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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ リターンズ』

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 2006年執筆分

真の「お笑いブーム」をめざして

 今の「お笑いブーム」はテレビが無理に作り出した感がある。『M1グランプリ』(テレビ朝日系)は、当初から今ひとつカタルシスを得られないイベントだが、昨年末にはさらに消化不良の『輝け!2005年お笑いネタグランプリ』(日本テレビ系)なるものが登場した。『エンタの神様』の出演者陣のお年玉付き忘年会か。タイトルの「輝け!」がすでにスベッてる。
 昨年から始まった『お笑いLIVE10』(TBS系)は、毎回ゲストが選ぶベスト10というのが中途半端で、そのゲストが番組宣伝がらみだったり、「マネージャーの推薦でこの人を選びました」……ではねえ。
 僕がこの番組風に選ぶなら、1位・志らく&昇太、2位・ラーメンズ、3位・柳家喬太郎…あたりだろうか。立川志らくと春風亭昇太はかつて漫才ブームの頃コンビでテレビに出てきて漫才もどきをやったことがある。とてつもない面白さだったが、今は二人とも落語会を背負って立つ真打ち。もう一緒に舞台に立つこともないだろう。残念。
 ラーメンズはテレビに出なくなった。片桐仁だけが深夜番組にちょろっと出てくるが、本領発揮にはほど遠い。喬太郎はかつて『お笑いオンエアバトル』(NHK)に挑んで散ったこともあるチャレンジャーだから、出演依頼があれば出るかもしれないが、持ち時間が5分以下では厳しい。オンバトといえば、落語家で唯一オンエアされたのが林家彦いちだが、彦いちもハマれば相当面白い(テレビ向き)。
 こうした本物の芸人たちが思う存分芸を発揮できる番組が誕生したときこそ、本当の「テレビでのお笑い解禁」だが、今年もそれは叶わないのだろうか。
(06/01/04 執筆)

スカパーは盛り返せるか?

 スカパーが昨年12月から大幅な料金改定を行った。今まで、幅広く番組を見るためには月額5985円の「ベーシックパックオール」というコースに入らなければならなかったが、これがほぼ同じ内容の「よくばりパック」(月額3500円)に代わり、実質4割以上の値下げになった。これは大きい。
 この「よくばりパック」には、お姉さんが全裸でお風呂に入る『美女と湯めぐり』の「旅チャンネル」や、数々のアダルト番組を擁する「MONDO21」も含まれている。今までこれらのチャンネルを見られなかった人にはちょっとした衝撃だろう。
 特にMONDO21。ダムマニアが「あのダム、今どれくらい水溜まってるんだろうって気になりますよね?」などと熱くダムを語る『新マニア解体新書』やトンデモ本も真っ青の『地球激変のシナリオ2012年12月22日』など問題番組が満載だ。
 中でも超過激なのが『初めての女体緊縛美入門』。AV監督兼男優の講師が、パンツ1枚の女性を相手に「縛り」のレクチャーをする。口調や画面構成は料理番組や園芸教室などとまったく同じ。「基本的な手錠縛り、後手胸縄の復習をしながら、縛りの基本、安全の配慮、メンタル面でのパートナーへの思いやりについて確認……ポイントとなるのが家庭の中にある家具等を用いて、より非日常を演出すること」(解説より)という番組が、講師の淡々とした口調とともに進んでいく。初めて見た人は目が点になるに違いない。
 これが「アダルトチャンネル」ではなく、よくばりパック契約者なら誰もが見られる「普通のチャンネル」なのである。やっぱCSはあなどれないわ!?
(06/01/25 執筆)

投稿番組新機軸は可能か?

 中古の8ミリビデオデッキをネットオークションで購入した。長いこと再生不能状態になっている昔の8ミリビデオをDVDにコピーするためである。10年も前の、リモコン紛失のボロボロのデッキが1万6000円もした。15年前の映像を懐かしみながらコピー作業をしているのだが、テープによってはまともに画像が映らない。テープ媒体は信用できないことを思い知らされる。なんとも情けない。
 最近はハードディスク内蔵のビデオカメラがでてきた。最初からDVDと同じ形式で録画するので、撮ったものはファイルをコピーするだけでパソコンに移せ、編集も自在。DVD-Rに焼くこともできる。カメラ本体も、テープを入れるスペースや回転系メカが不要なので小さい。値段も、最安値の店では5万円台で売られている。
 しかし、これだけ民生用ビデオカメラが普及しても、素人が撮った映像がテレビ番組に取り入れられることは少ない。我が家のペットの変な芸と、子供のお茶目なNGシーンばかりではいくらなんでも飽きる。その手以外の素人ビデオ映像を発掘する番組はできないものか。
「日本一男前?の女性」「日本一すごい身体能力を持つおじいちゃん」など、テーマを決めて映像を公募するとか、全員無名人のどっきりカメラとか、素人物まね王勝ち抜き戦とか、田舎暮らしの魅力紹介ビデオとか、ちょっと考えただけでもいろいろできる気がする。キーワードは「打倒!プロのマンネリ」。
 高度な映像や作品を作ったアマチュア映像作家がいずれメジャーデビューすることにでもなれば、テレビ界の未来も開ける。まずはテレビ東京に期待したい!

(06/01/31 執筆)

中継への情熱がなさすぎる!

