっているのを見て、非常に後味が悪かった。選手たちの顔には疲労の色が隠しきれず、誰も笑わない。しかも、どの番組でも同じようなつまらない質問が繰り返されるので、選手も監督も疲労を通り越して呆れているのがよく分かった。
 NHK BS1で放送した「ドキュメント全国高校駅伝」にも違和感を覚えた。最初から優勝候補と目されるチームを主役にした取材をしていて、レースのまとめ編集映像でも、トップを行くチームは名前さえ表示しないという偏向ぶり。結果は男女ともややダークホース的存在だった世羅高校が優勝したのだが、こうした「ドラマの先読み」的な番組作りは、スポーツへの冒涜ではないか。
 一方、同じ日にCSのフジテレビONEで放送した「大学女子駅伝日本一決定戦 2020富士山女子駅伝 完全版」はとてもよかった。メンバーに選ばれず裏方に徹した4年生部員やマネージャーなどにもカメラとマイクを向けていたし、レース後の選手の表情や生の声を丹念に紹介していた。優勝した名城大チームの中に2位になった大東文化大のエース・鈴木優花選手がひとり混じって笑顔で記念撮影しているワンショットも組み込んだりして、随所に選手たちへの愛と尊敬が感じられた。こういう番組作りが本当の感動を呼ぶのよ。


R1グランプリに代わるイベントを作れ

2021/02/11

 3月6日に「R1グランプリ2021」(製作は関西テレビ)が開催される。今年は出場資格を芸歴10年以内と制限したため、ルシファー吉岡、おいでやす小田、岡野陽一といった才能ある人たちがごっそり出られなくなった。そのことで芸人からもファンからも「ひどい!」という声が上がっているが、僕としては一昨年の優勝が粗品、去年が野田クリスタル…と続いたあたりで、R1というイベント自体に違和感、失望感を抱き始めていた。芸歴10年以下制限は、テレビ業界が「いつまでも売れないおじさんたちを切り捨てて若いスターを作りたい」と目論んだからだろう。『霜降りバラエティ』(テレ朝)で、R1おじさん芸人たちを集めて若手の売れっ子代表格・粗品にいじらせたり芸を採点させたりしていたが、お笑いという文化への冒涜である。  もはや地上波に媚びることはない。心ある制作者たちに、R1に代わるイベントを立ち上げてほしい。お手本は昨年3月と11月に行われた「お笑い成人式」だ。BSフジ開局20周年にちなんだイベントで、芸歴20年くらいのベテラン漫才コンビばかり集めたコンテストだったが、満足度はM1に勝るとも劣らないものだった。3月の優勝はマシンガンズ。11月の優勝は磁石だったが、どちらの大会も「ハズレ」がなく、純粋に楽しめた。名前を変えて毎年やってほしい。  これのピン芸人版を作れば、すぐにでもレベルの高い大会ができる。最初は賞金もショボいところから始めざるをえないだろうが、後はファンが「M1やR1よりレベルが高いぜ」という評価を広げて育てていけばいい。ここまで成長した日本のお笑い芸レベルを落とすなかれ。

2021/02/26

『おちょやん』はどこまで史実に迫るか

2021//

 NHKの朝ドラ『おちょやん』は、今のところ久々に面白い作品になっていると思う。モデルは浪花千栄子だが、私は浪花千栄子がテレビCMをやっている姿を見て知っているので、あのおばあさん女優がモデルだと知って、さらに興味深く見ている。
 浪花千栄子は松竹新喜劇にいたが、2017年後期の朝ドラが、松竹のライバルである吉本興行の創業者である吉本せいをモデルにした『わろてんか』だった。ドラマの出来としては今回の『おちょやん』のほうがずっと上だろう。今はそんなことはないのだが、吉本と松竹の因縁は相当ドロドロしていて、長い間、両社所属のタレントや芸人はテレビで共演することはなかった。『おちょやん』の中で、「鶴亀株式会社」をつぶそうとヤクザに依頼した会社というのは吉本を想像させ、「お、『わろてんか』vs『おちょやん』の抗争か」などと意地悪な見方をする楽しみもあったりして、これまた楽しい。
『おちょやん』では、幼少期から女優になるあたりまでは、史実に近い物語にしている。視聴者は「あんなひどい父親がいるかよ」と腹を立てて見ていただろうが、実際にああいう父親や継母だったらしい。
 となると、気になるのは今後の展開だ。多分、夫に裏切られるあたりや、その後、失意のまま姿を隠して吉本の花菱アチャコとラジオ劇をやるあたりまでは史実を追っていくのだろうが、そのへんになると主役の杉咲花の老けメイクがちゃんとできるのかが気になる。朝ドラはいつも老けメイクがいい加減だしなあ。
 ……と、ひねた根性で残りを楽もうとする私は、今年、浪花千栄子が他界した年齢(66歳)なのだなあ。

