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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ リターンズ』2018

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 2018年執筆分


裸芸人たちの行く末

2018/01/04

 2018年最初の芸能ニュースは「アキラ100%が生放送でポロリ」だった。元日朝から放送した『爆笑ヒットパレード2018』(フジテレビ)で、股間を隠していたシガーボックスを落としてしまい、ほんの一瞬だったが「モロに見えた」「いや、前バリしてるやん」と、ネット上でもお祭り状態に。
 録画してあったので、そのシーンは何度も見てみたが、見えたというほどのものでもないし、うっぷしたまま退場する姿や司会の今田耕治のまとめ方が見事なことに感心してしまった。
 それよりも気になったのは、彼をはじめ、芸人たちの過酷な「労働環境」だ。アキラはこの番組では最初からずっと「芸能人出直しバス中継」という屋外中継企画の進行役もあの全裸姿で務めていて、身体が冷え切っていたはず。しかも2017年に売れた芸人の一人として、年末年始番組には途切れることなく出まくっていて、睡眠時間もほとんどなかっただろう。その結果のポロリ失敗だと思うと、単純に笑えない。芸人には労働基準法適用されないのか(涙)。
 裸芸人の旬は短い。アキラはもともと役者志望だったそうだし、しばらくテレビから消える覚悟で役者として生き残る道を探ったほうがいい。
 話は変わるが、裸芸人といえば、ガムテープでベタベタと身体にマイクコードを貼り付けるあの見苦しさはなんとかならないのか。肌色の細いコードとか、ベルト状の薄い送信機とか作れそうなものだが、「裸芸人用のピンマイク」も作れないで、何が技術大国だっての。あんな雑な処理でいいと思っているところが、日本のテレビ番組制作の質を表しているよなぁ。

「おもしろ荘」出身芸人の研究

2018/01/19

 2018年の『ぐるナイ おもしろ荘』(日本テレビ)の優勝は、「私きれいじゃないよ」「きれいだ」の無限ループコントが受けたレインボーだった。
 このコンビは売れるだろう。二人ともそこそこアドリブが効くし、素質(実方孝生の声、池田直人の女装)がよい。「きれいだ」のネタの他にもすでにいろいろいい持ちネタがある。
『おもしろ荘』はそこでチャンスを掴んで売れていく芸人が多い。元祖は小島よしお。
 優勝者を決めるようになった2012年からは、横澤夏子、流れ星、あばれる君、モンブランズ、ポラロイドマガジン、おかずクラブ、ネルソンズ、ブルゾンちえみwithBが優勝者として名を連ねている(13年は3組優勝)。この中で、モンブランズは本格派すぎたのか波に乗れずに解散、ポラロイドマガジンは実力不足で、後にニュークレープと改名したが売れていない。
 そこで気がつくのは、ユニット名にセンスがないと売れない可能性が高いこと。歴代のおもしろ荘出演芸人を見ていくと、ハム、ノンスモーキン、ザ・ゴールデンゴールデン、○-×、ジューシーズ、ロシアンモンキー、エリートヤンキー、ロマンチックセクシー、カレー、アロハ……全部解散している。
 となると、今年優勝のレインボー最大の不安材料はコンビ名かもね。一般名詞だとネット検索したときにすぐに出てこない。そこへいくと「番組表に載りやすいように短く、検索ですぐ出るように存在しない語にした」というAマッソは賢い。
 せめて「レインボーズ」とすれば一般名詞ではなくなるから検索しやすかったのに……ま、どっちみちダサいけどねぇ。
 

報道内容の選別基準がおかしい

2018/02/01

 1月6日、中国・上海沖の東シナ海でイラン船籍の石油タンカー「サンチ号」が香港船籍の貨物船と衝突する事故があった。
 サンチ号は衝突後、炎上しながら漂流し、中国から13隻の船舶が出て消火、捜索、救助活動を行ったが、10日には爆発も起こして近づける状態ではなくなり、14日には再び爆発と激しい炎上を起こして沈没。乗組員32名は全員死亡と断定された。
 このタンカーには天然ガスを採掘する際に出るコンデンセートと呼ばれる原油の一種が13万6000トン積まれていたが、その流出による海洋汚染が心配される。コンデンセートは揮発性が高いので、あまり拡散・沈殿せずに蒸発するのではないかという説もあれば、4月には日本沿岸に到達してとんでもない被害が出るという予測を立てる人もいる。コンデンセートの大量海洋流出は過去に例がなく、予測が立てにくいのだろう。
 しかし、どうにも理解できないのはこれだけの事故が日本ではほとんど報道されていないことだ。この間、テレビでは日本相撲協会の不祥事とか理事選がどうなるのかといった国民の生活にはほとんど影響がない話を延々繰り返していた。なぜ?
 イランは日本に消火活動支援のためヘリコプターなどの派遣要請をしたが、日本が中国に支援を申し出たところ、中国は自分たちだけで対応するからいいと回答。イランは中国の対応を非難したという。そのへんのことが関係しての報道自粛なのか。
 それとも、日本の報道機関にこうした新種の事故を分析し、今後の被害を予想するだけの能力がないために逃げたのか。いずれにしても納得がいかない。大丈夫か? 日本の報道。

