2011年2月11日の4

寅吉が彫った?石仏群


ついでに、寅吉がまだ銘を彫っていない時代の作品が残っているという祠を案内していただいた。
寅吉は師匠・小松利平が生きているうちは自分の名前を彫らなかった。
高遠藩を脱藩して福貴作に住み着いた石工・小松利平は、1804(文化元)年11月晦日生まれ、1888(明治21)年8月1日に没している。江戸時代の石工としては驚異的な長寿で、満83歳まで生きた。
師匠の利平が没した4年後の明治25(1892)年11月15日、寅吉は川田神社(川原田天満宮)に自ら飛翔獅子を奉納し、「浅川町福貴作 石工小松布孝作之」と刻んだ。
これは寅吉が布孝を襲名したお披露目であり、初めて自分の名を作品に刻んだ記念すべき作品だった。
このときすでに寅吉は48歳。それまで、利平の弟子として働いていた時代に彫った作品はたくさんあるはずなのだが、現当主・利平さんのお話では、ここにある石仏もそうだという。
上は如意輪観音。顔がかけてしまっているのが残念。

この大黒像もそうらしい


祠の中に収められている本尊もそうだという


なかなかの彫り


いつ頃の作品だろうか。今度、天気のいいときに改めてじっくり調べてみたい


台座も結構凝っている


これは弟子筋の千手観音?


「千手」の部分がちょっと省略的な表現になっている

その後、一旦、神宮寺に戻り、一息入れてから、吹雪の中を「大明神」と呼ばれる石の祠を見に行った。
これは今まで知らなかった。鶴の墓石の佐久間家が造った社らしい。

それにしても悪天候。すでに日も沈み、写真が撮れるのか……


これが「大明神」



雪がついて、細部がよく分からないが、今まで見た寅吉の石の祠の中では、母畑温泉のものと同じくらいの大きさで、かなり大きなもの。

屋根がずれてしまっていて、相当危ない状態


社を造る前から建っていた?石柱


暗いのと雪でちゃんと撮れなかった


これは仕方なくフラッシュを焚いた。苗字帯刀を許された経緯とかが書いてあるようだ


みながこれを「大明神」と呼ぶので、このへんの地名になったとか


天気のよい日に改めて調査することにして、本日はこれにて引き上げ



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