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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ』 1997 前半

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 1997年1月~6月まで





なんか変だぞから初怒発言まで





去年から今年にかけて、なんか変だぞと目に付いた重箱の隅特集である。
▼まずは軽いジャブ。『一億人の大質問?笑ってコラえて』(日本テレビ系)の「日本全国ダーツの旅」のコーナー。毎回あんなに田舎町ばかりに矢が刺さるわけないじゃん。
▼その程度は洒落で済むが、ニフティでも話題になっていた12月8日放送『特捜ファイル200X』で、UFOの写真鑑定のため、大学の研究室を訪ねるシーン。東大のキャンパスをカメラが奥へ奥へと入っていく後に研究室のドアが映し出され、助教授の肩書きの人物が登場。ところがこの人、実際には稚内北星学園短期大学という短大の助教授で、取材場所も同短大だったというのは笑えない。
▼正月の『タモリの超ボキャブラ天国スペシャル』(フジテレビ系)で、出演者たちの中で最も目立たないベスト10というランキングを発表したが、このランキング、どう考えても順位が逆。つまり点数が低いほど目立っていない(認知度が低い)のを、逆順に並べてしまった疑い濃厚。しかとしてそのまま通しているけれど、スタッフは冷や汗かいているんじゃないかな。
▼『ビッグトゥデイ』(フジテレビ)で、絶滅したはずのニホンオオカミが撮影されたというニュースを紹介したとき、女性アナ横からいわく。「それって、人間には害を及ぼさないんでしょうか?」。この一言で彼女の知性、教養、人格、すべてが見えてがっかり。「被害者」はオオカミのほうなんだってば。

■近況■

 正月早々、帯状疱疹という病気になってしまった。水疱瘡のウイルスが再び暴れ出すというやっかいな病気。二度目に病院に行ったら閉まっていて、帰ろうとしたらクルマがエンコ。寒い中、痛む身体で奮闘したが動かずクルマは放置。どうも厄年がまだ続いているらしい。



先導車はなぜ今でも白バイなのか?




冬は駅伝、マラソンのシーズンで、陸上ファンの僕としては楽しみが増える。中山がいなくなってからの男子マラソンは極端につまらなくなったが、代わりに女子は「喋らなければOK」の千葉真子とか、浅利に靴を踏まれて転倒してもじっと耐えた吉田直美とか、地味ながらマニアックなキャラクターが続々登場していて喜ばしいかぎり。
 ところでいつも思うのだが、マラソンや駅伝の際、スポンサーのクルマメーカーが掲示車や先導車を提供するが、排ガスを出さない電気自動車を使っている例を未だに見ない。
 一方で、情報番組では事あるごとに電気自動車は夢のクルマだの無公害だのと持ち上げる。本当にそんなによいものならなぜマラソン先導車に使わないのか? 結局は「万が一止まってしまったらどうしよう」という不安が拭いきれないからではないか? ましてや中継車は膨大な電気を使いながら走っているわけで、電気自動車ではとても使いものにならないのだろう。
 ひどいときには、ディーゼルエンジンの大型四輪駆動車が大会運営車両として「スポンサー様」から提供されている。選手の健康のことなど無関係に、メーカーが今いちばんテレビ画面に映し出したい(宣伝したい)クルマを提供してくるわけだ。
 白バイに至っては、結局「そういうことになっているから」というお役所仕事の論理。マラソンや駅伝の中継を見る度に、日本はつくづく文化のない貧しい国だと思い知らされてしまうのである。

■近況■

 帯状疱疹の後はきつーいインフルエンザで寝込んだ。病気のダブルパンチに見舞われながらの新年幕開けである。1年分の厄をまとめて最初に放出するのならいいのだけれど。気分転換にサターンを買って『天外魔境』をやっているのであった。



隠す物と見せる物 を分ける「もの」?




