上の図は、昨日発表された最新版の放射線量測定マップ。
ここ数日の海側からの風と雨のせいで、川内村の線量は微増した。
しかし、この図を見ても分かるように、3月15~16日の放射性物質大量漏出(主に2号機から。3号機、4号機からのも加わった)で、汚染されてしまった地域はほぼ固定している。ヨウ素はすでにほとんど消えているはずだから、今放射線を出しているのはセシウムが主体だろう。ストロンチウムもあるかもしれない(だとすれば相当恐ろしい)。
図中、1マイクロシーベルト以上のポイントはピンク、2マイクロシーベルト以上のポイントはオレンジ色で示した。
逆に、20km圏内でも1マイクロシーベルト未満のポイントは緑色で示した。
これを見れば一目瞭然だが、放射能汚染の度合は距離と連動していない。
あのときたまたま吹いていた風、そして降り出した雨によって決まってしまったのだ。
無論、今後もあのときと同じ or さらにひどい放射能汚染が起きないとは言えない。今も放射性物質は出続けているのだし。
しかし、今頃になって避難しろと言うのであれば、分かっているこの汚染状況マップに沿って指示するのがあたりまえだろう。
川内村では役場前(第一原発から22kmくらい)と、複合医療施設「ゆふね」(同19kmくらい)の二か所に定点計測器があり、毎日、放射線量を記録している。ここ数日の結果は、
■ 測定地:川内村役場
(測定日時/測定値)
4/13 17:00 0.30μSv/h
4/10 9:30 0.34μSv/h
4/08 13:00 0.38μSv/h
4/06 12:30 0.39μSv/h
4/04 6:00 0.45μSv/h
4/03 9:30 0.46μSv/h
4/02 12:30 0.47μSv/h
4/01 11:00 0.51μSv/h
■測定地:ゆふね
(測定日時/測定値)
4/13 17:00 0・97μSv/h
4/10 13:15 1.03μSv/h
4/08 12:50 1.09μSv/h
4/06 12:20 1.15μSv/h
4/05 14:00 1.17μSv/h
4/04 11:00 1.25μSv/h
4/03 9:00 1.25μSv/h
4/02 11:30 1.30μSv/h
4/01 14:00 1.34μSv/h
……となっている。
4月14日以降のデータがまだ掲載されていないが、文科省のモニタリングカーによる計測では、役場のそばで4月21日10時58分に0.6μSv/hだった。
風と雨で少し増えているが、それでも1マイクロシーベルトには達していない。
一方、文科省のモニタリングカー調査最新版(21日夜発表)によれば、
福島市杉妻町(約60km北西) 1.8μSv/h
伊達市霊山町石田彦平(約45km北西) 2.9μSv/h
郡山市大槻町長右エ門林(約55km西 1.2μSv/h
郡山市豊田町(約60km西) 1.7μSv/h
……などなど、30km圏外の都市部のほうが川内村より高い数値を記録している。
放射能汚染の危険性という観点からは、20km圏内一律立ち入り禁止措置にする理由はまったくない。
肝心の20km圏内エリアでの放射線量測定値を、政府はずっと発表しなかった。発表したのは、20km圏内を危険区域にしてからだ。こんなバカな話があるだろうか。
その
データ(⇒ここ)によれば、案の定、ものすごくばらつきがある。
原発から6~9km圏内という非常に近いエリアでも、
浪江町大字酒井【北西約7km】 2011/4/18 12:45
20.0μSv/h
浪江町大字高瀬【北北西約8km】 2011/4/18 12:51
0.55μSv/h
浪江町大字藤橋【北約8km】 2011/4/18 13:31
0.86μSv/h
浪江町大字幾世橋【北北西約9km】 2011/4/18 13:48
0.60μSv/h
浪江町大字高瀬【北北西約6km】 2011/4/18 13:56
0.93μSv/h
……などとなっていて、6kmの近さでも1マイクロシーベルト以下、つまり福島市や郡山市以下のところがある。
そもそも20kmで線引きするというが、どこから20kmと言っているのかが不明だ。第一原発の敷地は広い。敷地境界線から20kmなら正確な円形にすらならない。ここが原発の中心点ですという杭が打ってあるわけでもないだろう。かなりいい加減なのだ。
実際には、幹線道路の適当なポイントに警官を配備して立ち入り禁止にしている。抜け道も通れないようにと、すでにバリケードを築いている。
川内村の場合、下川内交差点(国道399号が県道小野富岡線にぶつかる場所)がチェックポイントで、ここから富岡側を20km圏内と決めたようだ。