「反省」なき「復興」はありえない

2021/03/11

 今年は東日本大震災から10年ということで、3月11日にはどの局も特番を組んだ。しかし中身が空疎なのが多い。「復興」という言葉が大安売り状態で飛び交い、あのとき小学生だった子供が今はこんなに立派に……みたいなものばかり。
 10年前、福島県川内村の自宅で「いちえふ」(福島第一原子力発電所)が爆発するのをテレビで見て、心臓をバクバクさせながら身一つで避難したあの日から10年経った。
 原発が爆発したことで安全神話も吹っ飛んだが、なぜああなったのか、根本的な部分の反省や検証がないまま、ただただ金を投入して「復興」だの「脱炭素社会」だのというプロパガンダを進めてきたこの10年。
 思い返してみよう。津波で街や村が消え、原発が爆発して世界中に放射性物質をまき散らした直後に、石原慎太郎都知事(当時)は、東京五輪をやると再立候補宣言をした。おかげで、被災地復旧に使うべき金や資材、人材が東京に流れた。
 五輪招致演説で安倍晋三首相(当時)は、いちえふが「アンダーコントロール」であるという大嘘をぶち上げた。あれだけのことが起きてもなんら反省がないどころか、問題の根本を見つめようとしない傲慢さで、従来通り、金をつぎ込めばなんとかなる、経済成長だ~と突き進んだ先にあるのが今の日本だ。
 10年前の社会は何か根本的なところで「間違っていた」。そこに気づかないまま「復興」してはいけないのだ。今はコロナが同じ警鐘を鳴らしているが、人々は「あのときと同じだ」と気づいていない。3.11特番を組むなら、そこまで考えさせるものを作れなかったのか?

意欲作『俺の家の話』の残念だった点

2021/03/28

『俺の家の話』(TBS)は、最近の地上波ドラマの中ではかなり頑張っていたと思う。話の不自然さも、コメディ基調のドラマなのだと割り切れば許容範囲だろう。しかし、だからこそ残念だったこともある。
 まず、人間国宝の能楽師・観山寿三郎役の西田敏行の演技が、最初から最後までいつもの西田節一辺倒で浮きまくり、認知症や介護問題の本質が見えてこなかったのが白けた。何度か死にかけて復活した後の立ち居振る舞いが元気なときと同じで、「老い」の切実さ、認知症が進んでいく深刻さや哀しみが伝わってこない。惚けて幻影を見ているときの演技と意識がはっきりしているときの演技に自然な差をつけていれば、最終回のどんでん返し的結末がもっと生きただろうに。この役を柄本明や故・志村けんさんが演じたらどんな風になっていたのだろうと、ふと想像してしまった。
 宮藤官九郎の脚本はいろんなものを詰め込みすぎてまとめきれずにとっちらかり、感動や面白さのエキスが薄まっていた。介護認定や介護施設のことも「実際はこんなんじゃないんだけれどな」という不自然な描写がいくつもあった。クドカンは能についてはかなり勉強したのだろうが、介護や認知症問題はまだまだ分かっていないんだなと思わされた。
 主演の長瀬智也はじめ、脇を固めた役者陣の演技がしっかりしていただけに残念だ。見終わった後、涙も笑いもなく、肩すかしされた状態になっている自分が意外だった。
 日本のテレビドラマは、役者の演技力はここ10年くらいで相当上がったと思う。あとは脚本と演出のレベルをいかに上げるか。期待したい。
 

今からでも五輪の歴史を真剣に学ぼう

2021/04/07

 今の五輪が商業主義に堕してしまったのは、1984年のロス五輪が始まりだったという話をテレビでも何度も聞かされるが、誤解が多い。  あのとき、五輪開催都市に立候補したのはロサンゼルスだけだった。前々回のモントリオール大会は大赤字で、カナダはその後、大変な負債を抱えて苦しんだ。その次のモスクワ大会はロシアのアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカが、西側諸国、イスラム諸国にボイコットを呼びかけ、日本もそれに応じた。  もはや五輪は継続できないのではないかという危機の中で、ロサンゼルスだけが、IOCに対して「民間の組織委員会を設立し、税金を一切投入せず、民間資本だけで独自に大会を組織・運営するという条件を飲むなら引き受ける」と迫った。  大会組織委員長は公募にして、コンピュータで採点して選んだ。メイン会場は1932年のロス五輪当時の競技場を改修。選手村は大学(UCLA)の寮を活用。組織委員会事務所もUCLAのキャンパス内に間借りし、事務局職員は大会直前まで46人。会議は同大学の教室で行い、役員らVIPもマイカー通勤。テレビ放映権料を入札制で競わせ、スポンサーも1業種1社に絞って契約料を上げ、聖火リレーも3mを1ドルで売って、誰でも金を払えば走れるようにした。  その結果、大黒字となり、それを見たIOCが、以後、そうした運営モデルを利権ごと独占して今に至る。  東京2020は、IOCの利権独占体制のまま突き進んだ五輪の姿なのだ。そういう歴史と現実を教える番組があってもよさそうなものだが、マスメディアも五輪スポンサーなので、触れようとはしない。……ふうう。