現役引退後の選手たちの幸福度

2018/02/16

 平昌冬季オリンピックでは、事前に「金確実」と騒がれていた選手が銀メダルというケースが多かったような気がする。事前の過熱報道や密着取材が選手に相当な負担になっていたのだろうと思う。前回のソチ大会では、女子スキージャンプの高梨沙羅選手が金確実といわれながら「取れなかった」ことが大ニュースになった。今回、メディアが彼女の銅メダルを手放しで祝福したのは、あのとき17歳の少女を押しつぶしてしまったことへの反省からだろうか。
 スポーツ選手が現役でいられる時間は短い。大切なのは第一線引退後の長い人生をどう過ごせるかだろう。前々回のバンクーバー五輪のとき「腰パン騒動」(公式ユニフォームをルーズに着て世間から非難をあびた)を起こしたスノボの國母和宏氏は、現在、1年の大半を海外で過ごし、自身が雪山を大胆に滑り降りる映像を制作してスノボ界のヒーローであり続けている。北海道の自宅には愛妻と二人の子と二匹の大型犬。幸せそうだ。
 夏の五輪では、毎回いろいろな騒動やドラマが起きるのがマラソンだ。僕らじじばば世代としては、監督の指示に絶対服従の禁欲生活を続けていた瀬古利彦や、ロス五輪で惨敗し、一次は適応障害に苦しんでいた増田明美、バルセロナ五輪のマラソン代表選考レースで当時の日本最高記録を出しながら代表に選ばれずに泣き崩れた松野明美らが、今ではテレビでバラエティタレント顔負けのキャラを発揮しているのを見るとホッとする。
 そこで提案だ。五輪前に現役選手に密着取材するのは自粛して、「過去の名選手の今」を紹介したらどうか。心に残る番組になると思うのだが。

『わろてんか』は企画段階で×

2018/03/02

 NHK連続テレビ小説『わろてんか』がもうすぐ終わるが、残念ながら前々作『べっぴんさん』と争うひどい作品だった。
 まず時代考証がデタラメすぎ。大正時代に学校から親元に「電話」がかかってきて「お宅の息子さんが……」なんて話がありえるはずはないし、貧乏人が次々に思いつきでアメリカに渡るなど、冗談にもならない。
 日清・日露戦争をまたいで太平洋戦争へ突入していくあの時代の空気がまったく感じられず、現代日本の大阪にしか見えないまま唐突に太平洋戦争へ。
 さらには人物描写が滅茶苦茶。「誰が主人公なの?」という批判は『べっぴんさん』のときもあったが、今回もひどい。モデルとなった吉本興業の創業者・吉本せいは、兵庫の米穀商の三女として生まれ、幼くして奉公に出され、その後、大阪の荒物問屋の息子と結婚。夫婦の間には死産や流産も含めると10人の子供ができたが、多くは早世……と、ドラマとは大違いなのだが、そこまで話を作り替えるなら、いっそ、ドラマの後編は、役者が芸人をどこまで演じられるかの実験場みたいにすれば面白かったのではないか。笹野高史が落語家として登場する回があったが、本職の落語家顔負けの芸で、今でもその回だけは録画を消さずに残してあるほどだ。
 役者がお笑いに挑戦する『笑×演』(テレビ朝日)という番組があるが、あの感じで役者が芸人となって朝ドラに次々登場したら、それだけでも楽しめたし、話題にもなっただろう。
 キャスティングにしても、ミスリリコ役の広瀬アリスが主役のほうがなんぼかよかった。要するに『わろてんか』は企画段階ですでに無理があったのだ。


『キングちゃん』の「伸びしろ」

2018/03/15

 最近『NEO決戦バラエティ キングちゃん』(テレビ東京)を毎回欠かさず録画予約して見ている。お笑いバラエティ番組はパターンが出尽くしていて、下手にひねった企画を立てるとこけることが多いのだが、キングちゃんは相当健闘している。
 数ある企画シリーズの中で多いのがドッキリ系。無線で遠隔操作される芸人が無茶苦茶なフリでターゲットの女性アイドルを唖然とさせたり、嘘話で泣かせたり……と説明するとつまらなく聞こえるが、芸人の演技がリアルかつ自由すぎるところが秀逸。他番組では引き出せない演技力やアドリブ能力が見られて、感心させられることが多い。
 もう一つ他番組より優れていると感じるのは、アイドルの使い方だ。ちょっと壊れかけたお色気をウリにしたアイドルを敢えてMCに加えたり、演技力やアドリブ力のあるアイドルはドッキリのターゲットから仕掛け人へ「出世」器用したりという「使い分け」が絶妙なのだ。
 木嶋のりこ、平嶋夏海、黒澤ゆりか……あたりは、根性と頭のよさも兼ね備えているから、バカ売れはしなくても、その気になれば芸能界で息長く活躍できるかもしれないと思った。
 ただ、この芸人とアイドルが絡むキングちゃん企画は、そろそろアイドル業界?の中でも有名になってしまっているだろうから、今後はターゲット役を選ぶのが難しくなるはずだ。アイドルをひっかけるというパターン以外にどんな新企画が生み出せるかが番組が長続きするかどうかの鍵だろうか。
 あるいは「できる」アイドルがお馬鹿アイドルを操る企画のバリエーションを増やすとか、かな。長続きするといいのだが。
 

