平積みになっている書店はわずかなようだ。
新百合ヶ丘エルミロードの有隣堂を見たら、すでに原発震災特設コーナーがなくなっていた。
売り場のいちばん奥のほう、人がなかなか入らないような場所に集められていて、そこに1冊だけひっそり棚差しになっていた。これは見つからないわ。
福島県から一歩外に出ると、もはや原発問題は「飽きられた」ムードが強い。
最近になって首都圏のホットスポットがまた話題になっているが、福島への興味はむしろ失われていて、すでに汚染されてしまった自分たちの足下に注目するようになってきている。
それもヒステリックに除染、除染と叫ぶばかりで、内部被曝を避ける方法とか、なんでこんなことになってしまったのかという話はあまり出てこない。
なんだか逆だな、と思う。
漏出直後はもっと汚染状況について騒ぐべきだった。7か月以上経った今頃わーわー騒いでも遅すぎる。
むしろ今は、落ち着いてこの状況をどう捉え、これからどうしていくべきなのかということを考えなければいけない。
そんな中、驚くべきことが分かった。
朝日新聞に前田基行記者が『プロメテウスの罠』という記事を連載している。
その中の「防護服の男」と題されたセクションにこういうシーンが出てくる。
浪江町津島地区に住んでいた菅野(かんの)みずえさん(59)が、3月12日の夕方、自宅の前で防護服を着た二人の男を見つける。男たちは切迫した表情で「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ。放射性物質が拡散している」と叫んだが、すぐにどこかへ去っていった。
……うちでは新聞を取らなくなって久しいので、この記事は読めていなかった。あまりにも衝撃的な内容なので、読者が何人もネット上で転載している。例えば
⇒ここ。
この記事の中に、驚くべき記述があった。
//福島県は、事故翌日の3月12日早朝から、各地域の放射線量を計測している。
同日午前9時、浪江町酒井地区で毎時15マイクロシーベルト、高瀬地区では14マイクロシーベルト。
浪江町の2地点は、ほかの町と比べて、異常に高い数値を示した。
1号機水素爆発の6時間以上も前で、近くには大勢の避難民がいた。
これらの数値は、6月3日に経済産業省のHPに掲載された。
しかし、HPにびっしり並ぶ情報の数字の中に埋もれ、その重大さは見逃された。//
最初これを読んだときは、時系列が間違っているのではないかと思った。
3月12日早朝といえば、1号機が水素爆発する前のことだ。その時点ですでに15μSv/hなどという数値が観測されていた? しかもそれは県が計測していた? 何かの間違いではないかと思ったが、調べてみたら本当だった。
この元データは、文科省ではなく経産省のサイトに今も置いてある。普通にはなかなか見つけられないような場所なので、最初からそこにあると知らなければ、まず探し出せる人はいないだろう。
⇒これ だ。
一部をコピーしたものがこれ↓
確かに、3月12日に、浪江町高瀬と浪江町酒井で14μSv/h、15μSv/hという突出した数値が記録されている。
しかも、翌3月13日には、南相馬市原町区、小高区の数か所で計測限界の30μSv/hを振り切るとんでもない数値が計測されている。
これが経産省のサイトに掲載されたのが6月3日。それまで3か月近くこのデータは隠されていたことになる。
重要なのは、この計測は国ではなく福島県が行っているということだ。
文科省がサーベイカーを出して原発から北西20km地点に走ったのは3月15日夜のことだが、県はそれより3日も早く、1号機が水素爆発する前に、県内が大変な放射能汚染をしていることを自らの調査で知っていたのだ。
県は3月11日の時点ですでに国からSPEEDIのデータを受け取っている。しかし、そのデータは隠されてしまった。
隠したものの、相当慌てて、3月12日に大熊町、富岡町、浪江町などで放射線量計測を始めたのだろう。結果、すでに取り返しがつかないほどの放射性物質漏れがあることが分かった。
それでも県は、原発の周辺自治体に何の指示も出さなかった。
『裸のフクシマ』にも書いたが、地震直後の3月11日から12日にかけて、国の出した避難指示は極めて遅く、甘いものだった。その指示が出た時系列の中に、福島県が行った線量調査のタイミングを入れてみると以下のようになる。
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11日 09:23 首相官邸地下の危機管理センター別室で、菅直人首相、海江田万里経済産業相らが第1原発から半径3km圏内に避難指示を発令。
12日早朝 福島県は独自調査で浪江町などで15μSv/h前後の突出した放射能汚染スポットがあることを把握⇒隠蔽
12日 深夜2時頃 官邸が国土交通省旅客課に「避難用として当座100台のバスを確保せよ」と指示。
12日 03:00頃 枝野幸男官房長官が記者会見で、1号機の格納容器内圧力を下げるために放射性物質を含む蒸気を環境中に放出する「ベント」を行うことを発表。しかし、それに伴う避難範囲の拡大はないと強調。
12日 05:44 避難範囲を半径10km圏内まで拡大すると発表。範囲変更の背景には、班目春樹・内閣府原子力安全委員長の「格納容器が破裂する恐れがある」という発言があった。
12日 05:55頃 大熊町役場に細野豪志・首相補佐官から電話で「10km圏内住民に避難指示が出た」との連絡。
12日午前中 半径10km圏内から、住民たちを乗せたバスが次々に避難所に向けて出発。
12日 15:36 1号機が水素爆発。この時点ではまだどのメディアも爆発の事実を報じていなかった。付近住民は爆発音を聞いて、異変が起きたことを察知した。
12日 18:25 避難指示範囲を半径20km圏内まで拡大。
13日早朝 福島県は独自調査で計測器測定限界の30μSv/hを振り切る高濃度汚染スポットが多数出現していることを把握⇒隠蔽
15日 11.00 「20km~30km圏内の住民は屋内待避」の指示を追加。
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福島県は、実は国よりも早く、大変な放射能漏れがあることを把握していた。
しかし、あろうことかそのデータを隠し、周辺自治体になんの指示も出さなかったのだ。
このため、避難手段を持っていた多くの住民が無意味に大量被曝した。また、わざわざ線量の低い海岸沿いから最も汚染された津島地区の避難所に逃げて、そこに留まった人たちもいた。
これはもう、未必の故意による殺人罪に匹敵する犯罪と言える。
福島県は、県民の命を守るつもりがハナからなかったのだ。
今すぐ県の上層部は解体・総入れ替えするところから始めないと、福島の再生もなにもありえない。
県は未だに県民に一言も詫びていない。
この情報隠蔽をしたのは誰なのか。そのときの命令系統を明確にして、責任者をすぐにラインから外すことだ。もし、そのときのままで今も県が仕事をしているなら、とんでもないことだ。