お正月に映画『シンドラーのリスト』を某局が完全版で放映した。途中から見ていたのだけれど、あの映画、陰毛はおろか、陰茎までしっかり映っていたのね。恐らく、テレビで陰茎が事故ではなく堂々と映し出されたというのは、あれが初めてだったのではなかろうか?
 昔、映画館で『ソルジャーブルー』を見たとき、最後のアメリカ原住民虐殺シーンで、全裸で逃げまどう女性の股間にひらひらと蝶々が飛び、(モザイクなどではなく、フィルムを傷つけて消すという原始的な方法)とてもしらけたのを今でも覚えている。人間が人間としての尊厳を奪われるという意味では、『ソルジャーブルー』の虐殺シーンは『シンドラー~』の強制収容所シーンと同じ。猥褻とは無関係だ。ようやく日本もここまできたか…。
 ところが、報道番組やワイドショーでは、以前にも増して簡単に人の顔にモザイクをかけるようになった。股間の一物は映せても、顔はダメ。創作作品と報道映像ではまったく意味が違うということは分かっているけれど、なんだか「とりあえずモザイクかけときゃ安全だ」というニュアンスが伝わってきて、かえって下品さが感じられることがある。自信を持って報道するという気概がないのではなかろうか? 一方では、渦中の人物が逮捕されると、容疑者の一瞬の顔映像欲しさに何も考えずに追いかける。見せることも見せないことも「儀式化」「マニュアル化」している。それでいいのだろうか?

■近況■

 スキャナを買った。勢いで、数ヶ月ぶりにインターネットホームページ分室「狛犬博物館」をupdateした。14日は円丈さんの狛犬講座に出席。でも、狛犬はあくまでも趣味である。これ以上「仕事」は増やしたくないものね。



恥ずかしい芸名は 得か損か?





一つ教えてほしいのだけれど、最近ドラマで活躍している生瀬克久という男優は、かつて劇団そとばこまちで槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)という名前で出ていた人なの? 『TV広辞苑』に出演していたとき、うんちくマン役のもう一人の役者ともども、注目していた。メジャー進出にあたって、槍魔栗三助ではまずいということで改名したのだろうか?
 ベンガルはかつてNHKの朝のテレビ小説に出演したとき、柳原ハルヲを名乗った。片仮名四文字だけの芸名ではNHKで役者をやるには軽すぎると思ったのだろうか?
 片仮名四文字といえば、ダンカンは、一時、ビートたけしの気まぐれでふんころがしという芸名にさせられていた。たけし軍団が売り出した直後で、ちょうどそのとき私は軍団の面々に取材したのだが、彼は芸名のことでひどくぼやいていた。その後、殿に泣きついて元のダンカンに戻ることを許されたのだろう。でも、玉袋筋太郎とかはそのままだしなあ。(女で一本糞なんとかっていうのもいたが……)
 女性漫才モリマンの大きいほうはモリ夫、小さいほうは、種馬マンという芸名である。役者としても才能はあると思うが、いいのかそのままで?
 キッチュは最近、松尾貴史という名前しか使っていない。やっぱり軽いか? キッチュでは。そういえば、でんでんはどうしているだろう。
 変な芸名って、デビュー直後は覚えやすくて得だけれど、出世した後が問題。最初からまともな芸名の竹中直人なんかはさすがにそつがない?

■近況■

 三遊亭円丈師匠の「狛犬講座」に出席した。林家しん平師匠も狛犬ファンだったと知ってびっくり。久々に楽しいお酒が飲めた。でも、初対面のしん平師匠に「こぶ平さんとは仲が悪いんですか?」と訊いたのはまずかったかしら。




「素人」の面白さ どこまでが「素」?