夏井いつきの「民度向上」貢献度

2018/03/30

『プレバト!!』(TBS系)は芸能人有名人の、いろいろな分野における才能・実力を判定するという趣向においては『芸能人格付けチェック』(テレ朝系)や『芸能界特技王選手権TEPPEN』(フジテレビ系)などと同列にある番組だ。しかし、同類番組がみんな「芸能人のレベル診断」に終わっているのに対して「視聴者を教育する」要素がとても大きい。中でも夏井いつきが添削指導する俳句のコーナーは突出して素晴らしい。俳句の奥深さ、面白さをこれだけ分かりやすく国民全体に伝えた人は歴史上初めてだろう。
 俳句というと、一部の大御所俳人がふんぞり返る「俳句界」という閉鎖社会と、素人が工夫もなく5・7・5の音数を揃えるだけの交通標語もどきレベルに二極化されていて、その中間、一般の人が真剣に取り組んでいくまともな趣味、文芸としての世界が弱かった。『プレバト!!』のおかげで、俳句の世界に「正しく」ひき込まれていく人が増えたことは間違いない。
 夏井氏は陳腐な表現やありふれた発想を「つまらない」「くだらない」と徹底的に切り捨てる。相手が誰だろうと関係ない。この姿勢こそが、文化や芸術の世界を健全に発展させる基本なのだが、今の日本はその「基本」が崩れてしまっている。文化だけでなく、行政や企業のレベルも驚くほど低下してしまった。
 そんな中で、他番組ではドッキリのターゲット、ガヤ芸人としてしか扱われないフジモンが、少しずつ勉強していい句を詠むようになっていくのを見ているだけでも救いを感じる。
 大袈裟でなく、夏井氏は日本人の「民度」を上げるためにすごく貢献していると思うよ。

演技うまい芸人「裏」リスト

2018/04/11

 少し前、NHK BSプレミアム『弟の夫』で主役をやった把瑠都の演技力にはビックリした。プロスポーツ選手が引退後にバラエティタレント的な活躍をする例は多いが、本格的なドラマで才能を発揮した例は少ない。板東英二、赤井英和あたりが思い浮かぶが、役者把瑠都は今後も活躍できるのだろうか。
 スポーツ選手に比べれば、お笑い芸人が本格的なドラマで役者として大成する例は多い。柄本明、竹中直人、泉ピン子、片岡鶴太郎、生瀬勝久といった、今では大御所のように扱われる人たちも、もともとはお笑いの世界にいた。(生瀬のお笑い時代の芸名は槍魔栗三助)
 最近では、原田泰造、塚地武雅、田中直樹、今野浩喜、山口智充……といった名前が「演技もうまい芸人」としてよくあがるが、もっと「埋もれている」人たちがいるんじゃないか。
 例えば、池田一真(しずる)、亘健太郎(フルーツポンチ)、川島章良(はんにゃ)、相田周二(三四郎)、西村瑞樹(バイきんぐ)、若林正恭(オードリー)、西野創人(コロコロチキチキペッパーズ)、酒井健太(アルコ&ピース)、金子学(うしろシティ)……。こう並べていくと、なんだ「じゃないほう」かよ、といわれそうだが、そういう基準で選んでいるわけではない。コントの中の何気ない仕草などを見ていて、実際「役者になったらいけるんじゃないか」と思うのだ。フルポンの亘やはんにゃの川島などは、チャンスが与えられないままだったのが惜しいなと思う。
 異論反論がいっぱい出てきそうだが、このリストから一人でも役者として大成していく人が出ないかなあ。
 

『激レアさん』のアップデートぶり

2018/04/24

『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日)が面白い。この番組、当初は『アップデート大学』という意味不明のタイトルで2016年10月に始まった。いろいろなものがアップデート(進化・更新)してきた歴史を講義するという内容で、「カラオケのリモコン」「ブラジャー」「せんべい」など、主に「もの」に焦点をあてていたが、2017年4月からは一気に「珍しい体験をした人」を招いてその珍奇さ、衝撃度を味わうという内容に変わった。「伝説のヒモ男さん」「クマに8回も襲われた人」「風俗店でくも膜下出血になって倒れたが、残る力の全てを倒れた場所を隠すことに注いだ人」などなど。
 この形式に定着して、2017年10月からは今のタイトルに変更になったが、その後も、単に珍しい体験をした人というだけでなく、「普通の主婦だったのに、気がついたら荒くれ漁師軍団の女ボスになっていた人」「廃業したボロボロの映画館に自宅として住み始めた結果、映画館の営業までする羽目になった人とその妻」など、「人間ドキュメンタリー番組」へと「アップデート」している。
 回を重ねるたびに堕落していくことが多いバラエティ番組において「正常進化」を遂げた珍しい例だと思う。真面目な試行錯誤の成果だが、出演者選びのセンスのよさも光っている。
 若林正恭(オードリー)と弘中綾香アナのコンビは、『ダラケ!お金を払ってでも見たいクイズ」(BSスカパー!)の千原ジュニアと米田弥央の名コンビを彷彿とさせる。ナレーションのルシファー吉岡起用も素晴らしい。これからも「変なアップデート」がないことを祈る。

『半分、青い』は満足度も半分?

2018/05/18

 NHK連続テレビ小説『半分、青い』については、今なおこれといった感想が持てないでいる。大阪制作で2シーズンもひどい作品(『べっぴんさん』『わろてんか』)を見せられたような憤慨や失望はない。でも『ひよっこ』を見ていたときのような感動や感心もない。すべてが中途半端で、無理矢理言えば、満足感は「半分」どまりのまま。
 時代設定がぐっと現代に近づいたことで、時代考証ミスに気づく視聴者は増えただろうが、戦前戦中の空気感をデタラメに描いていた昨今の作品群の罪に比べたらどうということはない。
 ストーリーはとりあえず展開していくので飽きずに見ていられるが、登場人物の設定が漫画チックかつ都合よすぎて、リアリティや共感はない。
 親子の情愛を描くのはいいが、やたら涙を流して抱き合ったりするシーンを重ねる安直さにうんざりさせられる。
 で、改めて思うのは『ひよっこ』は突出してよくできた作品だったんだなあということ。主人公が故郷を離れて上京するシーンでは、じいちゃん(古谷一行)は控えめな台詞と野良着の背中だけで演じていた。失踪した父(沢村一樹)をめぐる女3人のぶつかり合いや心情の描写もすごかった。一度見ただけでは分からなかった伏線や細かな演技に、何度か録画を見直して気づくということもあった。あのレベルの出来を朝ドラに要求するのはもう無理なのだろうか。
 救いは、主人公を演じる永野芽郁がかなり頑張っていることかな。上手くはないけど、嫌みもない。これまた「半分」くらいの満足度と安心感で見ている。
 さて、これから4分の3くらいの出来に引き上げられるか?