 期待される種目がことごとくダメだったトリノ五輪だが、いちばんがっかりしたのは「中継のつまらなさ」だ。夜中までつきあって生中継を見ている視聴者に対して「ではここで整氷が行われている時間、トリノの街並みをご覧ください」と、突然環境映像もどきの画面としょーもないテーマソングに切り替わったときは唖然とした。次の日も「ではここで開会式のVTRを」とか「昨日のハイライトを」など、まったくテンションが上がらない。選手のプロフィールを紹介するとか、いくらでも方法はあるだろうに。
 外国人選手に関しては、どんなドラマが起きても、気づきさえしない。例えば男子クロスカントリーパシュートという種目で二位になったフローデ・エスティル選手(ノルウェー)は、スタートと同時に接触・転倒してスキーの金具にトラブルが生じ、大きく出遅れた。前半クラシカル15kmと後半フリースタイル15kmの組み合わせで行われるこの競技、クラシカルが得意なエスティルにもはや入賞の望みはないと誰もが思ったが、ものすごい馬力で追い上げ、ゴール地点では一位と僅差の大接戦。
 この選手、前回のソルトレーク五輪では、同じノルウェーのトーマス・アルスゴール選手と同着二位というドラマも演じている。写真判定でも差がつかなかった同着というのは極めて珍しい。その因縁の種目で今度はスタートのアクシデントを跳ね返しての二位。この稀に見るドラマを、生中継ではまったく解説もせず、アナウンサーは気づいてさえいなかった。いかに中継に情熱がないかが分かる。猛省してほしいね、今回のテレビ中継チームは。
  (06/01/31 執筆)

報道メディアの非力さに絶望

 民主党の永田議員が引き起こした「メール疑惑事件」は、当初からあまりにも子供じみたお粗末な内容であっけにとられたが、それを報道するメディアの側も「大人の視線」とはほど遠かった。電子メールなどというものは、そもそも紙に印刷した時点でなんの証拠にもならない。墨消ししてある部分が何かという議論などは意味がない。
 さらに憤りを覚えたのは、電気用品安全法により4月から中古家電の多くが販売できなくなるという問題についての報道だ。
 2001年以前に作られた電源を内蔵した電気製品の多くが販売できなくなることで、リサイクル関連業者、楽器店、音楽・映像制作現場などが大変な被害を被る。オーディオや電子楽器だけでなく、あらゆる中古電気製品が大量のゴミと化する危機に面しているのに、報道の中身は「経産省の周知努力が足りなかったのではないか」とか「ビンテージマニア困惑」などとピントのずれたものばかり。
「過去に国が安全性を認めチェックした製品をなぜ殺すのか」「個人売買はいいということは安全性には関係ないことを証明しているではないか」といった矛盾点を追及する姿勢がない。
 姑息な手段で物作り文化を破壊する官僚。それに便乗しようとするメーカー。こうした「心の腐敗」こそが、この国から未来への希望を奪い、人々が真面目に生きようとする努力を踏みにじっている。電気用品安全法による物作り文化破壊は、人間はなんのために生きているのかという根本的な問題に通じているのだ。そこをつけずに「どうなるんでしょう」などと「既成事実」を傍観するような報道姿勢に、心底怒りと絶望を覚える。
 
(06/02/16 執筆)

『朝生!』に代わるものはこれ

『完売劇場』(テレビ朝日系)のDVD『完売地下劇場』を全巻購入し、見終わったところ。
 出演者が『朝まで生テレビ!』のセットで本音?トークバトルを繰り広げるパロディ企画『朝まで生テレビ!?』が面白かった。
 番組プロデューサー雪竹弘一氏が、ラーメンズの小林堅太郎だけ「さん」づけしたり、ホーム・チームの与座嘉秋と劇団ひとりが半ば本気で罵倒し合ったり、本家の『朝生』よりリアル。
 司会役は浅草キッドの水道橋博士だが、博士の仕切りは本家の田原総一朗よりよほどうまいし面白い。いっそ、本家『朝生』も水道橋博士が仕切ればいいのに、と思ってしまったほど。
『朝生』が始まったのは1987(昭和62)年4月だから、かれこれ20年近く続いている。第一回の司会は利根川裕、第二回の司会は筑紫哲也だった。かつては原発の是非を問うなどというテーマも扱ったが、どんどん薄味になり、『たけしのTVタックル』と変わらない「ショー」になってしまった感がある。司会の田原は、昔から人の話の腰を折って、議論の流れをつまらなくさせる特技を持っているが、それが老齢化と共にひどくなっている。最初から「ショー」だと割り切って観るにはつらい時間帯だし、長すぎる。
 で、最近これに代わるものを見つけた。CSやケーブルTVでやっている朝日ニュースターチャンネルの『愛川欽也パックインジャーナル』だ。田岡俊次、二木啓孝、横尾和博らがレギュラー。ひとつの色で固めてしまった分、話を掘り下げられるから、『朝生』のような消化不良がない。愛川もいいバランス感覚だし、今後はこっちに乗り換えようと思っている。

  (06/03/02 執筆)