フジのお笑い番組制作が緩みすぎ

2021/04/27

 お笑い番組の作り方はフジテレビがいちばんうまいと思っていたが、このところ番組構成の ユルフン(死語かな)ぶりがひどい。例えば『お笑い脱出ゲーム』(4月24日放送)。「永野芽郁・M1王者・ジャニーズも登場!」というPR文句がすでに「芸人とジャニーズと女子アイドルを出しておけばなんとかなる」というユルい根性を露呈している。  今いちばん勢いのある蛙亭・岩倉を演者側に入れず、家政婦の格好をさせて棒読み台詞を言わせるだけ、という演出がまず理解できない。岩倉も心底「こんなのやりたくね~よ」という表情で耐えてやっていたのが痛々しかった。内容は一種の大喜利だが、しょーもないお題を20分もかけてダラダラとやらせるので『有吉の壁』(日本テレビ)のような凝縮感・瞬発力が生まれない。  さらにひどいのが『PICOOOON!』。笑いそうもない人たちを笑わせるという企画は他番組でもよく見るが、見る側はヘルメットに顔撮りカメラつけてマスクなし。芸人側は透明の口元ガードで絶叫し、唾をまき散らしながら苦し紛れに悪ふざけしているだけ。この絵がまず辛すぎる。番組構成そのものがダメ。AIが判定するだかなんだか知らないが、金のかけ方が根本的に間違っている。  今は芸人たちの層が厚く、シソンヌ、空気階段、蛙亭、やさしいズ、ハナコ、そいつどいつ、マツモトクラブ、ルシファー吉岡……などなど、優れた人材がごまんといるのに、テレビ、特に地上波番組が彼らの才能を殺している。彼らの本気の芸をちゃんと見せられないなら、そのうちお笑い番組もオンデマンド配信に流れていくんじゃないかな。

『おちょやん』の老けメイクが緩すぎ

2021/05/13

 NHKの朝ドラ『おちょやん』は、ここ数年の中では最もちゃんとした作品になっていたと思う。脚本がしっかりしていたし、俳優陣もみなそつなく演技していた。
 千代のモデルとなっている女優・浪花千栄子(1907-1973年)の人生は、ドラマよりもずっとドロドロとしていたようだが、朝ドラとしての「救い」を入れる苦労が随所にうかがえた。例えば、ずっと支え続けた夫が若手女優とくっついたことで離婚するときの描き方。離婚後に父親の後妻の孫を養女に迎えるというのも、史実では養女は父親の後妻とは関係がないのだが、救いのある話にうまくアレンジしていた。
 満足度は高かったのだが、残念だったのは、老けメイクが甘くて、違和感がぬぐいきれなかったことだ。
 ドラマは大正5(1916)年に千代(杉咲花)が9歳というところから始まり、最終週は昭和27(1952)年という設定。つまり、最後の場面は45歳くらい。昭和20年代の40代は今の40代とは違う。あんな風に皺ひとつなく、つやつやの肌のままというのはどうなのか。しかも、千代だけでなく、他の出演者もみんな若いままなのだ。
『おちょやん』に限らず、最近の朝ドラはとにかく老けメイクが甘すぎる。髪に数本白髪を混ぜただけで、皺ひとつないまま60代とか70代ということにしてしまう。衣装も汚れがなくてきれいすぎる。リアリティがない。そういうところがしっかりしていないと、民放のアイドル系を集めて話題作りしているようなドラマと同じになってしまう。「やっぱりNHKだけのことはあるよね」と評価されるドラマ作りをしてほしい。


『おちょやん』をNetflixが作ったら

2021/05/15

 NHKの朝ドラ『おちょやん』は、ここ数年の中で最高点の作品だった。脚本がしっかりしていたし、俳優陣もみなそつなく演技していた。
 で、たまたま最終回の日、オンデマンド配信のNetflixで大人気になっているドラマ『クイーンズ・ギャンビット』を見終えたのだが、あまりにも共通点が多いことに驚いた。
 どちらも不幸な生い立ちを背負った少女の成長物語。一つのこと(役者とチェス)に自分の才能と情熱をかけて努力し、成功していく。男社会の中で女性が自分の地位を築き上げていく姿や、「あなたは孤独じゃない」というメインテーマ。最終回のまとめ方までそっくりだった。
 ただ、内容的には『クイーンズ~』は最終回で突然、アメリカっぽい能天気な演出になって違和感があった。その点『おちょやん』は主人公のモデルとなっている女優・浪花千栄子(1907-1973年)のドロドロした人生をうまく救いがあるように処理していて、最終回のまとめ方にも違和感がなかった。
 逆に『クイーンズ~』はセットや時代考証、メイクや衣装の細かさが素晴らしく、ヨーロッパの絵画を見ているかのようで、それだけでも楽しめたのに対して、『おちょやん』は朝ドラ名物になっている「甘すぎる老けメイク」や汚れひとつない衣装による違和感で、時代背景に溶けこめなかったのが惜しまれる。
 この2つのドラマを見て、今ならテニスの大坂なおみや陸上の新谷仁美がまさにこのタイプだなあと思った。しかし二人はバリバリの現役選手。ドラマになるのは100年後かな。もちろんそのときは我々は生きてないわけで、見られないねえ。

(5月13日の原稿を改稿して提出)