「日大事件」報道で知る日本の闇

2018/06/01

 5月後半のテレビの報道番組は「日大アメフト部事件」一色に染まった感があった。国民的関心が集まった要因としては、
①事件の背景に権力を握った者の「いじめ」「パワハラ」構造があり、多くの国民がそれを「他人事」とは思えなかった。
②暴行タックルをした選手の単独謝罪会見の態度が素晴らしく、嘘をつき、逃げ回る監督やコーチらの醜態と対照的だった。
③単なる一運動部内の問題ではなく、日本大学グループという巨大組織の構造的欠陥がどんどん露わになっていった。
 ……などがあげられるだろう。
 コーチは監督を守るために苦しそうに嘘をつく~監督は平然と嘘をつき、最後は雲隠れ~理事長は「俺は知らないもん」とパチンコに興じ、一切表に出てこない……と、上にいる人物ほど許しがたい言動を見せた。
 5月29日、関東学生連盟が会見を開き、事件3日後に立ち上げた「規律委員会」の調査の詳細と、内田前監督、井上前コーチの除名(永久追放)などを発表した。その際「内田監督および井上コーチの供述は、内田監督を守ろうとしての、事実をねじ曲げていることが明らかであり、まったく信頼性に乏しい」「本件に関する内田氏の発言は、自身の関与に関連するものについては、おおよそすべてに信用性がない」と断じた。
 これを聴いて溜飲を下げた人は多かっただろう。と同時に、なぜこうしたあたりまえの判断や決定が国政の場ではできないのかと、改めてストレスを感じた人も多いはずだ。モリカケ問題では、内田監督に相当する「官邸の司令塔」さえ、まだ表に引っぱり出せないのだから。
 ほんとに大丈夫か、日本?

大トニーのぶち切れは正しい!

2018/06/15

『水曜日のダウンタウン』(TBS)は、面白いネタとひどいネタの差が激しい。
 5月30日放送の『水曜日~』では、人気のない夜の倉庫の中に狭い檻を作り、そこに入れられた芸人が誰かを瞞して呼び寄せ、身代わりにしないと脱出できないというのを放送した。
 瞞されて身代わりにされた大トニー(マテンロウ)がぶち切れてこう叫んでいた。
「やってることマジでキモいんだよ。何が面白えんだよ、若手芸人使ってよ。おーい、偉えやつ。出てきて説明しろよ。オメーらがやってることなんか、お笑いじゃねえかんな。クソが!」
 これはまったく正しい!
 こんなのを見て心から笑える視聴者は病んでいると思うよ。
 この企画で唯一の救いだったのは、同番組でいつも過酷なロケを笑顔でこなしていた大トニーが発したこの正論だった。
 若手芸人はテレビに出たいと必死だから、何をやらせてもいい。過激なら過激なほど面白い、という驕りと決めつけ。大トニーが言うようにそんなのは「お笑い」じゃない。ただのいじめだ。いじめられる者を見て笑う人間が増える社会は怖ろしい。
 同じTBSの『人間観察バラエティモニタリング』にも「決めつけ」と「驕り」が見える。
 大物、超人気と番組側が勝手に決めている人物を街中や学校に登場させてキャーキャー反応する人たちを見せる。何が面白いのか。それよりも、高級レストランでインスタント食品をそれらしく出して客の反応を見るというほうがはるかに面白い。
 支持する者が大勢いたとしても、「センス」のないお笑いはテレビ文化を滅ぼす。結局は自分の首を絞めることになるよ。

「サムライ」ブルーが泣いている

2018/07/03

 サッカーワールドカップが始まってすぐ、かみさんが言った。
「サッカーW杯って、日本がどうのこうのっていわなければ、ほんとに奥が深くて面白いのね」
 なるほど~。貧しい小国や長い間独裁者の圧政に苦しんでいた人たちが、ボール一つに夢を託し、熱狂する。これは単なるスポーツの祭典ではなく、「リアル世界の写し絵」なのか。
 しかし、日本の一次リーグ最終戦には本当にガッカリさせられた。日頃我々が味わっている組織の中の不条理や将来への不安を一瞬でも忘れさせてくれるのがスポーツのよさだと思って見ていたら、最後の最後、今の日本社会におけるストレスの源をスポーツの世界の中でまで見せられた思いがした。
 選手たちが子供の手を引いて入場するのは、子供たちの前でフェアプレーを誓う意味合いだという。日本選手と手をつないで入場した子供たちはあの試合をどう見ただろうか。
「サムライって、欲しい結果のためには戦わなくてもいい、他力本願でいいっていう意味?」
 日本は世界中の人が見ている前で「サムライ」の美学を否定し、意味を書き換えてしまった。
 もちろん、「サッカーとはそういうもの」「日本が勝つにはああいう戦術も必要」「あの場面でああいう決断をした西野監督はすごい」という人がいっぱいいるのは分かっている。実際、翌日のテレビでも、そういうコメントであふれかえった。でも、ここで一つ想像してみよう。あれを日本の対戦国がやったらテレビはどう報じただろうか。
 そこまで想像したとき、サッカーワールドカップが「リアル世界の写し絵」だという本当の意味が分かるのかもしれない。
   