『銭金』のビミョーなバランス

 同じ村に住むマサイ&ボケ夫婦が、『銭形金太郎スペシャル』(テレビ朝日系)に「原人ビンボーさん」として登場した。本誌の読者の大半は知らないであろう昭和40年代ヒッピームーブメントの流れを汲む二人。若い頃、管理社会や現代文明に疑問を抱き、本当の自由や「自然と融合した暮らし」とは何かを考える人は多いが、考えた結果、電気も水道もない山奥に入り込んで生活をする人はあまりいない。彼らはそれを30年も続けてきた。今も彼らが住む通称「獏原人村」には電気も電話も水道もない。冬は家の中でさえ零下になる極寒の地(福島県)で、よくもまあここまで続いたものだなあと感心する。
 文明に疑問を抱いて始めた原人生活だから、彼らがおちゃらけたバラエティ番組なんぞに出るなんて、かつてはありえなかった。それが、ニコニコといつもの笑顔で番組スタッフを迎えていた姿がまた印象的だった。
 あ、これはヤラセ演出だなというような場面がいくつかあったが、それに応じるマサイの飄々とした演技ぶりも、見ていて嫌みがなく、楽しめた。
 どういじってやろうかと身構えている「サポーター」と称する芸人たちと、だってこれが日常なんだもん、と自然体で迎えるビンボーさんたちの関係は、いつも危ういバランスの上に成り立っている。『銭金』の魅力を保つには、対象をいじりすぎないことにつきるだろう。
 放送の翌日、村役場が主宰した某会合でマサイに会った。
「見ましたよ、昨日」「あ、昨日だったの? 俺、見てないんだ。テレビ写らないから」
 そう答えるマサイは、いつもと同じ笑顔だった。
  (06/03/16 執筆)

ローカル局制作番組に学べ!

 首都圏に住んでいる人が、帰省などのときに地方でテレビを見ると軽いショックを受ける。
 ニュース番組は途中からその地方のニュースに切り替わり、どこそこの農家で△△の出荷が始まったといった、えらくローカルな話題が流れる。大相撲の場所中は、その都道府県出身力士の成績を、たとえ序二段だろうが「今日の○○は残念ながら黒星です」などと伝えている。
 地方局が独自制作している情報番組も侮れない。
 福島テレビの『サタふく』という番組をよく見る。県内を番組スタッフが自転車で走破していく「自転車でGO!」というコーナーが目当てだ。次はそろそろここを通るはずだと待ちかまえていた視聴者がお弁当の差し入れをしてきたりして、実にほんわかと楽しいムード。
 思えば、こうした地に足をつけた番組作りというものが、キー局の番組からはすっかり消えている。NHK総合の『いっと6けん』など「首都圏ローカル」と呼ばれる番組もあることはあるが、自治体の広報誌的な当たり障りのなさがつまらない。
 考えてみると、首都圏に限らず、都会の資産は「人」だろう。無名の人、ひとりひとりが持っているいろいろな魅力を掘り起こしてこそ、真の「首都圏ローカル」番組は成り立つ。
 この成功例が『探偵ナイトスクープ』(朝日放送)だろう。「依頼者」は全国に及ぶのでローカル番組とはいえないが、首都圏キー局では作れない素朴な味が残っている名長寿番組だ。
 こうした番組を見ていると、今、キー局が提供する番組に何が欠けているのかが分かる。テレビが持つ「面白さの原点」を、今こそ見つめ直すべきだ。

  (06/03/29 執筆)

「女子アナ」ではない「女性」アナ

「女子アナ」という職業がある。
 突撃レポートで田圃に飛び込んで泥だらけになり、ゲテモノ食いさせられて悲鳴を上げ、それが「NG集」として番組になる。若い男の子向け雑誌のグラビアで特集が組まれ、やれオッパイが見えそうなお宝ショットだのなんだのと騒がれる。どうも、そういう職業のようだ。
 ところで、次の名前から顔を思い浮かべてみよう。
 森田美由紀(昭和34年・生、北海道大卒)、渡邊(旧姓黒田)あゆみ(昭和35年・生、東京大卒)、道傅愛子(昭和40・生、上智大卒)、山根基世(昭和23年・生、早稲田大卒)……全員NHKの現役アナウンサーだが、彼女らを「女子アナ」と呼ぶのは違和感があるはずだ。強いて呼ぶなら「女性」アナウンサー。単に「アナウンサー」と呼ぶのが最もしっくりくる。アナウンサーではないが、国谷裕子キャスターを加えれば、さらに強力打線。
 民放から高額ギャラで引き抜かれることもなく、プロ野球選手と結婚して寿退社することもなく、週刊誌のグラビアを飾ることもなく、フリーになってテレビCMに出演することもない。
 彼女たちの素顔や私生活はほとんど知られることがない。視聴者の下世話な興味など寄せつけない高貴さ、威厳のようなものを漂わせている。
 ふと思うのだ。彼女たちが、民放の入社試験を受け、採用されていたら、今頃どんな風になっていたのだろうと。あるいは、彼女たちは、そのキャラクターゆえに、民放では入社してもテレビの画面には出てこなかったのだろうか。そんなことを思いながら番組を見ると、違う面白さが味わえるかもしれない。
(06/04/13 執筆)