 バラエティ番組や情報番組では、素人(非プロタレントの意味。この呼び方自体、テレビ界側の傲慢さを如実に表しているように感じられる)の反応を楽しむという趣向がよくある。「素人」の反応は、うまく「外れ」れば計算外の新鮮な笑いを呼べるからだ。
 ところが、この「計算外の笑い」までも、制作側が計算しようとしているように見えることがよくある。
1)『クイズ赤恥・青恥』(テレビ東京系)で、「羽田孜が作った新党の名前は?」という問題があった。訊かれた若い男女のグループが、最初は「なんだっけ?」と分からない素振りだったのに、画面が不自然に途切れた(つまり編集された)後、「たいやき党」「半袖スーツ党」と答えた。彼らが意識的にボケたのでなければ、スタッフが「たい……で始まる」とか、「昔半袖のスーツ着ていた人なんだけれど」などという挑発を入れたのでは?と疑ってしまった。だって、太陽党という答えを知らなければ出ないボケだし、かつてのみっともない霞ヶ関省エネルックを知っているには若すぎる世代だったもの。
2)『さんまのスーパーからくりTV』(TBS系)。「長寿クイズ」のおじいさんたちは天然ボケだろうが、出題順は答えの面白さなどを考えて編集のときに再構成している気がする。「ふるさとビデオレター」は、事前に台詞を作り、カメラ脇に大きく掲示して読ませている雰囲気がありあり。みんな棒読みだし。
 これって、見ている私の根性が曲がっているだけ?


■近況■

 4月に『鉛筆代わりのパソコン術』(サイビズ)が出る。パソコンを買ったはいいけれど、ワープロのようには使いこなせなくて投げ出したくなっている人々への福音書。「書くための」ソフトもライセンス付きで付属しているのだ! 乞うご期待。




情報番組になぜ タレントが必要か




『驚きももの木20世紀』(テレビ朝日系)は明らかに先発の『知ってるつもり!?』のパクリ番組といえるのだが、回によっては結構興味深い内容だ。笠谷幸生やジプシー・ローズの回なんかは、なかなか面白かった。
 しかし、この手の番組を見る度に思うのは、なぜスタジオで複数司会者(必ずおじさんと若い女)、ゲスト(特にその回に関係のない人も含む)がトークしながら進行させるのかということ。完全な取材映像(下品にならない程度に再現映像とやらが入っても我慢しよう)だけでは視聴率が落ちるのだろうか?
 もしそうだとしたら、視聴者は、素材としての人間ドラマを自分で「理解」する能力がないということなのだろうか。誰かに、自分に代わって「凄いですね」とか「悲しいですね」と言ってもらわなければ、その人間ドラマの中身を咀嚼できないということなのだろうか? 
 これは結局、「感想の押しつけ」「感じ方の強制」ではないだろうか? 
 番組は、こういう人生があったのだというドラマを、意外な事実を、隠れた歴史を提示するだけでいい。それをどう判断するか、感じ取るかは視聴者の自由のはずだ。
 現場に行けない視聴者に代わって、タレントがラーメン食って「うまい!」というのはまだ分かる。でも、単純に驚いたり泣いたりすることをタレントにさせるのは、自分の代わりにウンコしたりご飯食べたりしてもらうようなもんじゃないのかな。

■近況■

『鉛筆代わりのパソコン術』(サイビズ)の入稿がほぼ終わった。付属CD-ROMは、タヌパック特製の画像や音楽なども満載。多分、小説より売れるんだろうな……それって、「小説家」としては複雑な気持ちだけれど。





テレビ制作現場の 低教養化大丈夫?