「○人死亡○人安否不明」の意味

2018/07/13

 6月末から7月はじめにかけて西日本を中心に降り続いた雨による被害は、死者行方不明者250人超、1週間後でも15府県で避難生活者7000人超というすさまじいものになった。
 数十年に1度の甚大な災害が予想される「大雨特別警報」が長崎、福岡、佐賀の3県に最初に出されたのは7月6日17時10分。その後、広島、岡山、鳥取、京都、兵庫、岐阜、高知、愛媛にも次々と出される異常事態。
 このときテレビは何をしていたかというと、深刻な被害情報が入り始めた7日夜から8日にかけて、NHKはサッカーワールドカップの中継画面に大きく「○人死亡○人安否不明」のテロップを出しっぱなし。こういうテロップを出しておけば災害報道の義務を果たしているかのような「免罪符」にも見えた。
 大変な事態になっていると伝えたいなら、きちんと特別番組を組んで「とにかくすぐに逃げろ」「感電の危険があるので水没したハイブリッド車などには近づくな」「遠くの避難所より近くの3階建て以上の建物に避難せよ」など、具体的な呼びかけをすべきだ。サッカー中継をEテレに移して、総合放送では緊急番組にしてもよかった。
 8日の午前中になっても、NHKは『日曜討論 貿易摩擦・外国人材受け入れ』。それ、今じゃないでしょ。民放もひどい。グルメ情報やらアニメやらをシラッと流していた。
 視聴者に必要なのは「○人死亡」というカウントアップテロップではない。どの地域でどんなことになっているのか。どう行動すればいいのか。逃げ場所はあるのかといった具体的な情報、指示なのだ。災害報道のあり方を考え直すべきだ。

『お笑い王決定戦2018』の弱点

2018/07/27

 テレビ東京の『にちようチャップリン』が、昨年10月末から年末にかけて9週続けてやった「お笑い王決定戦2017」のスタイルをそのまま引き継いで4月から「お笑い王決定戦2018」をやっている。
 まともなネタ番組がどんどん消えていく中で、真面目にお笑い芸人の芸を楽しもうという番組コンセプトはとてもいい。それに応えるように新ネタで挑んでくる芸人が多いのも嬉しい。
 しかし、どうにも納得できないのが審査方法だ。46人の観客が2点ずつ、特別審査員の井戸田潤、田中卓志が3点ずつ投票して合計点数を競うというのだが、たまに映る観客席を見ると、ほとんどが若い女性だ。結果、ベテランが渾身の新ネタをひっさげて出てきて熱演しても、勢いで人気が出てきたばかりの新人の「またか」ネタに大敗するようなシーンが頻発した。この傾向は特に2017版でよく見られた。最近はあまり極端な審査は減った気がするが、それでも定番ギャグと勢いだけで売れ始めた若手が高得点を得る傾向は変わらない。
 そもそも46人の観客(審査員)がどういう基準で選ばれているのかが全然分からない。
 審査方法を決めることが難しいのはよく分かる。業界人は所属事務所やらなにやらのしがらみがあるし、ネットで一般投票などをやっても、ファンが多い若手芸人が「組織票」もどきを得て有利になるかもしれない。
 たとえば、審査員は性別、年齢層を片寄らせず、公開基準で選考し、採点は、新ネタ度、バカうけ度、インパクト度など、評価を細分化して点数化するとか、なんか工夫の余地はありそうだが、どうだろうか。
 

ドラマ『限界団地』と映画『団地』

2018/08/09

 ドラマ『限界団地』(フジテレビ系・全8回)が終了した。
 取り壊し寸前の古い団地に、両親を火災で失った少女とその祖父が2人だけで引っ越して来るというところから始まるホラーミステリー風ドラマ。オリジナル脚本を書いた香坂隆史氏は5年前にWOWOWシナリオ大賞を受賞した30代の若手。話がよく練られていて感心した。
 その直後、映画『団地』を録画してあったので見てみた。
『団地』は僕より少し年下の阪本順治監督のオリジナル脚本。よくあるねと~っとした日本映画かと思ったのだが、その予想は完全に裏切られた。『限界団地』の10倍面白いではないか。
『限界団地』はスティーブン・キングの世界。『団地』はスティーブン・スピルバーグの世界。味付けやテーマは違うが、『団地』は『限界団地』の脚本に大きな影響を与えていると感じた。
 どちらが好きかは人によるだろうが、僕は『団地』の世界観に共感する。おかしな日本語を喋る謎の青年(斎藤工)が語る「こっちの世界(現世)こそが非現実の世界」「肉体があることは神秘。本来、生きているのは『意識』だけ。人間も『意識』が肉体を纏っているだけ」という世界観は、まさに僕が物心ついたときからずっと感じていて、小説の中にも折りあらば込めてきたテーマだ。「広がり」を感じさせてこそ良質の娯楽。
 僕が『マリアの父親』という作品で「小説すばる新人賞」を受賞したのは30代のとき。作中のデンチという変な日本語を話す青年キャラを渡辺淳一氏に誉められたけれど、デンチを斎藤工が演じて、阪本順治監督が映画化してくれないかしら、などと夢想してしまったのだった。
 