五輪の歴史を教える番組を作る見識を

2021/05/29

 5月初め、米国ワシントンポスト紙に「日本は五輪の損切りをして、IOCに『略奪はよそでやれ』と宣告せよ」と題するコラムが掲載されて話題になった。執筆者はスポーツジャーナリストのサリー・ジェンキンス氏。彼女がバッハIOC会長を皮肉った「ぼったくり男爵」という言葉だけが一人歩きしてしまった感があるが、全文を日本語訳したものがクーリエジャポンのサイトで無料公開されているので、アスリートを含むすべての人たちにぜひ読んでほしい。
 彼女は、IOCがここまで横柄になれるのは、開催都市と結んだ契約がとんでもない内容だからだ、という。
 その契約書もWEBで全文公開されている。実に驚くべき内容だ。
 例えば、五輪開催中には、選手だけでなく、メディア、広告主、グッズ提供企業関係者などすべての「関係者」の「あらゆる症状」に無料で医療を提供し、その内容とサービスレベルについてもIOCの書面による事前承認を必要とする、とある。
「IOCの書面による事前承認なしに、本大会期間中と本大会の前後の1週間に五輪開催に影響を与えそうな公的または民間のイベント、会議、その他の会合を開催しない」などという、信じがたい項目も存在する。
 テレビは、今こそオリンピックの歴史を学ぶ「教養番組」を作って放送すべきだ。●近代五輪の父と呼ばれるクーベルタン男爵はゴリゴリの性差別主義者だった。●聖火リレーはナチスが政治宣伝の道具として発明した。●商業五輪の始まりとされる1984年ロス五輪では税金が一銭も投入されず、徹底的な経費削減で行われた。……こうした五輪史を知ることから議論を始めるべきだ。


「TBSの良心」はBSで生き残る?

2021/06/11

 若い世代にはピンとこないかもしれないが、かつてTBSは「民放の良心」「報道のTBS」「ドラマのTBS」などと呼ばれ、NHKと並んでエリート的なイメージだった。
 その「良心」が今も残っているのが『報道特集』だろうか。権力に忖度することなく、日本が抱える負の問題に深く切り込む姿勢は消えていない。6月5日に放送された「(五輪)組織委現役職員が語る高額人件費のからくり」などは直球勝負ぶりに感心した。しかし、NHKをはじめとする他局の報道番組でのキャスター降板や、突然の方向転換を見ていると、この番組の存続そのものが常に危機にさらされていると感じる。そうなっても『噂の東京マガジン』のように、番組の内容はそのままにBS-TBSに引っ越しして生き残るなど、最後まで踏ん張ってほしい。
 受け皿になりえるBS-TBSは、他のBS民放局同様、通販番組、韓国ドラマ、昔のドラマの再放送で埋め尽くされているが、『報道1930』『関口宏のもう一度!近現代史』『ドキュメントJ』といった「民放の良心」を貫くような番組も散見される。
 NHKもそうだが、見るべき番組はBSに多い。ところが、なぜかテレビ界ではBSは地上波より下に見られ、番組制作費も極端に低い。
 この状況を変えられるのは視聴者の側かもしれない。今や、ほとんどのテレビはBSチューナーを内蔵しており、地上波(UHF)が届きにくい場所でもBSは受信できるという世帯も多い。画質もBSのほうが上だ。
視聴者の意識が変われば、地上波>BSという「格差」は次第になくなり、テレビ業界全体にとっても健全な発展につながるのではないだろうか。


「東大王」の私的改革案

2021/06/24

 いきなりだが「ある/なし」クイズを一つ。「ある」ほうは何?

 赤/白、ドイツ人/日本人、森/林、牛/馬、沼/池、雨/雪……。

 例えばこんな問題を「東大王」(TBS)で見てみたいのだ。
「東大王」の堕落、迷走ぶりがひどくなってきた。最近では「この古民家改装カフェで人気のスイーツに使われている果物はなんでしょう」なんていう問題で1時間番組の40分以上を埋めていたりする。
「東大王」については昨年もこのコラムで苦言を呈した。世界遺産や名画、珍獣の名前なんてどうでもいい知識である。「クイズアイドル」を育てようとする制作姿勢にも共感できない、と。例えば今も定番になっている生き物の画像を少しずつ見せていく問題に、先日ペットショップから逃げ出したミナミジサイチョウが出る。尾羽の先が見えた瞬間、伊沢拓司がボタンを押して正解する。
 ネットニュースなどで「旬な話題」をかき集めて記憶し、出題を予想できる人が「クイズ王」? 底の浅い「テレビ業界の常識」に取り込まれていく東大生たちの姿が「霞が関の常識」に取り込まれていく若き官僚たちの姿に重なるようで虚しい。
 例えばアナグマの画像を脚の先から見せていき、見分けさせる問題なら良問だ。タヌキ、アライグマ、ハクビシンなど日本の住宅地にも出没する動物たちを見分けられるか、という「一般常識」問題だからだ。
 閉塞感だらけのこんなご時世だからこそ、真の「知力」とは何かを考えさせるような番組にしてほしい。
 おっと、冒頭のクイズだが、「日本人」ならピンと来るはず。土/砂、殿様/王様……。もう分かったよね?


