2022/12/11
冬の先に待っているものは?
年末状をまだ作っていない。
どうにも気が向かないのだ。
文面がね……当たり障りのないことを書くしかないわけで、そんな葉書を高い金をかけて出すという行為に気持ちが乗らない。
生存証明という意味合いしかないのだが、まぁ、その意味合いが今までよりずっと重みを持っていることは確かではある。
こんなことを書くとなんなんだけれど(……なんなんだ、って、なんなんだよ?)、『マイルド・サバイバー』を書いていた6月頃は、秋には相当滅茶苦茶な世の中になっているだろうと予想していた。その予想よりはかなり緩やかな?変化で、日本はまだなんとかなっている。
多くの人は大変だ大変だと言いながらも、無事に正月を迎えるに違いない。
しかし、急激に変化しないことで、今もまだ瞞され続けている人が大多数だ。それっていいのか悪いのか……。
深く考える暇もないまま、暮らしが苦しくなり、少しずつ周囲から人が消えていき、異常を異常と感じなくなっていく社会。
そうした催眠術にかけられたような変化は、パニックになって大暴動が起きたりするよりは「いい」変化なのだろうか。
テレビはもちろん、ネットのニュースサイトも役に立たない、というか、害毒でしかなくなってしまった今の状況では、世の中で何が起きているのかという基本的な情報さえ、報道ではなく、個人レベルの発信を探すしかない。そんなことをできるのはある程度時間があり、精神力も強い人に限られるだろう。
個人の発信といえば、
最近⇒この人に感心しきり 。
若いのにすごいな。
若いから脳も柔軟で働きも盛んなのだろうけれど、自分がこの人の年代の頃を思うと、驚くしかない。時代のせい、ということもあるのかな。
自分は所詮、大きな大きな意識体から枝分かれした1つの観測体でしかありません。
↑
こういう視点を、私はごく最近になって持ち始めているというのに、この人はすでにその境地に入っている。
肉体が所属している世界(現世、物理世界)が自分の理解を超えて異常な状態だと知るにつけ、唯物論的世界観は持ち得なくなる。
「観測体」という言葉は言い得て妙だ。
量子は観測されているときといないときでは動きが変わるという。あらゆる物体は量子の集合体なのだから、観測体の数だけ違う世界が存在していて、それらが一瞬一瞬で重なり合っているのが、その観測体にとっての「世界」なのではないか。
この世界は、自分の意識が、脳を含めた肉体に縛られている時間にだけ存在している映画のようなもの。しかも、無数のシナリオ分岐がある映画。
そんな世界を唯一無二の世界だと思うほうが無理がある。
観測体である「意識」は肉体の支配が消えた段階で、もっと大きく、深い世界に戻っていく のだと思う。
67歳の私という観測体が感じている「世界」は、そうした、言葉ではなかなか言い表せない世界だ。
そんなことを、葉書の中に書き込めるはずもないし、書いたとしても「あの人もとうとう危ない世界に行ってしまったか」と思われ、距離を置かれるのがオチだろう。
端的に言えば、私は「現世」にどんどん興味を失っている。
いや、興味の方向が「この世界がどうなっていくのか」という野次馬的な興味に堕してしまっている。
単なる野次馬として老いて死んでいくのも情けないので、
自分という観客に向けて芸を披露する芸人としての技能を磨く ことで、最低限の存在意義(現世でのプライド?)を見出そうとしている。
2022/12/12
結局作ったのだわ 年末状
悩みつつも、年末状を作成し、印刷所に入稿した。
両面カラー印刷で約2000円。印刷代というのは昔に比べて本当に安くなったが、この価格が今後も続くとは思えない。インク代、紙代、送料……あらゆるものが上がる一方だから、削られるのは労働力に対する金だろう。たまったもんじゃないね。
2022/12/13
印刷所から「ご注文いただきました商品が出来上がり、本日発送いたしました」というメールが届いた。出荷予定日より6日も早い。
↑このメールが来たのが昨日の17:15
↑翌日(今日)の16:38にはヤマトの京都法人営業支店というところから発送されていた
2022/12/14
14日の午前中に届いた
……凄いな。印刷所も運送会社も24時間フル稼働か。これで送料込みで2000円……。心配になるのを通り越して、もはや怖いくらいだ。
クリスマスが近いので
こんな話のままでは消化が悪いだろうということで、クリスマスが近いので4年前のウクレレ動画でもどうぞ。
VIDEO
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Jane Jane という曲を初めて聴いたのは中二の秋だった。
1969年。今から50年以上前だわね。
文化祭の閉会式前、1200人入る講堂に生徒と一部の来客が集まっている中、卒業生3人組が飛び入りでミニ演奏会を行った。
「オフコース」と名乗ったそのフォークバンドは、鈴木康博(当時、東工大4年生)、小田和正、地主道夫(共に東北大4年生)の3人で、聖光学院の3期生(ちなみに私は11期生で、彼らの8年後輩)。
YAMAHAのライトミュージックコンテスト全国大会で2位になった「凱旋」とのことだった。
そのときは彼らがピーター、ポール&マリーのコピーをしていたことも知らなかった。PP&Mより前にオフコースの演奏で『ア・ソーリン』も『ジェーンジェーン』も知ったのだった。
あのとき中学2年生だった私は今は67歳。数年前、親を預けた小さな介護ホームに頼まれてウクレレ教室もどきをやらされ、生まれて初めてウクレレという楽器を弾いた。ギターとは勝手が違うが、ウクレレでPPMをやるとどういうことになるんだろうという実験をしてみたのがこれ。
元歌はいわゆる「黒人霊歌」というジャンルのものやイギリスの民謡というか古謡というか。それをPPMが見事にアレンジした名作。
老人になって、中学生の頃に練習した曲をまた演奏してみるというのは、歳をとって子供に戻る、という一例かな。
で、このウクレレのJane Janeを見ながらふと思った。
このとき「ウクレレベース弾きに来ないか?」と誘ったヨッシーは30代。あたしはすでに還暦超えの60代。
あれから4年経ったわけだが、この4年の時間の流れが、30代と60代ではまったく違うはず。
あたしにとってこの4年前はつい先週にあったことのように感じるけれど、ヨッシーは「昔のこと」と感じているかもしれない。
時間の流れ、共有している世界が、同じようでいて違う。
これもまた
「世界は多重構造」 ということかな。
物理世界は一つではなく、脳が認識する数だけある。その膨大な数の世界が幾通りにも重なり合う世界がまたある。人間の脳にはなかなか理解できないような、いわば無限の多重構造になっているんじゃないか……
(「ぷちぷちサミット第5回 正気を保つための「多次元世界観」 より)