「スーパーボランティア」フィーバー

2018/08/20

 山口県で行方不明になった1歳児(失踪翌日が2歳の誕生日)が3日後に、大分県からかけつけた78歳の「スーパーボランティア」爺さん(以下「ボラG」と呼ぶ)によってあっという間に無事発見・保護されたニュースは日本中を驚愕させた。以下は、ボラGをテレビはどう伝えたかについてのまとめと雑感。
ο誰もがもう生きていないと思っていた3日目にあっさり発見。慌ててカメラクルーが殺到するが、ボラGが警察官に肩を掴まれて下山してくる最初の映像は、警察、テレビクルーや記者たちの対応があまりに失礼だった。
ο子どもを渡せと迫った警察にボラGは「嫌です」と拒否した。その裏には、2年前、同じような2歳女児行方不明事件の捜索にボランティアとして参加したときの経験があった。そのときも発見者は警察ではなく父親の同僚だったが、女児を受け取った警察がすぐにパトカーにのせて連れ去ったのを、母親が泣きながら追いかけた。その姿を見ていたからだと後に漏らした。
ο「警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない」の名言を、当初カットして編集していたワイドショーが多かったが、テレビが伝えるべきはまさにこの部分でしょ。警察は現場を見せなくさせるためのブルーシートの用意はやたら早いのに、過去何度も「子どもは驚くほど遠くまで歩いて行く」事件があったのに学ばない。そこでしょ。
ο同じ質問を繰り返すテレビの取材に答え続けたのも、家族が取材攻勢にさらされるのを軽減する計算があった。「あの子はいい家庭に育っている」と言い、祖父が過失を責められないように予防線も張っていた。知れば知るほどすごい人だ。

「考えた事なかったクイズ」炎上

2018/09/06

 8月28日のゴールデンタイムに3時間枠で放送された『平成生まれ3000万人!そんなコト考えた事なかったクイズ」(朝日放送制作)が、放送直後からネットで炎上した。
「牛肉は牛の肉。豚肉は豚の肉。ではトリ肉は何の肉?」「車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている?」といった、クイズとはいえないような問題に、平成生まれの芸能人(予備軍?)に答えさせ、その非常識ぶりをイジリ倒そうという企画。ネットでの批判は主に「平成生まれは常識がないという決めつけが許せない」「問題と答えがおかしい」というものだった。
 どちらもごもっとも。例えば「雲から降る雨は、そもそもどこの水?」という問題の答えは「海」となっていたが、明らかに間違いだ。地上からの水蒸気が上空で冷やされて雨となって戻ってくるわけだが、水蒸気の出所は海だけではない。
 地上で生じた廃物は最終的に廃熱となり、その熱は水蒸気にのって上空まで運ばれ、冷やされて雨になって戻ってくる。この熱循環、物質循環の仕組みこそ、地球上の生命活動を可能にしている仕組みであり、現代人が知らなければいけない最重要の知識なのに、学校ではきちんと教えない。「雨の元は海の水」なんて説明では困るのだ。
「そんなこと考えたことなかった」ではまずいでしょ、という視点はいいのだが、番組制作側こそが「ちゃんと考えてない」「分かってない」ことを露呈している場面が多数あった。「平成生まれを馬鹿にする」というのも、いわゆる「番組作りレシピ病」が行きすぎた結果だし、とにかく反省点がいっぱいあることは間違いない。

大坂なおみのパパをテレビで見たい

2018/09/21

 大坂なおみ(以下、なおみん)がテニス全米オープンで優勝し、日本中が盛りあがった。「日本語が喋れず、見た目も日本人に見えない」といった低次元の話の相手をしている暇はないので、ここでは彼女の父親レオナルド・フランソワさん(以下、なおみんパパ)に注目したい。
 なおみんパパはハイチで生まれ、後にアメリカ国籍を取得したアメリカ人。母親は北海道根室出身の日本人。なおみんは大阪で生まれ、3歳のときに一家でアメリカに渡った。
 なおみんパパは日本に13年滞在していて、務めていた英語教室では「大阪弁を喋る気さくな先生」として人気だった。今もなおみんより日本語はうまい。
 一家で渡米した後、稼ぐことはほとんど妻の環(たまき)さんに任せ、自分はテニスの経験がないのに、娘たち(なおみんには「まり」さんという姉がいる)のテニスコーチに明け暮れ、合間には人種差別や家庭内暴力などシリアスなテーマの映画を制作・監督した。その映画に娘たちも出演している。(紹介動画がYouTubeにある)
 全米オープン決勝の試合では家族席にいなかった。ハイチの親戚が固まっていたボックス席にいたが落ち着かず、場内をうろうろしていたらしい。
 こんな魅力的ななおみんパパを放っておく手はないだろう。
 なおみんパパはシャイな性格らしいが、娘がテレビカメラに追いかけ回される負担を軽減するための「盾」としてなら、日本のバラエティ番組にも出てくれるんじゃないか。スマートで天然な超魅力的なタレントとして大人気になるんじゃないか。
 なおみんパパをもっとテレビで見たいぞ~。
   

「ノーベル賞報道」の恥ずかしさ

2018/10/04

 今年のノーベル賞は、本庶佑氏が医学・生理学賞を受賞した。
 彼が受賞後のインタビューで発した「教科書に書いてあることを信じない。本当はどうなっているのかという心を大切にする」という言葉が話題を呼んだ。ある意味、受賞そのものよりも、本庶氏のこの言葉が広く発信されたことがよかった、と思う。
 ところがテレビは相変わらず「日本人受賞者」にこだわる。翌日の物理学賞発表前には、日本人の有力候補なる人たちの写真や映像も流して「2日連続受賞なるか?」と騒ぎ立てていたが、受賞者が米・仏・カナダの研究者3人に決まった途端「残念でしたね」なんてやっている。肝心の受賞者のプロフィールや功績は説明もしないでだ。
 本庶氏の「教科書を信じない」流にいえば、「ノーベル賞ってそんなにすごいものなのか?」「選考の裏側はどうなっているのか?」という疑問を持って調べることが大切なのではないか。
 例えば「日本人受賞者」というが、南部陽一郎氏(2008年、物理学賞)と中村修二氏(2014年、物理学賞)の2人はアメリカ国籍だ。文科省はこの2人を「日本人受賞者」としているが、同様に日本で生まれて後にイギリス国籍を取得したカズオ・イシグロ氏(2017年、文学賞)は「日本人受賞者」には数えないという不思議。
 平和賞や文学賞は、以前から、受賞者の選考に国家間の政治的思惑が絡んでいると指摘されている。「西欧世界はこう考える」というメッセージだというわけだが、そうした問題も日本ではほとんど論じられない。
 いつまでも「日本人受賞者は出るか?」と騒いでいるだけでは恥ずかしいよ。