 このところ小言じいさんみたいなことばかり書いているけれど、ついでにもう一丁。
 最近、ニュース番組のテロップなどに、とんでもない誤字、語法の間違いが目立つようになってきた。
 しかも、単純なミスというよりは、テロップを担当しているスタッフの無知をうかがわせるようなものが多い。
 例えば「生ゴミは土へ返えす」(『どうなってるの?』で見かけた)など、田舎の看板によくある送りの間違い。ときには、アナウンサーの原稿読み間違いより恥ずかしく、目立つことがある。
 台本の文章などもなんだかおかしい。『驚きももの木20世紀』(テレビ朝日系)の「ジプシー・ローズ」の回では、きたろうが読むナレーション原稿のあちこちに「……しておりました」という表現が出てきた。「おります」は謙譲語。一人称の原稿なら分かるが、その「おります」の主語は、番組でスポットを当てた人物。しかも存命の老人。映像の中にも登場するその人物をさして、「○○さんは当時……をしておりました」はないだろう。
 そういえば、しょっちゅう出くわすのがインタビュアーの「お訊きしたいんですが」という表現。久米宏なんかも言っているけれど、「伺いたいんですが」が正しいはず。
 情報番組などで、おじさんたちが女子高生言葉を嘆くようなシーンがよくあるけれど、低教養化という意味では、番組制作を根底で支えているライターやディレクターたちのほうも結構危ないのでは?

■近況■

『鉛筆代わりのパソコン術』(サイビズ)執筆に関連して、最近「文字コード」問題を勉強し始めた。漢字文化の将来を決定づけるかもしれない大問題なのに、なぜかテレビで取り上げることはない。やはり活字離れ時代なのか?



プロ野球シーズン 到来の憂鬱




 今年もついにプロ野球がついに開幕してしまった。
 今さら言うまでもないことだが、野球中継は「録画生活者」にとって大敵である。野球の後の番組を録画しようとする場合、「最大延長○時○分まで」という断り書きを参考にして最大値を余分にセットするわけだが、今まで8時台は日テレ、9時からはTBSなどのように、他チャンネルの番組を連続録画できたのに、この「ずれ予測」のためにできなくなってしまう。
 ただでさえ憂鬱な季節到来というのに、今年は日テレちゃんが、しょっぱなから我ら「プロ野球迷惑族」の神経を逆撫でするようなことをしてくれた。4/4のジャイアンツ―スワローズ戦。9時からは『金曜ロードショー』で刑事コロンボの新作をやるはずなのに、あにーーー!「最大延長10時54分まで」とあるではないか。我が目を疑うとはこのことである。要するに『金曜ロードショー』枠全部をつぶして延長する可能性があるってことである。その可能性を考慮して録画をセットしようと思えば、4時間もセットしなきゃいけないってことである。あーに考えてんだ日テレちゃん。
 そこまでジャイアンツ戦が大切なら、いっそ中継のある日は11時まで「頑張れジャイアンツ」みたいな特番で埋めたら? 少なくともドラマとか映画とかは野球中継の後に入れるんじゃないっての。
 あーあ、早く衛星放送他チャンネル時代が本格化して、野球なんぞはどっかの専門局でやってくんないかな。


■近況■

『鉛筆代わりのパソコン術』(サイビズ・1800円)ついに出版。一太郎やワードの重さに辟易しているWINDOWSユーザーへの福音書。付属CD-ROMには、わがKAMUNAの演奏や、タヌパック特製の画像・音声データなども満載。まさに福袋のような本なのだ。





ニュースにおける 形容詞の功罪




 どこかの養豚場の豚が野犬の群に襲われて困っているというニュースがあった。これをフジテレビの『ニュース・ザ・ヒューマン』では「かわいらしい子豚を野犬の群が……」と報道していた。画面には、傷ついた子豚(もちろんまだ生きている)の耳を掴んで乱暴に「整理」している養鶏場のおやじさんの姿が映っている。彼にとって豚は「商品」にすぎないということを如実に表している映像だ。
「かわいらしい子豚」を襲ったのは、ハンターに捨てられて野犬化した「かわいそうな犬たち」かもしれないね?
 ペルー日本大使館人質事件。突入作戦の名前は「チャビン・デ・ワンタル作戦」だとか。池田外相は、この命名の元になったという遺跡をフジモリ大統領自らの案内で「視察」したそうな。視察?!
 人質事件を利用して観光名所を作ってしまうペルーの大統領と、そのPRに担ぎ出される日本の外相。この違い。
 CNNなど海外の報道番組は、政府軍が、無抵抗な少年や女性兵士をなぜ問答無用に射殺したのかを鋭く追及した。日本では「○○さんが帰国!」と、例のごとく空港にお出迎えカメラを並ばせることに力を入れる。この違い。
 TBSの『報道特集』では、突入時に二階テラスそばにいた少年が一旦は人質に銃口を向けながらも、「悲しそうな目で銃を下ろし、部屋を出ていった」とちらりと報道した。
しかしその「悲しげな」目で人質を逃がした少年が、その直後どのように射殺されたのかは、なぜか報道されない。