東京五輪テレビ中継を見る心得

2021/07/08

 1964年の東京五輪開催当時、私は9歳(小学校3年生)だった。「うちは貧乏で入場券は買えなかいから、代わりに…」と言う母親に連れられ、代々木の選手村出入口そばに行った。そこには、出入りする有名選手を見つけては駆け寄り、サインをしてもらう人たちが集まっていた。
 母は「よっちゃんも記念にサインもらう?」と、持っていた手帳を私に渡したが、私は初めて見る大勢の外国人たちに圧倒され、離れた場所から見ているだけだった。痺れを切らした母親が「もう帰るわよ」と言ったそのとき、一人の背の高い黒人が出てきたのを見て、私は勇気を出して駆け寄り、手帳を差し出した。
 その選手はちょっと驚いた顔をしたが、笑顔でサインをした下に「200m」と書き込み、自分は陸上200mに出場すると、身振り手振りで説明してくれた。しかし私は緊張のあまりお礼も言えず、逃げるように母の待つ場所まで戻った。
 後日、その選手がテレビに映るかと見ていたが、決勝までは残らなかったようで、よく分からなかった。
 66歳の今、あのときのことを思い出し、あれこそ「本来のオリンピック」だったなあ、と思うのだ。
 スポーツは国と国が争ったり、国家の威信を示すようなものではない。選手個人のものであり、その上で、我々庶民が選手たちのドラマに触れて感動したり、生き方を考えさせられたりするところに意義がある。
 そうしたものがほぼすべて失われ、歪められたまま、金や権力の論理で強行される今回の五輪。私は「頑張れニッポン」でも「メダル!」でもなく、あくまでも「選手個人のドラマ」としてテレビ観戦するつもりだ。

五輪「後」にこそ重要な仕事がある

2021/07/25

 東京五輪開会式直前に、総合演出担当の小林賢太郎氏が「解任」されるという事件が起きた。理由は、20数年前に彼が相方と演じたコントの中に「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という台詞があったからというもの。
 当該コントの中で、この台詞は、子供っぽい無知・無邪気は時として残酷で怖ろしい、という意味あいで使われている。もちろん、それでもその「言葉選び」が非常識であることは間違いないが、20数年前、20代の青年が舞台で発した台詞の一言を理由に、権力者たちが彼の人生をつぶすような「公開処刑」を一方的に行うなど「言語道断」である。
 一体どんなことになるのかと、日本中が「怖いもの見たさ」的興味で見たであろう開会式では、パントマイミスト3人による「動くピクトグラム」など、随所に小林賢太郎ワールドがあった。あれだけの混乱の中、短時間でここまで上質な仕事をこなした小林氏には「ぐっじょぶ!」と賛辞を送りたい。彼がいなければ開会式はどうなっていたことか。
 まともに仕事をせず、嘘を重ね、責任も取らない者たちによって、税金が無意味に使われ、庶民に無理とリスクが押しつけられ、挙げ句は、そうした理不尽な状況下でも必死で仕事をした人たちが切り捨てられ、人生を奪われる。そんな図式を生々しく見せつけた今回の五輪は、今の日本が抱えている様々な問題を浮き彫りにしてくれた教科書だ。
 テレビを含めたメディアは、このイベントが終わった後にこそ「反省」と「検証」という仕事をきっちりしなければならない。「なんだかんだあったけど、終わったね~」で済ませていたら、この国に未来はない。


技術も「心」もない五輪テレビ中継

2021/08/08

 東京五輪が終わって「とにかくホッとした」と感じている人も多いだろう。始まる前から不祥事・不正・不始末続き。始まってからも、スタッフ向け弁当が10万食以上大量廃棄されていたとか、女子マラソンのスタートを、前夜、選手が就寝した直後のタイミングで変更するとか、考えられないことが続発した。
 テレビ観戦を呼びかけていながら、オリンピック放送機構(OBS)が担当する国際映像がひどい。各競技で映像が乱れまくり、カメラワークも下手すぎると非難囂々だった。
 しかしいちばん気になったのは放送に「心」がこもっていないことだ。
 最終日の男子マラソン。2位を争っていた3選手のうち、アブディ・ナゲーエ選手(オランダ)が、隣りを走るバシル・アブディ選手(ベルギー)に何度も「前に出ろ!」と呼びかける不思議な場面があった。
 実はこの2人は共にソマリアの難民で、普段から練習を共にし、家族ぐるみで仲がよい。2人は異国の代表としてこのオリンピックに出た。106人中30人が途中棄権する壮絶なレースの最後、余裕があったナゲーエは単独でスパートできたのに、脚がつっていたバシルの横を離れず、励まし続けていたのだった。
 女子1万m、5000mで金、1500mで銅の超人的活躍をしたハッサン選手もエチオピア難民で、オランダ代表。日本人はこうした世界の現実に疎い。だからこそ、オリンピックは「世界」を知るいい機会なのに、日本のテレビは、レース後のインタビューも、外国選手は一切なし。五輪の精神? アスリートファースト? 口だけじゃん。こういうところだよ、日本が反省すべきは。
 

