毛戸(もうど)のさとーセンセの代わりに、さとーセンセの愛車(軽トラダンプ)を取りに行ったニシマキ師匠が来宅。
タイベックスーツ(前回の一時帰宅のときよりは軽量版)着せられて、マイクロバスに乗り合わせて20km圏内に置きっぱなしになっていた車を引き取りに行くセレモニーが今日から始まり、前回ほどではなかったが、またテレビでも報道されていた。
詳細なリポートがニシマキ師匠の軽妙な筆(キーか)で
アップされているのでぜひどうぞ。
その帰りに寄ってもらい、砂セットを渡す。
さて、7月4日は授業、7月6日は800人収容の上智大学講堂でコンサート。それまでにブルーバックスを仕上げて、単行本に着手して……と、急に忙しくなってきた。
そんな中送られてきた「月刊むすぶ」484号に、こんな一節があった。
京都であった「使い捨て時代を考える会」という場で、アイリーン・美緒子・スミスさん(水俣の写真集などで有名な写真家、故 ユージン・スミス氏夫人)がこんなことを言っていたという。
「これからは原発なしでどういうふうに社会生活をやっていくのかという話が必要。技術を変えるだけでなく、人間関係、私たちがお互いにどう接するか、そして自然とどう接するかということが変わらなければ、ただ入れ替わり立ち替わり技術が変わるだけ、ということになる」
それを受けて「むすぶ」の発行者である四方さんが、こう結んでいた。
//原発の危険性は、もう十分に日本中、いや世界中に伝わったはずです。となると、次はどんな社会を私たちは形作るか。
アイリーンさんの言うように、原発がだめなら次はこれ。それじゃだめです。生活のあり方、それ自体を考え直さないと、向こう側の土俵にのったままです。//
まさにその通り。今、東京でされている議論は、発想が今までと何にも変わっていない。今までとまったく同じ土俵の上で、ふんどしを替えて相撲を取ろうとしているだけ。その土俵がそもそも汚染されていることに気づいていない、いや、分かった上で同じことを繰り返している。
別にきれいごとを言うわけではない。「本当のことを全部晒した上で、いちばんダメージの少ない方法を採用しましょうよ」ということを言いたいだけなのだが、なかなか分かってもらえない。
で、このアイリーン・美緒子・スミスさんを検索しているうちに、水俣病~チッソ~とたどることになり、へええ、旭化成や積水ハウスもみんなチッソから生まれてきた企業なのか……なんてことを知って、水俣病の記事の中で「アセトアルデヒド」という懐かしいような言葉が目に飛び込んできて……あ! そういえば、ぢ・あるでひど は今どうしているんだろう、と、急に思い出した。
♪桜の花が~ああああン 散っていくように~~~♪
1969年、ヤマハライトミュージックコンテストフォーク部門全国大会のライブ録音盤(モノラルLP)を、僕は今も持っている。コピーものばかりだった中で、ぢ・あるでひどという男性デュオ(兄弟だったかもしれない)は実に味のあるオリジナル曲(演歌フォークとでもいうか……)を披露していて、作品賞かなんかを受賞している。
当時中学2年生だった僕は、仲間とよく、この ぢ・あるでひど の ♪桜の花が~あ、は、は、はん 散っていくようにぃ~~♪ という部分だけを歌っては、意味もなく笑っていた。
で、検索したら……ん?
あのLPが40年以上の時を経て、CD化されているらしい。へえ。
これは買いかなあ。
多分、マスターテープは残っていなくて、LPレコードを再生したものからデジタル盤を作ったんじゃないかと思うので、音質はあまり期待できないが、うちのLPはずいぶん聴いてすりきれているし、今はもうレコードプレイヤーもないから、買っておくかなあ。
みなさんもどうでしょう。
赤い鳥(後の「紙ふうせん」と「ハイファイセット」)、ジ・オフ?コース(後の「オフコース」)、ザ・フォーシンガーズ(後の「チューリップ」)といった、あの時代、日本のポップシーンを築いていった若者たちがまだアマチュアだったときの歌声が聴けます。↓