■近況■

『鉛筆代わりのパソコン術』(サイビズ・1800円)ついに出版。一太郎やワードの重さに辟易しているWINDOWSユーザーへの福音書。付属CD-ROMには、わがKAMUNAの演奏や、タヌパック特製の画像・音声データなども満載。まさに福袋のような本なのだ。




クイズ・これは なんでしょう?




「なんなの?」
「――――と思って」
「そんなことない」
「でも、――だし」
「そんなの――だと思うな」
「――ていうか、――したり、――だったり、ひどいと思う」
「いいさ」
「よくない」
「分かった」
「冗談じゃない。そんなのよくない」
「――ごめん――分からない」
「なんなの?」
「だから、そんなの――だし、――だし、――だけれど」
「ちょっと待って。それって――じゃない?」
「うん、――だと思う」
 ……さて、これはなんでしょう? まあ、見ている人は分かりますね。そう、『ふぞろいの林檎たちIV』(TBS)の中の台詞パターンですね。
 どの登場人物もすべてこうしたしゃべり方。「思うわ」や「思うぜ」ではなく「――だと思う」のように言い切る。年齢も性別も関係ない。三十代の婦長さんも、二十歳の女子大生も、中堅営業マンも、運送会社の課長も、ラーメン屋のおかみさんも、みーんなこう喋る。しっかし、看護婦さんが末期の入院患者(年上)にまでこう喋るか?
 ある作家さんは「台詞のワンパターンと展開の遅さは山田太一だから仕方がないと諦めている。それでも他のドラマに比べればマシだからついつい見てしまう」と言っていましたが、やっぱりみんな同じ気持ちなのね。
 そんな中で、唯一他と違う台詞回しができる佐々木すみゑはさすがだなあ。


■近況■

『鉛筆代わりのパソコン術』(サイビズ・1800円)好評発売中。一太郎やワードの重さに辟易しているWINDOWSユーザーへの福音書。なんと、3000円のシェアウェアQXエディタが正規ライセンス付きで収録されているのだ! お得だこと。




ちっとも解決にな らない怪傑熟女




『怪傑熟女!心配ご無用』(TBS系)という番組がある。野村沙知代や奈美悦子らが寄ってたかって人の不幸をかき回すという、変な「人生相談」番組である。
 例えば、鬼のような実母につきまとわれ、人生がぼろぼろになっているという青年が登場したときがある。幼少時には殺されかけ、大人になってからは収入を全部むしり取られる。勤め先に乗り込んできてわめき散らすので、それまで築き上げた会社内での信頼もぶち壊される。引っ越ししても調べ出してつきまとう。どうすればいいかという相談。
 これに対して「正社員になろうとするから住民票が必要になるんでしょう? アルバイトなら住民票いらないから住所を調べ出されることもないんじゃないの?」と言ったのがかのスワローズ監督夫人。
「え? 正社員じゃないと賃金や福利厚生の点で不利? 本当に母親から逃げたいと思っているならそれくらい我慢しなさいよ」……って、どういう発想なんだよ、それ。
 周りのおばさん連中も野村氏の毒気に当てられ、「そうよね」なんて同調する始末。で、そのまま「頑張りなさい」なんて言われておしまい。
 後味が悪すぎる。野村沙知代が滅茶苦茶を言うキャラクターとして起用されているのは計算済みなのだろうが、相談者が真面目なだけにそのズレに救いがない。出口がない。カタルシスが得られない。いっそ正論を吐く男を入れ、対決させたらどうだ。そんな強い男性タレントはいないか……。あー救いがない。