「どっきり」におけるセンスの差

 いわゆる「どっきり」番組については、何度かこのコラムで書いてきた。センスのない「どっきり」は見ている側の心も荒むという論旨で。
 では「センスのあるどっきり」とはどんなものなのか。
 最近見た『内村プロデュースSP」(テレビ朝日系)の中のどっきり企画は、そのヒントとなりそうなものだった。
 例えば、品川庄司の品川が足を骨折してギプスをはめてロケ現場に現れる。最初は右足にはめていたギプスが、トイレに行った後は左足に変わっている。その後、本番撮影用の衣装に着替えて出てくるが、なぜか簡単には外れないはずのギプスが、着替えた衣装の「上から」はめられている。相方の庄司はどの段階で騙されていることに気づくか……という趣向。
 この「レベルどっきり」なる企画は、長いどっきりの歴史?の中でも、ちょっとした「発明」と呼べるアイデアかもしれない。
 騙す内容も、相手を傷つけず、いかに面白く仕上げるかが勝負。ヤクザや不良集団が出てきたり、高いところから水に飛び込ませたり、電流を流してショックを与えたりといった絵には、視聴者はもう辟易している。どっきりではなくても、10mの高飛び込み台からプールに飛び込ませたりするのは、もうやめたらどうか。事故が起きる前に。
 何も面白くないし、芸人の資質をそぎ取り、芸への向上心をつぶす愚行だ。
『内P』には、他のバラエティと一線を画したセンスのよさを追求してほしい。ビートたけしが『お笑いウルトラクイズ』でやったような破壊的な芸風追求とは違う方向性を探っていけば、ウッチャンは、より大成する。
 
  (06/04/21 執筆)

警察捜査力の弱体化と取材加熱

 最近、子供が簡単に殺されたりする異常事件が後を絶たないが、犯人が検挙されないまま忘れられていくケースが多い。
 川崎市多摩区のマンション15階から小3男児(当時)が投げ落とされ殺された事件では、マンションの防犯カメラに犯人らしき人物がはっきり写っているにもかかわらず、警察はなかなか動かず、第二の犯行(未遂)を許してしまった。しかも、第二の未遂事件が起きなければ、事件ではなく事故として処理されかねない状況だった。
 報道はすでに「警察には捜査能力がない」ことを知っている。それゆえに、報道が警察の捜査より先に犯行現場で「取材」攻勢をかける事例も増えている。
 秋田県藤里町の小学1年生殺害事件では、当初から犯人は顔見知りで近所に住んでいるのではないかという推測から、報道陣による被害者宅周辺の聞き込みや取材が加熱し、住民から苦情が寄せられる事態になった。
 犯人らしき人物が浮上すると、その人物をひたすら撮影する。逮捕された途端、はっきり顔が映っている映像や、インタビューシーンなどがすぐに出てくる。
 こうなってくると、報道の思い込みが警察の捜査を左右することもありそうで怖い。一方で、報道が「限りなく疑わしい人物」を突きとめているのに、警察はまったく動かず未解決のまま、というケースも増えそうだ。
 どちらも困った事態だが、政治家の汚職事件や公共の犯罪などでは、報道は自ら得た確証ある事実をもっと出してもいいし、逆に、個人を相手にしたときは身長には慎重を期す、というのが大原則だろう。
 それにしても日本の警察のふがいなさはどうしたことか。
 
 
(06/05/10 執筆)

「テレビの力」の怖さと弱さ

 前号のこのコラムで、秋田県藤里町の小学1年生殺害事件を例にとって「報道の思い込みが警察の捜査を左右することもありそうで怖い」と書いた。しかし、その後の展開を見ると、報道はひたすら警察発表を後追いするだけで、自らの責任で新情報などを発信することなどないのだ、と痛感させられた。
 逮捕されたのが被害者男児の二軒隣に住む女性で、直前に娘を失っていた「悲劇の母親」だったことで、この事件はさらにセンセーショナルに報道された。
 彼女は娘の死を「事故死」とした警察に抗議していたが、そのとき、多くのテレビ番組は彼女の訴えを受けて、元検事やら検死官やらを登場させ「川をあれだけの距離流されたにしては身体に傷がなさすぎる。靴も脱げていないのはおかしい」などと事件性を強調していた。
 それが一転して、男児殺害事件では、警察が当初から彼女に疑いをかけて執拗に張り付いていることを知り、彼女の「意外な素顔」や「衝撃映像」を撮りためることに腐心した。
 結局、彼女は犯行を全面自供したようだが、逮捕後、犯行を否認している時点から、テレビは、報道陣に毒づく彼女の姿を繰り返し流し、彼女の「母親失格ぶり」や「根暗で切れやすい性格」の証言を強調した。集団リンチに近い印象さえ持った。
 事件の正確な分析を試みた番組は1つもなかった。扇情的な報道に視聴者が乗せられたとき、世の中がどう動くのかは、昨今、何度も見てきた。「テレビの力」は強大で、怖い。しかし、自ら責任を持って何かを訴える本当の「力」は持っていない。その「弱さ」もまた、怖い。
 
(06/05/25 執筆)

非常識や無知が売れる時代?

 日本人の学力が相当落ちているらしいことは、様々なデータが証明している。それにはテレビも一役買っているのだろうが、最近では、常識がないこと、ものを知らないことが「番組的」には売り物になるらしい。
 分かりやすいのは『ネプリーグ』(フジテレビ系)。5人ずつの2チームに分かれて常識クイズで勝敗を競うという趣向。「知らないほうがおかしい」というレベルの問題ばかりで、答えられて当然。答えられなければ視聴者が「え~! あいつこんなことも知らねえのかよ」と、軽い優越感に浸れるのがミソ。
 この手の番組作りは他でも少しずつ増えている気がする。
 興味深いのは、かつては「頭悪そう」と見られることを恐れていたアイドルタレントまでもが、最近は無知を売り物にするような開き直りを見せていることだ。若槻千夏はその典型。アドリブが利き、思ったことをそのまま口にするキャラクターが番組にテンションを与えるため重宝されているが、一般常識が驚くほどないことでも、視聴者にインパクトを与えている。『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ系)のペーパーテストでは、50点満点で1点という最低記録を持っているらしい。
 若槻の成功?にあやかろうとしてか、タレント事務所も「可愛いけれど無知」という新人を続々売り出そうとしている。
 しかし、こういう風潮って、結局いちばんバカにされているのは視聴者なのでは?
 一方で、「俺はほんとは頭がいいんだぞ」を売りにしたい芸人たち(水道橋博士や上田晋也)が、クイズで間違えたときなどにプライド丸出しにしてムキになるのを鑑賞するのも一興か。
 