『まんぷく』の配役成功に安堵感

2018/10/18

 我が家では話題にするのもタブーになっていたNHK連続テレビ小説『半分青い』がようやく終わり、大阪制作の『まんぷく』が始まった。大阪制作の朝ドラは『べっぴんさん』『わろてんか』と、2作続けて壊滅的にレベルが低かったので期待していなかったのだが、今のところ「普通に見ていられる」感があり、ホッとしている。
 始まったばかりなので、脚本の出来はまだ分からないが、「普通に見ていられる」のは、配役が成功しているということが大きい。主人公・福子役の安藤サクラの両親は奥田瑛二と安藤和津で、夫は柄本佑(柄本明の長男)。「缶詰の人」として話題になった福子の職場の料理人役・藤山扇治郎は藤山寛美の孫で伯母は藤山直美。二人には天賦の才を感じる。福子の相手役・長谷川博己も、ドラマ、映画、舞台で様々な役をこなしてきた実力派といえる。
 かと思うと、福子の最初の職場(ホテルの電話交換手)の先輩役に、大阪では豚まんのテレビCMで誰もが知る芸人なるみを起用し、関西弁にはうるさい大阪の視聴者のご機嫌も伺うという周到さ(?)。随所で配役が成功していることで視聴者に「安心感」が生まれている。
 対照的なのが同じNHKドラマ10の『昭和元禄落語心中』の配役。単に美男美女を並べたという印象で、見ていて違和感だらけだ。落語家が主人公という、高い演技力を要求される話を作る「覚悟」が感じられない。
 ドラマの配役はタレントの人気投票ではない。『まんぷく』が成功することで、配役は人気や話題性ではなく、役者の実力で決めるという基本を、日本のテレビ界に知らしめてほしい。
 

『99人の壁』は長寿になりえるか

2018/11/06

『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』(フジテレビ)を、昨年大晦日の第1回放送(テスト版?)から見ている。バラエティ番組の司会は初めてという佐藤二朗は、ツイッターでのつぶやきにも人気がある一種マニアックな俳優。本人は常に「俺なんかが司会でいいのか」的な自虐発言をしているが、この番組の魅力の半分は佐藤だと言ってもいいくらい成功している。
 100人いる解答者が自分の得意ジャンルを掲げて出場するというクイズだから、出題する側は最低でも100人×5で500問の問題を事前に用意しなければならない。その分野のマニアが相手なので超難問も用意しなければならないが、同時に一般視聴者が面白いと思える範囲でなければならない。結果、いわゆる「クイズ本」「過去問」があまり役に立ちそうもない。裏とりや検証が不十分だと、解答者に問題の不備・間違いを指摘されたりする(実際数回あって、それもそのまま放送した)。
 さらには全国から100人の解答者を選抜し、同一日時にスタジオに集めなければならない。収録時間内に何問こなせるかも分からないので、番組台本も正確には作れない。
 そう考えると、この形式のクイズは毎週レギュラーは相当難しいと思っていたが、レギュラー化された。はたしてこのまま続けられるのだろうか? 続いてほしいのだが……。
前回の当コラムで『昭和元禄落語心中 』の配役が甘いと書いたが、2回目以降、話自体は面白いね。1回目を最初に撮ったので名人に見えなかったのか、それとも落語指導役の柳家喬太郎が手抜きだったのか。まあ、落語家の演技は難しいねえ。

『ポツンと一軒家』と『珍百景』

2018/11/15

『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系)を、レギュラー化される前からずっと見ている。
 僕は2004年末から2011年末までの7年間、福島県の川内村という山村に住んでいた。
 千代田区の17倍の面積に人口家は1000軒足らずの過疎地だったから「ポツンと一軒家」はあたりまえ。番組で出てくる映像にも「普通じゃん」「こんなのあたりまえじゃん」「いい道じゃん」と、妻と一緒にツッコミを入れながら見ている。
 山奥の一軒家には、外から移住してきた中高年が住んでいることが多い。僕自身、川内村ではそうだったからよく分かる。自然を求めて山奥に移り住んだ人と、先祖代々の土地と家を守り続ける人たちとでは、価値観や生活観が違う。でも、村では仲よくしなければ生きていけない。また、人がいない山地は迷惑施設の候補地として狙われる。僕ら夫婦も、裏山への大型風力発電施設建設計画や原発爆発で村を離れる決意に到った。
『ポツンと一軒家』では、住人たちが遭遇するであろうそうした複雑なテーマがまだまだ掘り下げられてないと感じる。でも、よくある紀行番組のように、事前に仕込みをせず、本当に行き当たりばったりで撮っている感じはとてもいい。
 この番組が成功したからか、最近は先輩番組である『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日)の内容がポツンと一軒家に似てきた。離島にたった一人の子どもとか、山奥でワイルドな生活をする子だくさんの家族とか、そういうドキュメンタリー調のものが増えた。でも、『珍百景』の醍醐味はそこじゃない。しょーもないネタ、風景を丹念に拾っていく基本姿勢に戻ってほしいな。