主な施設では、「いわなの郷」という村内最大の複合施設(宿泊施設、食堂、会議室、多目的ホールなどがある大きな施設)と複合医療施設「ゆふね」が20km境界線ぎりぎりに引っかかって立ち入り禁止にされてしまった。
家に戻ってきた村民にとって、この2つが使えないことは大きな痛手だ。特に「ゆふね」は最新医療施設であり、大量の医薬品や医療検査機器がある。血液検査などもその場でできるくらいの施設であるだけに、ここが使えないとなると、医師がボランティアを名乗り出ても働く場所が封鎖されていて活動ができない。
村を再興するためには外から様々な人材を呼び込み、イベントを開催したりすることが重要になってくるが、いわなの郷が使えないとそれも難しい。
ゆふねの放射線量は福島市や郡山市となんら変わらず、危険性はまったくない。逆に、村唯一の医療施設を封鎖されることによる危険は計り知れない。
20km境界という意味のない線引きをすることで村の機能を寸断し、復興を困難にさせることに、なぜ村長が同意したのか、理解に苦しむ。
双葉郡町村連合のリーダーとして「抜け駆け」できないという思いからか、県や国から交換条件で密約を持ちかけられたか、あるいはその両方だろうと思うが、この判断は後々大きなダメージを与える傷を作ってしまった。
このままなし崩しに「原発汚染地域被害者同盟」に加わり、自力復興の意欲を押さえ込み、ひたすら補償金を待ち続けるみじめな自治体になりはてることは目に見えている。今まで以上に原発依存体質が強化され、原発抜きでは何もできない村になるだろう。
本当にがっかりさせられた。
こうなったら、あとはもう、勝手にこの地で楽しみながら生きていくしかない。
今までもそうだった。今回のことで村も目が醒めるだろうと期待したのが甘かった。
国や県には、もはやこの事態を正しく収拾・解決する能力がない。
いわば平時は終わり、戦時になったのだ。
放射性物質という爆撃からいかに身を守りながら生活していくか、結局のところ自分で決めるしかない。
今回のことでいろいろ勉強させられたが、いちばん驚いたのは「~なんて放射線量は全然大したことがない。米ソ中が核実験していた時代にはもっとずっと高い数値でプルトニウムもセシウムも、ストロンチウムでさえ世界中にばらまかれていたのだから」という「専門家」の弁だった。
本当か? ……と、調べてみた。
気象研究所地球化学研究部というところが、1950年代後期から40年以上にわたって大気圏での人工放射性核種の濃度変動の観測をしていて、
データが公開されている⇒ここ
このグラフは衝撃的だ。
縦軸の数値が等比ではないことに注意。級数なのだ。等比で描けば、極端な上下になる。
10の2乗レベルの2000年前後と10の5乗レベルの1960年代では1000倍違うのである。
マイクロシーベルトがミリシーベルトに変わるのと同じレベルで変動したのだ。
その時代、毎日土の上を走り回って遊んでいた我々は、すでにとんでもない内部被曝をしているだろう。
(2011/05/29 追記)
気象研究所によれば「米ソの大規模実験の影響を受けて1963年の6月に最大の降下量となり(90Sr 約170Bq/m2、137Cs 約550 Bq/m2)、その後徐々に低下した」とある。過去の最大値がセシウム137で約550ベクレル/m2であれば、文科省が発表した「3月22日の雨で東京に降下したセシウム137は5300ベクレル/m2」は、1日の降下量が、過去の月間降下量最高値のざっと10倍ということになり、「今(福島の事故後)より高い」ことにはならない。
また、5月6日に発表されている
「文部科学省及び米国エネルギー省航空機による航空機モニタリングの測定結果」によると、原発から北西に延びるホットポイントにおける4月6日~29日までの24日間のセシウム137蓄積量は、300万~1470万ベクレルという桁違いの数値。60年代の核実験時代(月間の最高降下量約550ベクレル)の1万倍だ。
年間1マイクロシーベルトという基準値を超えて被曝する生活を余儀なくされてしまったことはまぎれもない事実なのだから、ここから先は、実際に自分の生き方をどう決めるかという問題になってくる。
今回の放射能ばらまき「事件」の犯罪者であるお上や御用学者たちに、我々の生き方まで邪魔してほしくない。
まったく説教泥棒よりタチが悪い。
人の家に勝手にウイルスまみれの下痢ウンコをばらまいておいて、自分たちは臭いからとそこに近づこうともせず、「おまえんちはウンコまみれだから、もう使えないぜ。近づいたら罰金だぜ」と言っているわけだ。なんとタチの悪い犯罪者どもだろう。
しかしね、ウンコをばらまかれても、我々は死ぬわけじゃない。ウンコが臭いから土地を捨てるなんてことはしない。
いや……ウンコは土が分解してくれるが、あいつらがばらまいたのは分解不能な毒物という意味で、凶悪犯罪なんだよなあ。ただのウンコだったらどれだけよかったか。