酒鬼薔薇より怖い?! メディアヒステリー




 これを書いている六月十七日現在、「酒鬼薔薇聖斗」はまだ捕まっていない。あれだけの証拠を残しながら捕まらないというのは、残した証拠はすべて犯人が近所の人間であるかのように見せかけた偽装で、実は神戸の外にいるんじゃないか……などという下手な推理は恥の元だからやめておこう。
 気になるのはそうした推理を次から次へと組み立てたがるワイドショー報道だ。心理学者やら犯罪学者なる人物が連日出てきて「追伸の代わりにpsというのを使うのは若い世代だ」「自然の性(さが)というような言葉は三十代以下の若い人は使わない」とか、「犯人は恐らく本ばかり読んで社交性のない人間」とか、勝手なことばかり言っている。psなんて七十の老人だって使うし、耽美系のジュニアノベルズなんかには「自然の性」どころか、読めない難しい漢字や熟語がいっぱい出てくる。「ゲームの始まりです」が、なんとかっていうロックの歌詞に出てくるというような話にしても、そんなの台詞としては陳腐すぎるし、出典の特定なんて意味がないでしょが。
 ましてや、作家にとってお客様である「本を読む人間」を危険視するような言い方は言語道断だよなあ。
 怖いのは、誰かがそういうことを言うと、報道がそれを繰り返し、いつしか事実のように伝達されていくこと。
 そういえば宮崎勤事件のときも、「犯人は子供を産めない女性」なんて言っていた推理作家がいたなあ。その後も平気で出てきてたけど。




「少年A」が自供せねば まだ未解決かも?




 狭いスペースで書くのは危険すぎる酒鬼薔薇事件だが、疑問点を列挙。
●凶器の同定すらまともに報告できなかった最初の警察記者会見。なぜ被害者の少年宅を番地まで言うのだろう。
●メディアは「戦慄の動機は何か?」「中学三年生をここまで追い込んだものは?」なんて騒いでいるけれど、そういう反応こそ彼の「ゲーム」の相手をすることではないか。先生に「卒業するまで学校に来なくていい」と言われたから学校を恨んで……なんていう報道も慎んだらどうか。この教師も被害者の一人だ。
●結局、謎は何もなかったのだ。彼が「挑戦状」に書いたとおり。彼は殺しが好きで好きでたまらない「性」を持っている。気質の問題。それを言わず、教育がどうのホラービデオがどうのと訳知り顔で語る連中にはもううんざり。
●挑戦状に書いてあったマークは彼が仲間内で使っていたものだという。数日前には猫の惨殺死体を同じ校門前に置いたという。非公開とされた挑戦状の文字は、なんのことはない典型的な子供っぽいフリーハンド文字。
●これだけ稚拙で、ストレートで、「謎のない」事件が、一か月も解明できなかったということのほうが戦慄だ。
●解明を遅らせたのは、善良なる市民の思い込み情報と、それを反復し、増幅させたマスコミと、未だにあの稚拙な文章を「とても子供とは思えない」などと評するめでたい学者と、真っ先に猫殺し少年に注目しなかった人間観察力のない警察ではないのかな。

■近況■

町中で変な男に遭遇し、車をぼこぼこに蹴られた。修理代15万円。その話をKAMUNAの相方にしたら、駐車場でいきなりドア越しにナイフで刺され、大怪我した友人がいるという。常識では考えられない人間はいるのだなあ。怪我がないだけよかったと思うしかないか。



KAMUNAの初アルバム↓


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