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のぼみ~日記 2020

2020/10/06

八幡宮(藤岡町中根)の狛犬


さて、次は小山市下生井の愛宕神社が目的地なのだが、向かう途中、道沿いに神社が見えたので寄ってみた。

こんな感じの狛犬。



吽像の顔が柔和な感じでいいね。



昭和3(1928)年生まれということは、亡くなった両親と同い年か。

愛宕神社(小山市下生井)の狛犬

さて、愛宕神社。住所は下生井1461なのだが、番地をナビに入れても出てこなくて、ちょっと苦労した。地図で確かめると、下生井小学校のそば。小学校を目当てに行って、ようやくたどり着いた。田圃の中の鎮守様という感じ。




情けない顔の狛犬。


阿像の裏側は、削り忘れたんじゃないの? というくらい雑だが、劣化してこうなったんじゃないよね?



吽像の裏はわりときれいなので、なんで阿像だけ? やっぱり劣化?



石工 阿萑翁鐫。この字、どっかで見たな。大前神社の天保の狛犬にあった「萑翁鐫」と同じか?
大前神社の入り口にいる天保4年の狛犬の石工名。頭に一文字ついているかいないかの違いだから、同じ人物? 確かに顔は似ている。


大前神社の天保4(1833)年よりはきれいな顔をしているかな?


脚は大前神社の狛犬より細くてスラッとしている。


吽像は顔の左耳のあたりが少し欠けてしまっている。




阿像も右耳あたりが削れてしまったかな。







天保の乙未は天保6(1835)年だ。大前神社の狛犬と同じ石工が彫ったのなら、2年後。2年でだいぶ腕を上げたのか?
これは間違いなく地元の石工の作だろう。わざわざ江戸からこういう狛犬を運んできたとは思えない。
人面狛犬というか、世の中苦悩だらけだという困った顔をしている。こんな顔で悩み続けて200年近く生きてきたんだねえ。


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