「惚け」が進みそうな人向けの番組

2021/08/21

 最近、妻がとうとう『クイズ!脳ベルSHOW』(フジテレビ、BSフジ)を録画して見るようになってしまい、半ば渋々(?)つき合っている。
 2015年10月に始まり、すでに1260回を超えている番組で、地上波は平日早朝の4時から、BSフジでは夜10時から放送している。
 40代~80代の熟年解答者4人が、はっきり言えば「惚け防止」のようなクイズに答えていくのだが、岡田圭右(ますだおかだ)の司会のゆるさや、解答者たちの軽い惚けっぷりが独特の味を醸し出している。
 問題もなぞなぞ的なシンプルなものが多く、中には、小銭が何枚か映っている映像を見て合計金額を答えるという、認知症テストみたいなものまである。解答者が答えられずにいると司会がどんどんヒントを出していく。制限時間を超えても、点数の低い解答者にはほとんど答えに近いようなヒントを与えて、メンツを保ってあげたりもする。優勝賞品が「あきたこまち」5kg(週間チャンピオンになると2袋で10kg)という低予算ぶりも微笑ましい。
 自分が高齢者になり、日々、記憶力も気力も減退している今は、素直にこういう番組を見て、1日のリズムを整えようかな、などと思うようになった。惜しいのは、過去の記憶をたどらせる後半部分の構成が「それじゃない」的なことが多いこと。若い問題作成者が、年表や資料を見て機械的に作っているのだろう。
 毎日、ストレスの溜まるニュースばかり見せられていると身体に悪いし寿命も縮むから、せめてこういう番組を穏やかな気持ちで見て、適度に脳も刺激しつつ、なんとか生き抜きましょうかね。


『お笑い実力刃』は長寿番組になれ!

2021/09/02

 このミニコラムではたびたびお笑い番組への苦言を呈してきたが、ここにきてついに『お笑い実力刃』(テレビ朝日)という理想型のような番組が出てきた。嬉しい!
 余計な演出なし。力のある芸人を少数精鋭で呼んで、1時間たっぷり、自由にやらせるというコンセプト。
 1時間まるまる1組だけという回も多く、今まで、東京03、バカリズム、ナイツ、中川家、ロバート、チョコレートプラネット、ニューヨークといった面々が「1組で1時間」を勝ち取っている。
 他のネタ番組ではいまひとつ面白いと思えなかったニューヨークなども、この番組では落ち着いて長尺の渋いネタを見せてくれて、ほぉ~、と感心させられたりもした。
 ネタの合間にはコアなファンからの質問などをぶつけるトークもあるが、おふざけ要素はなく、真面目なやりとりに終始するのに驚く。進行役はアンタッチャブルとサンドウィッチマンだが、悪ふざけの権化のようなザキヤマが、この番組では別人のように正論を述べたりする。MCの2組が吉本以外の事務所(人力舎とグレープカンパニー)なのがいいのかもしれない。もちろんゲストには吉本の芸人も大勢呼ばれているが、太田プロ、マセキ芸能社、サンミュージック、松竹芸能…と、事務所の壁を超えて本当に実力のある芸人たちが呼ばれている。
 今のままの形で長く続いてほしい。同じ芸人が何度出てきてもいいし、あまりテレビに出てこないけれど力のある芸人、マニアックな芸人たちも出してほしい。ルシファー吉岡、街裏ぴんく、岡野陽一の共演回とか、あったら見てみたいねぇ。

2022/01/07 追記: ……と書いたのだが、その後の堕落ぶりは凄まじく、これほど劣化速度の速い番組も珍しいものだった。


夜中の30分企画ものドラマは楽しい

2021/09/18

『東京放置食堂』(テレビ東京・水曜25.10)というドラマを、タイトルだけで興味を持って見てみた。
 人を裁くことに疲れてしまい裁判官を辞めた女性(片桐はいり)が主人公。東京都でありながら離島という大島にやってきた元裁判官は、港に近い居酒屋に居着いて店主のように振る舞い始める。お節介で説教好きの彼女が、本土からやってきた、ちょっとワケあり、クセツヨの人たちと毎回なんやかやとやりとりする……という内容。見るまではバラエティに近いのかなとも思っていたのだが、一応ちゃんとした1話完結のドラマシリーズだった。
 似たような気分を少し前にも味わったような……と思い出したのが、ムロツヨシが主演した『全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの』(フジテレビ)だ。上中里、国道、霞ヶ関(東京ではなく埼玉の)、山田、久留里といった聞いたことのないような駅の周辺を歩き回って、商店主などと交流するという他愛ない内容なのだが、ドラマとロケバラエティの境界を曖昧にしたようなゆるふわ感が面白かった。
『東京放置食堂』はそれに比べるとドラマとしてカッチリ仕上げているのだが、ゲストと片桐のやりとりはアドリブを匂わせるし、大した事件が起きるわけでもないところは似ている。ちょっと演出が臭いし、とりたてて秀逸というわけでもないのだが、寝る前にいっぱい飲みながら見るのにちょうどいい長さと内容だ。
 30分枠で、あまり気合いを入れない、でも実験的な要素も感じさせる「ゆるい」ドラマって、今のご時世には一種の精神安定剤代わりになる気がする。ウェルカムだ。