2つの「落語大賞」を見て思う

2018/11/26

 録画してあった『NHK新人落語大賞』と『笑う岐阜に福来る~第15回全日本学生落語選手権 策伝大賞』(NHKBSプレミアムでの再放送)を見た。
 新人落語大賞は、後半に登場した三遊亭わん丈、入船亭小辰、桂三度の力量が、前半に出た3人より明らかに上回っていた。結果は小辰と三度が同点で並び、再投票。三度が「(決勝出場)4度目の正直」で優勝した。
 わん丈は二人に0・5点及ばなかったが、実は審査員5人のうち3人が10点満点をつけている。審査員の一人・柳家権太楼が最低点をつけなければわん丈が優勝していたかもしれない。技術はあっても優等生的すぎる小辰と、器用で気迫もあるわん丈への評価が真っ二つに分かれたのが興味深かった。この大会、毎年見ているが、お笑いというのは稽古よりも才能だよなあと痛感する。最初の30秒見れば、才能の有無は分かってしまうのだから残酷だ。
 で、この後に学生落語選手権を見たのだが、才能を感じさせる人材はむしろこっちのほうが多かった。生まれ持った才能があっても、この人たちの多くはプロにはならず、人前で落語をやるのも今だけなのだろうなあ、と思いながら見ていた。
 残念なのは、その「今だけかもしれない芸」をテレビではしっかり見せてくれないことだ。
 学生落語選手権はわずか43分の放送。ただでさえ8分という制限時間があるのに、さらにズタズタに切ったものをハイライト的にしか見せてくれない。しかも本放送は岐阜県域限定、再放送はBSの深夜2時15分から。いくらなんでもこれはひどい。来年からはしっかり2時間枠くらいでやってくれ。
 

「平成最後の~」という大合唱

2018/12/05

 このところ、テレビをつけると毎日のように「平成最後の」というフレーズを聞かされる。
 明治以降、元号は天皇が崩御して代替わりしたときに替わってきたわけだが、今回は元号が替わっても「崩御」という言葉を聞かない、知らないままの人たちもいっぱいいるわけだ。その世代は、昭和から平成になったとき、テレビが朝から暗い音楽を流し、出演者が黒い服を着て、お笑い番組は長いこと自粛になったことも知らない。
「平成最後」や「平成生まれ」を枕詞のように使う一方で、テレビは天皇制や元号の意味や役割について論じることは避けているように思える。
 天皇は生涯天皇である、とか、天皇が崩御したときに元号が替わるという「常識」は、明治政府が決めたことであり、日本史を振り返れば、天皇の生前譲位や、在位中の改元(元号を替えること)はいくらでもあった。
 折りしも秋篠宮さまが53歳誕生日に際しての記者会見で「(新天皇即位の際の)大嘗祭は宗教色が強いものなので、国費で賄うことが適当かどうか」と問題提起された。しかし、それを受けて深く掘り下げて論じようという動きは見えてこない。視聴者も「そんなの考えたこともない」「自分には関係ない」という反応なのかもしれない。
 でも、今こそ「憲法が定める象徴天皇って何?」とか「皇室には職業選択の自由はないの?」といった素朴な疑問に、タブー感なく向き合ういいチャンスなのではないかな。毎日「平成最後の~」とか「新しい元号は?」とはしゃぐだけのテレビに、大本営発表のような怖さも感じている…なんていうのは「昭和のじじい」の妄言ですかね?

『昭和元禄落語心中』再評価

2018/12/24

 昨年の話になるが、NHKドラマ10『昭和元禄落語心中』は久々に堪能できるドラマだった。
 第1回を見た直後、このコラムで「配役が安直すぎるのでは?」と書いたが、回を重ねるごとに話の展開の妙に感心させられ、安直云々と書いたことを後悔した。老けメイクもかなり本格的で、朝ドラでよくある、70代のばあさんのはずが、白髪を数本描いただけで肌はつるつるのまま、といったいい加減さはなかった。NHKのドラマに求められるのはこうしたていねいさだ。
 このドラマは、落語家が主人公というだけで難しいが、加えて、子どもから老人まで一生を描くのだから大変だ。原作は漫画だが、漫画や小説では描けても、俳優が演じるドラマとなるとごまかしがきかない。それを思えば、役者たちも精一杯努力していたことが伝わってきたし、脚本が原作に忠実だったことにも好感が持てた。
 役者の演技と落語家の芸はまったく違うものなのだということもよく分かった。主演の岡田将生は難しい演技にていねいに取り組んでいたと思うが、落語のシーンではうまくやろうとすればするほど「役者」になってしまい、落語家の色気が出ない。
 逆に、落語では天才的な力を発揮する柳家喬太郎が、ドラマの中ではしっくりこなかった。喬太郎は落語指導もしたそうだが、約束の時間に遅れてばかりで困ったという話を岡田将生が番宣トークで明かしていた。
 売れていない役者に芸人の素質があったり、その逆もありそうだ。漫才の「じゃないほう芸人」なんかに、案外そういう人材が眠っているような気がする。そんな「当たり」キャスティングのドラマを見てみたい。



ラブホテル──それは世界中どこにでもあるというものではないらしい。欧米では、日本の特徴的文化・風俗の一つとしてラブホテルが紹介されることもある。 かつて日本国内には約3万軒のラブホテルがあり、1日約200万人が利用していたと言われているが、そこで展開されるドラマは実に多種多様で、単純なイメージではとらえきれない。例えば、ここにご紹介するような物語が……。たくき よしみつが30代後半に書いた「ラブホテル」を舞台にした短編7編を収録。 収録作品:「白いピアノ」「紅生姜」「タクシー」「アンダーカレント」「鹿」「猫のいるホテル」「聖女と流星」 B6判・116ページ Amazonで購入
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