2011/03/26の2

ジョン


日没前に戻れる(避難できる?)めどがつき、ノーマルタイヤに履き替えた車で家を後にする。
途中、イノシシ罠の扉が落ちていたのが遠くから見えたので、近くにまで行って中を確認した。おばかなジョンが閉じ込められているかもしれないと思ったからだが、罠の中は空だった。
犬を放していった家も多いので、罠は閉めたのだろう。それならいいのだが。

で、もしかして脱走するといつも行っていたご近所の家にいないかと思って行ってみたところ、わさわさと犬がいっぱい出てきた。
声をかけると、人が出てきた。
この家は避難していなかったのだ。
Yさんは現役の広域消防勤務で「私は仕事で残っている」と言っていた。
上の写真の犬2匹は、ここで飼っている猟犬。実は、ウッシーもこの家の飼い猫だった。
「うちではペコと呼んでます」
失礼しました~。
シロのことは知らないらしい。
Yさんは消防士として原発での消火作業をすることもあるためか、積算線量計を持っていた。今まで何時間で何ミリシーベルトを被曝したかを積算していくもの。今、ここの放射線量がどれだけかを示すことはできないという。実物を見せてもらった。
消防士が放射線線量計を携帯している……そういう地域に住んでいたのだなあと、後からじわじわっと実感させられた。

Yさんも、通信遮断には相当まいっていた。
「わざと遮断されているんじゃないかとも思うんですよ」
真顔でそう言った。
考えてみればそうだ。
地震の直後に不通になったのではない。翌日の昼まではネットはずっとつながっていたのだ。
ところが、翌日の昼から、まずネットが遮断され、次にひかり電話が使えなくなった。夕方まではひかり電話ではない従来の固定電話はつながっていた(隣のさとーさんの家で確認済み)が、それもやがて遮断された。
考えてみれば変な話だ。地震や津波で基地局が破壊されたというなら、11日の地震直後につながらなくなるはずなのに、そうではなかった。
しかも、2週間経過してもいっこうに直らない。
「わざと遮断されているんじゃないか」と疑いたくなるのは無理もない。

ところで……。


ジョンはこのYさん宅の庭で元気に飛び回っていた。他からやってきた犬たちも一緒だった。
僕を見つけてものすごい勢いで飛びついてきた。
しかし、バカだから、一緒にいる他の雄犬ととっくみあいの喧嘩を始める始末。こんなところでボス争いしている場合か、バカ! どこまでバカなのおまえは。叱りつけるが、全然言うことをきかない。犬たちも、異常な雰囲気を感じ取り、ちょっとハイになっている。
僕が現れたので、他の犬より自分のほうが強いのだと誇示したかったのだろうか。ったくバカ。

ハスキーっぽいどこかの犬と目の前で本気の大喧嘩を始めるジョン


犬たちもみな不安やストレスを抱えているようだ

ジョンの小屋に一袋まるごとドッグフードを入れてあることや、S田さんちにガソリンや食料を託したことなどを伝え、Yさんちを後にする。
ジョンとハスキーっぽい2匹は喧嘩をやめて、全速力で車を追いかけてきた。いつまでも追いかけてきそうで可哀想なので、スピードを上げて振り切る。
みんなと仲よくやれよ、ジョン。つながれずに済むのは今のうちなんだから。

天災ではない、犯罪的人災でこんなめにあわされている理不尽さを噛みしめながら、5マイクロシーベルトを超える鬼ヶ城を抜け、小野ICから磐越道へ。


途中、中郷SAでラーメン。朝から肉まん1個しか食っていなかったのでほっとする

結局ガソリンは補給できないままだったが、タイヤがノーマルに替わったこともあり、燃費がめちゃくちゃよい。650kmくらい走った後も、20リットルは余っていた。今までやったことはなかったが、満タンで出発すれば、川崎←→川内村を往復できることが分かった。渋滞していなければ、だけれど。

疲れた。
でも、避難所生活をしている人たちは、この何倍もハードな日々を続けている。
夜、商工会長の井手さんが教えてくれたリンクをクリックしたら、こんなページが出てきた。
「原発がどんなものか知ってほしい」と題された、一級プラント配管技能士の平井憲夫さんというかたが、1996年に遺言代わりに書いた文章。
平井さんは翌1997年1月、癌で亡くなっている。

「私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、『死ぬより大きいことはないよ』と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです」。

