2011/05/25

飯舘村に行ってきた

しばらく更新できていなかった。14日から21日までは上京していた。その間の日記素材もあるのだが、帰宅後、25日に、原人村のマサイさんらと一緒に飯舘村に行ってきたので、記憶が新しいうちに、そのことから先に書いておこう。
元気のない川内村に比べて、汚染のひどかった飯舘村の人たちは凛々しい。威厳がある。かくしゃくとしている。村作りの根性が違う……ということを、12日の集会に行ってきたマサイさんたちから聞いていた。12日は忙しくて(ジョンのことやら上京の準備やら)同行できなかったが、25日にイベントがあるというので、同乗して行ってみた。
K塚さんのラブ4に5人でぎゅうぎゅうに乗り込み、ゆっくりと399号線を北上する。
川内村から飯舘村には、399号をまっすぐ行けば着くのだが、途中、線量が高いことで有名になってしまった津島地区の山道を通過する。
飯舘村は汚染度合が高いことで有名になってしまったが、前回このルートで飯舘村に行ってきたK塚さんやマサイさんによれば「途中があんまりにも高いから、飯舘村に入るとむしろほっとしちゃうんだよね」とのこと。

出発点は川内村の町分茶屋。ここで0.29μSv/h。我が家の家の中より低い。羨ましいくらい低い。
399号を北上するにつれ、線量が上がる。
田村市都路に入ると、0.64μSv/hくらいまで上がった。288号にぶつかった交差点が0.49μSv/h。都路大橋を過ぎたあたりで0.58μSv/h。
葛尾村に向かって再び北上するあたりで0.63μSv/h~0.83μSv/h~0.98μSv/h……と上がっていき、葛尾村との境界線あたりで1μSv/hを突破。
1.51μSv/hくらいまで上がり、JAと郷土文化伝習館がある交差点あたりで1.20μSv/h。
登館峠(650m)に向かって北上するにつれ徐々に下がり、1.00μSv/h。峠から先に進むにつれ、1.09、1.20、1.23、1.45……とどんどん上がっていく。
114号にぶつかったところで2.88μSv/h。そこから急激に上がり始める。
3.84μSv/h、5.44μSv/h、6.88μSv/h……。
ここは東側が下津島。浪江高校津島分校があるあたり。テレビでおなじみのダッシュ村もこのあたり。
399を北上して山の中に入っていくと、線量計はけたたましく鳴りっぱなしになり、数字も見たことのないような数字に変わっていく。
16.0μSv/h、17.7、19.5……この線量計を買ってから、二桁台の数字を見たのは初めて。
しかも車の中で走りながらの数字だから、外に出てじっくり測ったらもっと高いことは明白。
テレビでも何度も出てくる長泥地区まで来ると、逆に下がってきて7.84μSv/h。これでも、川内村周辺で7だの8だのという数字を見たらビビルのだが、今、20μSv/hを体験した直後だけに、むしろほっとする。
そこからまた山の中のワインディングロード。8.48μSv/hまで上がった。
その先あたりで、「ちょっと外の土の上に置いてみる?」という話になり、車を停めて僕ひとりが降り、土の上に線量計を置いて数字が上がるのを見ていた。

そこそこ高そうな場所に車を停めて、外に出て計測


32.8μSv/h まで上がったところで、そそくさと車に戻った


飯舘村の中心部に近づくと、空っぽになった牛舎などが見えてくる。のんびりした田園風景は本当にのどかで、車の中で線量計がピーピー鳴り続けていることを除けば、素晴らしい世界。

なんともいたたまれない気持ちのまま村役場に着いた。
今日は体育館で『負けねど飯舘  第二回村民のつどい』(多分)というイベントがあるので、車はかなり停まっていた。
村の職員や集会を企画したスタッフたち大勢が、駐車場の誘導などをしている。すでにこの時点で「すごいな」と舌を巻く。
これから去っていかなければならない村で、最後まで気合いを入れて何かをしようという気力、意欲。これは原発に依存して過ごしてきた双葉郡の町村とはまったく違う。
こんなに素晴らしい村が、なぜいちばんの被害を受け、築いてきたものを奪われてしまうのか。

役場前には支援物資の水が山積みされていた


役場の隣にある図書館と書店


書店から役場前の広場を見る


村営だそうだが、普通に本屋さんである


雑誌、実用書、文庫本などなど、普通に品揃え


本屋さんの中を見るマサイさん


店内は1.3μSv/h程度だった

驚いたのは、村オリジナルの書籍があり、初版が今年の4月11日となっていること。
原発震災発生後にも印刷・出版にこぎ着けているのだ。しかも奥付を見ると3刷までいっていた。
この書店ももうすぐ閉鎖し、みんなで移転しなければならない。ぎりぎりまで、みんなしっかりと精神状態を保って日常生活を続けている。すごいことだ。
テレビや新聞の報道だけ見ていると「なんでさっさと避難しないんだ」「分かっていない」などと思いがちだが、現場には全然違う空気があった。
飯舘の人たちは、分かった上で、落ち着いて動いている。覚悟を決めて、生き方を変えることなく、次の一歩をどう踏み出すべきかを模索している。そんな中でも、今まで築いてきたものを大切にして、足下を見つめて生きている。
そういうことなのだ。
ここの空気を吸ってここの人たちの顔を見て、ようやくそのことが分かる。
みんな、言いたいことは山のようにある。胸が張り裂けそうな思いを堪えて、今もこうしてここにいる。
もう、これ以上何をどう言えばいいのか分からない。それくらい重いものがここにはあった。

「までい」というのはいい言葉。外から来た原発は「までい」とは正反対だった……


ここももうすぐ閉じなければいけないんですよ……と話すお店のおねえさん




オリジナルな書籍がいくつも並んでいた。こういう部分も、すごく羨ましいやら、こちらが恥ずかしくなるやら……。
なぜこの村が? と、何度も何度も問いかけたくなる。誰に? 運命に? 神に?

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