女性アナウンサーの生き方いろいろ

2021/10/02

 民放の女性アナウンサーといえば、タレントもどきで、30代くらいで有名人と結婚して引退するというイメージが強いのではないだろうか。
 NHKでは40を超えても「現役」を続ける例が比較的多い。加賀美幸子氏(81)は、2000年に定年退職した後もフリーで活躍。定時ニュースの顔だった森田美由紀氏(61)は、現在も『チコちゃんに叱られる!』のナレーションなどをしている。武内陶子氏(56)もしっかり「現役」だ。さらに後輩の有働由美子氏(52)と膳場貴子氏(46)は、NHKを退職後、色は違えど民放系の報道番組でキャスターとして奮闘している。
 一方、権力・名声志向で、政界や経済界での成り上がり人生を目指す人もいる。五輪担当相だった丸川珠代氏(50)はテレ朝の局アナ時代、ロンハーやTVタックルなどにも出ていた。小池百合子都知事も、アナウンサー出身ではないが、テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代メインキャスターだった。
 女性アナの人生もいろいろ、というわけだが、そんな中で『クイズ!脳ベルSHOW』(フジテレビ)の司会助手役の川野良子アナ(51)の年相応に柔らかな仕事ぶりを見ていると、なんだかホッとする。
 先日『あちこちオードリー』(テレビ東京)に出た元NHKアナの神田愛花氏(41)が、バナナマン日村の妻となったことで仕事がしづらくなったと悩んでいて、司会のオードリー若林に「安藤優子になるまで辞めません!」って言えばいい、とアドバイスされていたが、そんなに気張らなくても「脳ベルSHOW」の川野アナを目指してもいいんじゃない? そのほうが幸せになれそうだよ。
  

キングオブコント2021唯一の問題点

2021/10/03

 『キングオブコント2021』(TBS)は、文句なしに「神回」「伝説の回」と呼べる大会だった。優勝した空気階段の「圧勝」ぶりも美しかった。真面目に、一生懸命一つのことに打ち込み、才能があるのに謙虚な姿勢を貫く若者が正当に評価され、報われるという「正しい物語」を見せてくれたことに感謝したい。空気階段、心からおめでとう!
 ただ、唯一引っかかったのは審査員が現役バリバリの芸人たちだったことだ。普段、同じ土俵で芸を競い合っている者が同業者に点数をつけるというシステムは、この大会第1回目(2008年)で大醜態を作りだした。決勝はバナナマン(ホリプロコム)とバッファロー吾郎(吉本興業)の決戦。誰の目にもバナナマンの優勝が明らかだったが、敗れた芸人たちが1組ずつ優勝にふさわしいと思うほうの名前を口に出して言わされるというひどい審査方法の結果、吉本所属芸人が全員バッファロー吾郎が優勝と述べて優勝させた。
 初回からこうした黒歴史を作ったKOCだが、14年目となる今回も、決勝1組目の蛙亭への点数が低すぎてネット上で問題提起されるという事態になった。その最大原因を作った審査員が、KOC1回目決勝でバッファロー吾郎に投票したロバートの秋山というのも因縁めいている。
 お笑いコンテストの審査員に現役人気芸人を使うのはやめなさい。準決勝までを審査した人たちの感性がよかったからこそ、今回の決勝にはあれだけレベルの高い芸を見せる者たちが残ったのだから、そのまま決勝も審査させればいいではないか。ゲスト的な審査員を使うにしても、せめて現役芸人は外すべきだ。


『もう一度近現代史』保阪正康氏の凄み

2021/10/29

 『関口宏のもう一度近現代史』(BS-TBS)がすごいことになっている。2019年10月に始まり、この10月で100回を超えたのだが、太平洋戦争だけで20回以上使っている。
 毎回録画して、追っかけながら見ているのだが、66年も生きてきて何も知らなかった自分を恥じている。
 例えば、真珠湾を奇襲攻撃されたアメリカが、わずか4か月後に東京をはじめ、日本の本土を空襲していた「ドーリットル空襲」なんて、初めて知った。「アッツ島の玉砕」で有名なアッツ島が北海道より北にあるとも思っていなかった(なんとなく南の島だと思っていた)。
 この番組はノンフィクションライターの保阪正康(1939年生まれ)と関口宏(1943年生まれ)の2人だけで淡々と進んでいくのだが、保阪氏がはしばしで「私はこの人の話を聞いたことがあるんですが」とサラッと言っていることに驚く。生取材をした人たちは延べ4000人に上るそうだ。昭和の激動を生きた人たちが今はもうほとんど生きていないことを思うと、その証言を集めた保阪氏の脳内にある情報と取材メモは、極めて貴重な資料集だといえる。
 東條英機の演説や、学徒出陣の式典など、時折流れる実際の映像や音声も、今ではほとんどテレビに映し出されることはないものになってしまった。それらを見て、史実を知るにつけ、今の世の中がいかに危うい状況になっているかも見えてくる。
 この番組、そのまま中学、高校の歴史の授業で流せばいいのにと思う。
 もちろん大人もしっかり見て社会のあり様を学ぶべきで、番組終了後も、ぜひ、オンデマンドで見られるようにしてほしい。 