15年前にこう決意して書き残した人の文章を読んでから寝るのは辛いものがあったけれど、さすがに疲れていたので、眠りに着くことはできた。

2011/03/27

重苦しい朝

昨日、川内村で会えた二家族の顔からは笑顔が消えていた。
笑えないところまで追い詰められながらも、しっかりと自分の足下を見据えて、平静さを失わないように努力していることが痛いほどよく分かった。
淡々と……というか、……そうするしかないのだ。
12日、1号機が爆発した後に逃げ出したときは、後で状況が分かってくるにつれ、いっぱい後悔した。
こういう状況だとあのとき分かっていたら、あんなに慌てることはなかった。あれもこれもやれたはずなのに……と。
今回の一時帰宅では、できるだけ後悔しないようにと、TO DOリストを作って村に戻ったのだが、一晩寝て起きた今は、やはり、ああ、あそこにあれがあったのだからあれをああしてこうすればよかった、という後悔がいくつかある。

昨夜寝たのは2時近く。10時間くらい眠れるかと思っていたが、数時間で目が醒めた。

起きる直前、とても嫌な夢を見ていた。
苦労して作った曲が、勝手にダサダサに改作され、風力発電を賛美する歌として、髭を生やした知らないオペラ歌手のような男に歌われているのがテレビから流れてくるという夢。それが被災地救援の名目で流れ、「新エネルギー」への補助金集めに利用される。
津波被災地や原発被害地の救援・復興に使ってほしいのに、電力会社や企業に流れてしまう。巧妙な詐欺と、メディアの圧倒的な力の前に、自分の努力が徹底的に歪められ、たたきつぶされ、それどころか悪用される図を見せつけられて、ただただ無力感を覚え、愕然とする……というところで目が醒めた。
嫌な夢を見て目が醒めるのは最近の常なのだが、今朝のはとてつもなく疲れた。
夢でよかった、とは、素直に思えなかった。

こういう夢を見るにはいくつか伏線がある。
昨夜一瞬見たテレビで、ビートたけしがやっていた「こんなときに空気の読めないやつ」というネタ。その中に、「『私にできることはこれしかない』とか言って、知らない歌手が知らない歌を歌っている」というのがあった。
無名のミュージシャンなどが「便乗商法」をしているのは笑っちゃうね、チャリティは有名人にやらせておけばいい、ということらしい。
効果ということからすれば、確かにそうだろうとは思う。だが、はいそうですねと言ってしまうと、自分の存在の小ささを恨めしく思うだけで、前に進めない。
有名人は有名人のやり方で金集めをすればよい。それはその通り。でも、無名のアーティストたちにはそういう力もないんだよと、有名人に言われたくはない。
有名人が有名になった裏には、今回の犯罪的事故を許したいかがわしい意志が用意した金や権力のバックアップがたくさん介在している。アーティストが潔癖であればあるほど、有名になることは難しい。そこが昔とは違う。
それを一方的に悪いことだとは言わない。割り切ること、金や権力をうまく利用することも、現代社会の中でアーティストたちが生きていくためには必要な能力かもしれない。
権力を利用して、何ができるのかを考え、利用する。それも戦い方のひとつだろう。結局は生き方の問題だ。
例えば、原子力発電所の回りに、電力会社に金を出させて木を植えるプロジェクトを進める……そういった戦い方は正しいと思う。原発をやっている電力会社がスポンサーになっているから、そのコンサートには出ない……なんてやっていたら、活動の場はどんどんなくなるだろう。
ぎりぎりのところで選択していく。それしかないし、みんなそうしている。

いちばん嫌なのは、勉強しない人、しようと思わない人、自分の勉強不足や無関心を少しも恥じない人、恥じるどころか、逆になぜか自信満々な人。利用された有名人の多くも、そのタイプだ。レベルの違いはあっても……。

