2023/06/22
スクナヒコナ
少彦名命(スクナヒコナ)。少名比古那神(スクナビコナノカミ)とも呼ばれ、大国主(オオクニヌシ)と一緒に日本の国作りをしたという小さな神様。
お袋(人形作家・鐸木能子)がまだ雛人形を始める前、いろいろな作風を模索していたときの傑作。
持ち主様から修繕の依頼があり、本日我が家に入場。
草の実の蔓に埋め込んだ針金が錆びて、手などが内側から壊れてしまっている。
助手さん曰く「針金は絶対使っちゃダメなのよね。使うならアルミかステンレスのにしないと経年劣化でこうなっちゃう。お義母さんはこの頃まだいろいろ試している時期で、気づかなかったのね」
……というわけで、錆が体内に入り込んでいるので、相当困難な修繕になりそう。少なくとも手と蔓は作り直しになる。
お袋の一番弟子のOさんの話では、髙島屋で個展をやったときに出品した作品の1つだという。
私もこれは見た記憶がうっすらある。
首飾りとか、オレンジ色の飾り部分とか、ものすごく細かい細工になっている。オタクの極致みたいな。
アート性という意味では、後に作る十二単の木目込み雛人形(日本初)などよりも上だと思う。
蔓が二本あったように見えるので、もしかすると、この草の実?の横に、緑色の葉っぱが添えられていたような気もする。その蔓が腐食して葉っぱはごっそり紛失したのかもしれない。
小さな神様なので、この大きさ。これがまた修理を難しくさせている。
両手は作り直し。額に傷もあったので、これもうまく直せるかどうか……。下手に埋めようとするとかえって目立つ恐れが大きいので、これはこのままかな。
錆がすごいので、まずはこれをできるだけ取り除かないといけない
しかし、細かいところまで作り込んでいるなあ。
木目込み技法は人間国宝・平田郷陽の孫弟子として学んだもの。その後、紙塑人形の鹿児島寿蔵や彫刻家の圓鍔勝三(どちらも人間国宝)にも押しかけて教えを請うていた。
とにかく押しが強い人だった。
亡くなる数か月前だっただろうか、電話をかけてきて「人間、死ぬ前ってこういう感じなのね。でも、私はいい人生だったと思うわ。そう思うでしょ?」と訊かれたので、「そりゃそうでしょ」と答えたのを思い出す。
自己中心で、自信家で、いわゆる良妻賢母というタイプとは対極の人だったから、子供を育てるのには向いていなかった。
私の実父とは私が4歳くらいのときに離婚している。実父もまた、家庭人としては大失格の人だった。
そんな二人の血を引く私は、絶対に子供を作らないと決めていた。自分のことで精一杯で、子供も自分も不幸になると確信していたから。
それに関しては正しい選択だったと思っている。
話が逸れたが、お袋のこの作品は、アートとしてはお袋の全盛期のものだったと思う。
その後、商品としての価値を求めて雛人形に傾注していったが、初期の彫刻もどきの日展出品作と、独自の雛人形に専念するちょうど間の過渡期に作っていた数少ない日本の古典を題材にした作品の一つ。
1998年以降亡くなる2008年まで、毎年日本橋髙島屋で雛人形を展示発表していたが、それ以前のお袋の個展は、
- 1984年 横浜高島屋美術画廊にて第一回個展
- 1993年 高島屋東京店(日本橋)美術画廊にて第二回個展
- 1998年 高島屋東京店(日本橋)美術画廊にて第三回個展
……と、1984年、1993年、1998年の3回開いている。
これは1984年のときの出品作だろうか。だとすれば、およそ40年前、お袋が50代半ばのときの作品。人形作家・大谷鳩枝氏(人間国宝・平田郷陽氏直弟子、陽門会会員)に弟子入りして人形作家を目指してからおよそ20年後。
当時、私はお袋の人形についてはまったくと言っていいほど関心がなかったのだが、歳を取って自分の創作人生を振り返っている今は、お袋も頑張ったなあと、素直に評価している。
供養として、うまく修復できるといいのだが……。
……って、あたしがやるわけじゃなくて、大変なのは助手さんなんだけどね。
頑張ってね~。