(06/06/09 執筆)

新しい「相撲番組」の可能性とは

 大相撲の優勝争いに日本人力士がひとりもからまないことがあたりまえのようになってしまって、すでに久しい。
 朝青龍の天下はまだまだ続くだろうし、そのライバルとしては白鵬、琴欧州、把瑠都など、いずれも外国人力士がズラッと並ぶ。彼らと互角に張り合えそうな若手日本人力士も台頭してこない。
 この状況をただ嘆くのは簡単だが、考えようによっては、メジャーリーグ野球やサッカーのように、相撲が国際化したわけだから歓迎すべきことだろう。
 しかし、このように国際化した大相撲を、いつまでも勝敗だけを伝える「相撲番組」だけで伝えていていいのだろうか?
 例えば、7月場所の幕内力士42人のうち7人がモンゴル人だが、日本人の多くは、このモンゴルという隣国のことをほとんど何も知らない。モンゴルの人たちはどんな暮らしをしているのか、モンゴル相撲とはどういうものなのか。なぜ彼らモンゴル人力士はみんな日本語をあれほど自然に話せるのか。
 モンゴルをキーワードにした相撲特別番組があってもいい。
 モンゴル人力士たちが母国語でフリートークするとか、モンゴル相撲力士のトップクラスと日本の学生相撲上位陣がそれぞれのルールで戦ったらどっちが強いのか、なんていうのも面白い企画だ。
 また、把瑠都や黒海にいたっては、出身国がどこかも知らない人が多いだろう。エストニアやグルジアがどこにあり、どんな国なのかも知りたい。
 そうした番組が普通に出てきて、視聴者の支持も得られるようになったとき、初めて大相撲が国際化したと言えるだろう。
(06/07/05 執筆)

NHKのスポーツ実録ものはGOOD

 前回、モンゴル力士に焦点をあてた相撲番組を作れないかと書いたばかりだが、名古屋場所後にNHKが放送した『白鵬・綱取りへの挑戦』は見応えがあった。なかなか喋らない(喋れない?)力士が多い中、白鵬は言葉数は少ないが、自分の心の奥を正確に言い表せる能力を持っている。その「生きた言葉」を引き出せただけでもこの番組は成功したと言ってもいい。
 モンゴル相撲の大横綱だった父親との心の交流も、演出過剰にならず、いい感じで伝わってきた。白鵬は、大鵬のような大横綱になりそうな気がする。
 この番組に限らず、NHKのスポーツドキュメンタリー番組は見応えのあるものが多い。サッカーワールドカップ開催前には、単なるスター選手の紹介などではなく、「プレス」という戦術のみに注目した特集番組を放送した。これを見た人たちは、日本が1勝もできずに消えていった後も、世界の強豪国チームの戦いぶりを2倍楽しめたのではないだろうか。
 テーマを絞ったスポーツドキュメンタリーは、ともすると視聴者に偏った見方を植えつけることにもなる。特定の選手を追い続ければ、どうしてもその選手を贔屓目に見てしまうし、演出次第で、あたりまえのことが大変なドラマにも変わる。なによりも、カメラがひとりの選手の日常生活まで追い続けることで、選手の精神の平安が乱されることにもなる。
 そうした危険性を避けながら、どこまで深く掘り下げた番組が作れるかが腕の見せ所だ。
 今、こうした番組が作れるのはNHKしかない。これからも、意外な視点や事実を伝えるユニークな特番に期待したい。
 
(06/07/20 執筆)

『映像の戦後60年』的番組を地上波で

 小泉首相が靖国神社を参拝したことでメディアが1日中騒いでいた終戦記念日の8月15日、戦争はおろか、「戦後」も知らない若い世代は、なぜこんな大騒ぎをしているのか分からなかったのではないだろうか。
 その前後、NHKでは、昨年放送した『あなたと作る時代の記録 映像の戦後60年』を、BSハイビジョンで連日夜中に再放送していた。NHKが個人や企業、各種機関が所蔵しているフィルムやビデオを公募し、撮影者の手記とともに放送した大型番組だ。日本という国が太平洋戦争後、どんな歴史を刻んできたのかが、理屈抜きで分かる、すばらしい内容だったが、昨年もBSでしか放送されなかったため、見た人は少ないだろう。
 集められたフィルムには、家族旅行や新社屋の落成式、企業が取引先を温泉に接待旅行したときの映像なども入っている。しかし、だからこそ、その時代の生の空気が伝わってくる。
 あの戦争とはなんだったのか。自分たちの親はどんな社会、時代背景で大人になったのかを、若い人たちに演出なしで知らせることこそ、テレビメディアが終戦記念日にしなければならない使命なのではないか。それをNHKしか、しかもハイビジョンの画面を小さく分割して、夜中にひっそりと放送するしかできないのはなぜなのか。
 終戦記念日に首相が靖国参拝をしたことをヒステリックに報道するより、こうした映像をそのまま、より多くの人たちが見られる時間帯、チャンネルで放送したほうが、はるかに問題の本質を伝えることになるのに、と思うと歯がゆかった。とりあえずNHKには、繰り返しこの番組を流し続けてほしい。
  