川内村に戻る前に、知らない人からメールが来た。あれだけ「ちゃんと事実を調べてから言いましょうね」と書いたにもかかわらず、調べることもせず、考えを一旦リセットしてみることをせず、したり顔で「あんたは相変わらずですねえ」的なメールをしてくる人間がいる。
どこそこにあなたが書いているここが間違っていますよ。根拠は○○が出しているこのデータです……という指摘をしてくれるならありがたいし、こちらで検証して、僕の間違いが分かればすぐに訂正するし、感謝する。しかし、そういう具体的なことは一切書いてこない。
この手の人は、どういうわけか深く突っ込んで勉強しようとしない。中途半端に、自分にとって気持ちのいい情報だけを信じて、そこから先に進もうとしない。一度よきものと信じ込むと、事実を見ようとしなくなる。偏狭な信仰心に気づかない。それなのに自分は冷静でバランスがとれた人間だと思っている。この手の輩は無視するしかない。
しかし、そういう人たちは、普通に話をしている分にはものすごく「いい人」だったりするのだ。僕が持っていない他者への愛情や達観を兼ね備えた人もたくさんいるだろう。ある分野ではものすごく優れているのだろうし、友情を裏切らず、苦境においても勇敢に行動する人かもしれない。
実際、友人たちの中にも、勘違いを続けている人はいる。そのことを思うと、人間社会というものに対してのさらに深い絶望感を抱かざるをえない。あんなにいい人が、こんな簡単なことも分かろうともしないのだろうか。人間って、どこまで救いようがないのだろう……と。
悪と善、正と邪、真と偽という単純な対決構図であれば、たとえぼこぼこにされて死んでいくとしても、諦めがつく。ああ、俺たちは弱いんだなあと。
でも、現代社会の戦いはそんな簡単なものじゃない。強者は人間を利用する術を知り尽くしている。弱者は利用されるばかり。「よき人」も利用され、インチキを推進する強者を助ける役割を果たす。

起きた直後、そうした思いに包まれて、どうしようもない疲労感、虚無感に包まれた。
この気持ちを話す相手もいなければ、話しても分からない。そもそも、相手によって、話せないこともたくさんある。
あの曲を書くのにどれだけ苦労したか。単純に音楽的な悩みならいくらでも苦労すればいい。それが音楽を創る者にとっての生きる喜びだし、性(さが)なのだから。苦しみはそのまま幸せでもある。
でも、そうではない、社会的な苦労、理不尽な騙しや陥れや圧力、そうしたものを、今乗り越えるためにはどうすればいいのかという冷徹な判断といった苦労は、本来の創作とはあまり関係のない苦労だ。現代では、そっちの苦労のほうが比重が重くなっていたりする。それが疲れる。

それでも、今までは、あらゆるものを飲み込んだ上で、でも、やめないよ、続けるよ、と決めて、やってきた。
今回のことも、天災なら、こんなに面倒な気持ちにはならない。失ったものに対して涙を流し、疲れ果て、眠り、深呼吸して、時間はかかるけれど、よしもう一度……と、やり直そうと思えるに違いない。
実際、中越地震の後はそうだった。物理的に失ったものは忘れ、気持ちを新たにしてスタートをきれた。(無論、失ったものが大したことはなかったということがあるけれど)
しかし、今度のはそうじゃない。タヌパック阿武隈は地震で崩壊したり津波で流されたりしたわけじゃない。
原因は「人間社会」だった。
人間社会そのものに対しての絶望はタチが悪い。闘う相手が自分と同じ人間なのだから。罵声を浴びせればそのまま自分に返ってくる。否定すれば自分の存在も否定される。

でも、逆に、こういうときになって、あいつはほんとにすごいな、と分かる人もいる。
そうしたかけがえのない友人と出逢っていながら、若さと独りよがりゆえに裏切り、一緒に戦い続けられなかった自分の罪を、一生かかって思い知らされているんだな、とも思う。
「それに気づいただけでもよかったじゃないの」と、助手さんが言った。

……うん……そう思うことにする。

ま、なんだかんだで、これからは阿武隈にばらまかれた放射性物質と一緒に生きていくしかないよな、と思う。
人間が作りだし、ばらまいてしまったものなんだから。そうした社会に生まれてここまで生きてきたのだから。今さらどこかに逃げる場所もないのだから。

音楽にしても、自分のためだけなら、もう十分作ったかもしれない。

もう一度、カエルや森の残る場所に、戻っていくしかないと思う。
家族や、かけがえのない友人たちを一瞬にして失った人たちの絶望感に比べたら、どんなに理不尽であろうとも、人間を相手に生きていくことの絶望感にうちひしがれるなんて、贅沢なことだろう。
今はそう思う。実際にどうするか、何ができるのか見えてくるには、もう少し時間が必要だ。

疲れてしまったので、しばらくは静かにしていようと思う。損傷したDNAを回復させるためにも?

ジョンもシロも、待ってろよ。

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