明暗を分けたぺこぱと空気階段の冠番組

2021/11/11

 テレビ朝日が昨年秋から平日深夜に「バラバラ大作戦」と銘打った新番組企画を展開している。
 この秋からも新番組がいくつか登場しているが、水曜深夜枠で始まった『空気階段の空気観察』と『ぺこぱポジティブNEWS』の明暗がはっきり分かれすぎて気になった。結論からいえば『空気観察』は最悪、『ポジティブNEWS』は期待大だ。
 『空気~』は「世の中の様々な“空気”を現場で観察する」というコンセプトらしいが、芸人が街ロケをしてウダウダかきまぜようという、よくあるしょーもない内容。コンビ名から安直に出した企画だろう。
 一方『ぺこぱ~』は、アフターコロナの世の中を見据えて、明るいニュース、元気をもらえるニュースだけを届けるという内容。大袈裟なボケ・ツッコミを控えた抑え気味の進行が新鮮で、ゲストの人選(カズレーザー、シソンヌ長谷川、サーヤなど)もセンスがある。泥だらけの牛乳瓶を拾った瓶コレクターの女性から始まる戦時中の歴史発掘ドキュメンタリー(?)などは、本当にすばらしい内容で、取材したスタッフの努力がしっかり形になっていた。
 演者、クリエイターとしての才能や実力は空気階段のほうがはるかに上なのに、冠番組の出来がこれほどはっきり逆転するのは、間違いなく制作スタッフの質の差だろう。念のためスタッフ陣を確認したが、トップのお偉いさん以外はほとんど別チームという編成だった。はっきりいえば、空気階段はハズレを引き、ぺこぱは当たりを引いたのだろう。
 空気階段の類い希な才能が、ダメな番組制作陣によって浪費されるのは悲しい。耐えろよ、二人とも。


「W浅野」時代から「W木村」時代への進化

2021/11/27

 1980年代末、「W(ダブル)浅野現象」というのがあった。浅野温子、浅野ゆう子という同年齢の女優2人が共演した『抱きしめたい!』(フジテレビ)というドラマが人気を得たことでできた言葉だが、いわゆる「トレンディドラマ」と呼ばれる現代劇の最盛期でもあった。
 しかし今思えば、あの現象によって、脚本の面白さや役者の演技力よりも、若い世代が求めるファッション性を意識した作りや役者の人気度が重視されるようになり、日本のテレビドラマ界が長い低迷期へと閉じ込められてしまった気もする。
 役者の演技力という面では、あの時代よりも今のほうがはるかにレベルが上がっている。女優では、木村多江、木村佳乃の「W木村」がすごい。人気投票的にはそれほどじょういになることのない2人だが、演技力の幅広さ、深さという点では、派手さや容姿を売り物にした女優たちよりずっと凄みがある。
 最近のドラマでは『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』(NHK)で「姉」の渡辺江里子役をやっている木村多江がすごい。パッと見、本人が演じているのだろうかと思わせるほど、表情や仕草を研究している。「妹」美穂役の安藤玉恵ともいいコンビぶりで、役者の演技力だけでも十分楽しませてくれる。
 木村佳乃は朝ドラ『ひよっこ』での主人公・みね子の母親・美代子役がすごかった。細かな仕草や視線に込めた女の執念と、家族愛のやわらかさの対比をあそこまで演じられる役者は少ない。W木村レベルの演技力を持つ役者は大勢いる。こうした役者たちを生かせる脚本・演出のレベル向上を、心から望むものなり。

朝ドラ『カムカム~』は「当たり」作か?

2021/12/10

 今年ももう終わる。コロナ騒ぎはまだ続いているねえ。去年の今頃もそう書いていた気がする。ふうう。
 ひどい話題ばかり続いて嫌になるが、NHK朝ドラが評論するのも嫌になるような超駄作だった『おかえりモネ』から『カムカムエヴリバディ』に代わったことはよかった。
 今作の脚本は朝ドラ史上でもベスト10に入るであろう『ちりとてちん』を書いた藤本有紀。まだ序盤だが久々に毎日見ていて苦痛にならない面白さがある。主人公が親子3世代に渡り、それを3人の役者(幼少時代の子役も含めればもっと)がリレー形式で演じていく100年の物語という構成も新鮮で期待したくなる。
 衣装やメイクがきれいすぎる違和感や、ラジオの英会話講座を聴いていただけの女性が正しい文法で英語をペラペラ喋ったりする不自然さなど、いくつも突っ込みたくなる点はあるが、朝ドラだからまぁいいか。ちっちゃいことは気にするな~ワカチコワカチコ~♪(古い)のゆとりで見ていこうと思う。話がテンポよく進んでいくだけでも『モネ』とは大違いで、気持ちがいいしね。
 ただ、戦前戦後での庶民の精神状態や社会の空気感の違いをしっかり描写できていないあたりは引っかかった。100年にわたる物語なのだから、時代の流れを肌で感じさせるような、きめ細かな描写がほしい。ラジオからテレビ、そしてインターネットへといった文明の変化だけでなく、庶民の気持ちが何に影響され、どう変わっていったかという「精神史」としても描いてほしい。
 ちなみにこのコラムも1994年3月から28年くらい続いている。100年は無理だけど、長寿だわね。感謝。



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