(06/08/01 執筆)

スカパー『山田五郎アワー』出演記

 先日、スカパー『山田五郎アワー新マニア解体新書』(MONDO21)という番組に「狛犬マニア」として出演した。
 この番組のことは、以前、当コラムでも紹介したことがある。
 MONDO21は、僕の中では「おっぱいがいっぱいチャンネル」という認識。その中で、『山田五郎アワー』はおそらくいちばんアカデミック?な番組だろう。山田氏は上智大学の後輩にもあたるらしいし、依頼には二つ返事でOKした。
 実はディレクターは当初、「日本参道狛犬研究会」に電話をしたらしいのだが、今まで民放バラエティ番組でさんざんおちょくられた演出映像を流され、警戒感を抱いていた事務局長から断られたそうだ。その際「たくきさんならOKするかも」と言われたとか……。はいはい。
 予想はしていたが、超低予算の制作現場はすごかった。神社ロケでは、スタッフはディレクターだけ。カメラマンも音声係も兼任。「スタジオ」収録は、練馬区の住宅街の中にある民家で行われたが、安っぽいただの家だった。多分、普段はAVの収録とか行われているんだろう。「奥さん、いいだろう?」「やめてください!」……なんて。
 しかし、この番組の制作姿勢はしごく真面目。ディレクター氏は狛犬の映像を実にていねいに撮っていた。「少しでもきれいに見せたいですから」と。
 思えば、テレビ草創期はみんなそれがあたりまえだったはず。
 面白さの本質は対象が「本物」かどうかにある。それを見失って、「おいしい映像」を上っ面だけで作ろうとする地上波民放には、もう一度原点を思い出してほしい。今のテレビ番組は、製作費と中身が反比例している。

(06/08/17 執筆)

談志の毒舌ぶりはまだ健在だった

 最近の民放バラエティ番組では、タレントの私生活を暴露したり、誰と誰が仲が悪いといった酒のつまみのような話をわざわざ金をかけて放送している。しかも、ちょっとでも危なそうな発言はピーの連続。
 いつしかそれがあたりまえのように思い込まされていると、ぎょっとするような番組がある。『談志・陳平の言いたい放だい』(MXテレビ)。以前にも一度書いたことがある気がするが、久しぶりに偶然見てしまった。まだやっていたのね。
 談志の放言ぶりは少しも変わらず、この人は死ぬときも「ちぇ、面白くもねえ」とか言いながら死んでいきそうだ。
『笑点』は俺が作った番組だと言う談志。それで終わらず「あの問答は全部俺が作ってやってたんだよ。答えはサンプルなのに、自分で考えられないからそのまま言ってやがる」と暴露。陳平が「そこまでばらしちゃまずいよ」と止めても知らん顔。
 皇室の慶事にも、いきなり「何がめでたいの。俺は天皇陛下万歳って言ってえらいめにあった最後の年代だから、素直に喜べない」と切り出す。他局では絶対に放送できないだろう。
 それをカットもピーもなしで放送するだけでなく、MXテレビのサイトでは、過去の放送分ダイジェストをいつでも視聴できるようになっている。
 テレビのタブーにすっかり慣らされてしまった昨今、こういう番組がまだつぶされずにいることは喜ばしい。
 東京都はMXテレビの株主だが、いっそ、談志と石原都知事の『言いたい放だい』を見てみたい。もっとも、談志と違って、都知事は「言いたい放題」というわけにはいかないかな。
 
    (06/09/01 執筆)

「ドラマのTBS」は健在か?

 事前のPR攻勢につい負けて?久しぶりに地上波でドラマを見た。『僕たちの戦争』(TBS系9月17日放送)である。
 昭和19年、終戦直前の海兵隊員と平成17年のフリーターがタイムスリップで入れ替わるという、お話としてはかなり安直な筋立て。予告編で何度も流れた人間魚雷で突っ込んでいくシーンなどは、主役(森山未来)の演技が過剰だったし、ほとんど期待できないと思っていたのだが、始まってみると、結構引き込まれて最後まで見てしまった。
 同じタイムスリップものでも、『戦国自衛隊』なんかより、多少なりとも「戦争とは何か」を考えさせる意欲も見られた。
 というよりも、現代ではここまで柔らかくしてあげないと、若い人が戦争のことに思いをはせることはないのだろう。
 前半の、比較的押さえた展開や、古田新太(主役・健太の父親役)や上野樹里(健太の恋人役)の演技がよかった。ただ、最後までそのバランスのよさがもたなかったのが残念。特にエンディングテーマは脱力した。
 2時間のスペシャルドラマというのは少なくなった。時間とお金がかかるわりには、出来が悪ければ目立つし、失敗すると痛手も大きい。同じ2時間を埋めるなら、バラエティ特番のほうが安上がりだし、安全……。
 そうした風潮の中で、かつて「ドラマのTBS」と呼ばれた民放のエリート局が、見応えある単発ドラマを作り続けてくれることを祈っている。多少けなされようが、スポンサーが渋ろうが、ぜひ突き進んでほしい。
 今回の『僕たちの戦争』は、ちょうどいい「バロメーター」「評価基準」になるかもしれない。次回作にさらに期待したい。
 
(06/09/13 執筆)

『リトルブリテン』を志村けんに見せたい

 WOWOWの『コメディUK』に新シリーズが登場している。マニアからは「21世紀版のモンティ・パイソン」と呼ばれている、超悶絶コメディ。
『コメディUK』ですでに紹介されている『スケッチ・ショウ』の百倍危ない内容と言っても、見ていない人には伝わらないだろうから、もう少し具体的に内容を紹介しよう。
 作・主演は、デヴィッド・ウァリアムズとマット・ルーカスという役者二人。この二人が変幻自在に様々なハチャメチャキャラを演じ分ける。
 例えば、ゲイの首相秘書(デヴィッド)。首相に思いを寄せていて、何かにつけて抱きついたり、近づく人たちに嫉妬する。
 五体満足なのに車椅子に乗っているインチキ身体障害者(マット)という、日本ではとうていできそうもないキャラも登場。気のいいルームメイト(デヴィッド)相手に異次元のボケをかましまくる。
 イギリスという国は実に不可解な国ではあるけれど、はっきりしているのは日本よりはるかに笑いのセンスが高度、あるいは屈折しているということと、芸達者な役者の宝庫ということ。
 ああ、英語が理解できたら、この至福の番組をあと何十倍も楽しめるのに……。
 こうしたお笑いスキットで構成される番組が日本にはない。強いていえば志村けんの特番くらいだろうか。そう、志村けんと柄本明に、ぜひこの番組を見てほしい。芸人魂に火がついて、さらに高みをめざし始めるかもしれない。でも、テレビ局に本気でコメディをやろうとする制作者がいなければ無理か。ああ、お笑いにおいては後進国のニッポン。道は険しいねえ。
(06/09/26 執筆)

ニュースは「顔」より中身で勝負

 夜のニュース番組が一部衣替えされてから時間が経ち、そろそろ評価が固まってきた。
 TBSの『ニュース23』は、9年間の長期にわたって筑紫哲也の隣に座っていた草野満代に代わり、NHKの相当後輩にあたる膳場貴子が登場。最初からいきなり議員会館に乗り込んで代議士に突撃インタビューするなど、気合いが漲っていた。
『プロジェクトX~挑戦者たち~』に出ていたときは、美人すぎる深窓のお嬢様という印象だったが、「攻めるキャスター」への変身を誓ったかのようだ。
 その気合いも、反対どなりに座っていた山本モナがつまらぬ事件を起こし、注目をすっかり奪われてしまった感がある。
「52年ぶりの新番組」をキャッチコピーにして鳴り物入りで始まった『NEWS ZERO』(日本テレビ)は、始まる前から「ニュース番組ではなく、ワイドショーなのではないか?」との声があったが、実際、スタートしてからの評判もそれに近いもので、夜の時間帯にニュースを見ようという視聴者の反応は一様にドライなようだ。
 ニュースは誰が伝えるかより、何をどう伝えるかが問題。しかし、制作する側がその根本部分を忘れて、「顔」のことばかり考えている。出演者の高額なギャラを取材費に回して、キャスターは自社アナウンサーだけにするといった「あたりまえの姿勢」に戻れば、それこそ今、最も注目され、支持される「リニューアル」だろう。
 毎日、どの局のニュースも同じことを繰り返し、独自取材はグルメや流行ものといったワイドショーネタという現状では、すでに日本には本当のニュース番組はないのかもしれない。
 
(06/10/13 執筆)

大河ドラマの「即興コメディ」化

 NHK大河ドラマは戦国から江戸時代にかけての話が多いので、主要な武将役が順繰り交代になる。例えば今年もうすぐ終わる『功名が辻』で家康役の西田敏行は、95年『八代将軍吉宗』では吉宗を、00年『葵徳川三代』では秀忠役を、81年『女太閤記』では秀吉役だった。
 こうなると、視聴者もストーリーを追うなどということはしなくなり、役者のパフォーマンスを切り取って観るのを楽しむようになるのは必然。
『功名が辻』は特にその要素が強かったようだ。西田が脚本にないアドリブを飛ばし、それに相手役がどこまで臨機応変に応じるか。特に秀吉役の柄本明は、もともとがお笑いアングラ劇団東京乾電池の座長で、相手に合わせた瞬時のアドリブはお手のもの。西田と柄本のアドリブ合戦を、多くの視聴者が「コメディ」として楽しんでいたのではないだろうか。
 マンネリ、ネタ切れを指摘されて久しい大河ドラマにとって、こうした「シチュエーションコメディ」化は救命策かもしれない。NHKの演出陣もそれは十分に意識、あるいは容認?しているはずで、今後、大河ドラマが、ますます役者たちのアドリブ道場になっていく可能性もありそうだ。
 そうなれば、今回、堀尾吉晴役の生瀬勝久(関西のお笑い劇団「そとばこまち」で槍魔栗三助の芸名で暴れていた)の他に、柄本の東京乾電池での盟友・ベンガルなども引っぱり出し、柄本や西田とのさらに危ない絡みをぜひ観てみたい。
 ところで、柄本が最も尊敬するコメディアンは志村けん。となれば、究極の大河ドラマは……『バカ殿』ってこと? 
 
         (06/11/09 執筆)

スポーツ中継に強い局はどこか?

 今年の国際千葉駅伝は男女ともに波乱もドラマもなく、いきなりケニアが飛び出し、そのまま差を広げてゴールという、実に盛り上がらない内容だった。
 男子は全6区のうち5区間の区間賞をケニアが独占。唯一ボロボロだった第5区が、今回の目玉である「世界で二人しかいない2時間4分台マラソン選手」サミー・コリル選手だったというのもなんとも皮肉。
 この盛り上がらない内容にも関わらず、第5中継所担当の鈴木敏弘アナウンサー(テレビ静岡)はとんでもない声で絶叫中継し、放送センターにいた長坂哲夫アナに「ケニアの独走ぶりもすごいですが、鈴木アナのテンションの上げ方も信じられないですねえ」と冷やかされていた。これがいちばんの「見所」だったかもしれない。
 こういう単調なレース運びになったときは、出場選手紹介を長めに挿入するとか、チームメイトにこっそりインタビューした「裏話VTR」を入れるとか、民放なりに工夫できそうなものだが、準備してないのよね~。
 かといって、TBSの世界陸上みたいに、演出過剰、無理矢理ドラマ作りだけは勘弁してほしいし(来年の大阪大会でもまたあの騒ぎかと思うと、今からうんざり)、スポーツ中継も、実に難しいものである。
 ほどよい工夫と真面目な中継のお手本は、WOWOWがやるテニス中継ではなかろうか。毎年、全英(ウィンブルドン)大会だけがNHKで、全豪、全仏、全米はWOWOWが中継しているが、NHKの中継がお役所仕事的で工夫がないのに対し、WOWOWは「テニスが分かっている」構成や中継ぶりに好感が持てる。ぜひ見習いましょう。
        (06/11/23 執筆)

「演出」から「リアル」への転換

 いうまでもなく、民放は視聴率至上主義。で、番組制作者たちは必死に番組を面白くしようとして演出しまくる。その結果、番組がどんどんつまらなくなる。
 2006年もその流れは止まらなかったし、きっと2007年も変わらないのだろう。
 単なるお笑い特番でも、本当に面白いのは演出なしの「現実」で笑わせる番組である。例えば、お笑い芸人が高飛び込みの台からジャンプさせられる映像を見せられてもつまらないが、好きでバカをやろうとする人が、さらにおバカな事故を起こす映像には無条件で笑ってしまう。
 10人がつながってバンジージャンプをしたら、ロープが重さに耐えかねて切れて、10人がつながったまま夕陽を浴びて海に落下していった映像…とかネ。
 演出もヤラセもない「現実」なだけに、世の中にはほんとにおカなことを真面目にやる人がいることに呆れ、その予想外の結末に笑えるのだ。
 スカパーに「リアリティTV」というチャンネルがある。英国ゾーン・ビジョン社の制作だが、「余計な編集や仕込みを排除し、ありのままの映像を伝える」ことをモットーにしている。えげつない内容も多いが、「演出しない」という信念は、日本の民放各局が学ぶべきだろう。
 日本でこの精神を多少は実践しているかなと思う番組は『田舎に泊まろう!』(テレビ東京)や『新マニア解体新書』(スカパー・MONDO21)あたりか。
 面白さは作るものではなく、すでに存在しているものなのだ。お笑い芸人のネタさえ、芸人が命がけで磨き上げた「現実」に面白さが存在しているのであって、番組制作者の思いつき演出で生まれるものではない。
(06/12/05 執筆)

法廷報道における人権問題


 現在、日本では裁判を傍聴することはできるが、それを映像に記録したり放送することは許されていない。被告・原告双方の人権を守るためなのだろうが、それによって裁判関係者(特に被告側)の人権が侵害されている面もあるのではないか。
 カメラやマイクが持ち込めない以上、報道では発言者の言葉を要約して伝えるしか方法はない。その要約の仕方は報道する側に委ねられる。言葉遣いや細かなニュアンスは、報道する側によって変えられてしまう。
 ワイドショーだけでなく、報道番組でも、被告の姿が似顔絵で伝えられたりするが、決まって悪人面に描かれている。
 被告の発言が声優によって再現されることもあるが、これも相当演出されることが多い。変な大阪弁になっていたり、毒づいたり。演出意図によって、声優が用意された「台詞」を読み上げている印象が強い。これによって、視聴者は発言内容そのものを冷静に判断できなくなる。
 何かと話題になる堀江貴文氏などは、法廷で検察側と真っ向からやり合うため、演出過多の「吹き替え」報道をされることが多い。検察側・被告側が言っている内容だけを文字で読めば、「これは検察側の情緒的な言いがかりで、問題の本質とはあまり関係ないな」と思われることでも、声優の声による歪曲で、最初から「傍若無人なホリエモン」という紙芝居としてしか伝わってこない。
 これはあくまでも「例」であって、別にホリエモンの肩を持つわけでもなんでもないが、どんなときでも、報道は、中立で色づけをしない立場を守るべきだ。そろそろ、似顔絵や声優を使うのはやめたらどうか。
(06/12/06 執筆)
■以上が2006年の『ちゃんと見てるよ』 です。
 ここに収録したのは提出原稿の控えで、最終稿では一部訂正が加えられている場合が多いです。
 縦書き原稿のため、二桁算用数字は半角、その他の数字やアルファベットは全角になっていて、横表示にすると若干読みづらいですが、ご容赦を。
 年末年始は、執筆時期が早いため、掲載号が越年しています。



KAMUNAの3枚目のアルバム↓



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