今年の箱根駅伝は超高速レースとなり、なんと全10区のうち7区間で区間新記録が出た。
- 2区:相沢晃(東洋大)1時間05分57秒
- 3区:イエゴン・ヴィンセント(東京国際大)59分25秒
- 4区:吉田祐也(青学大)1時間00分30秒
- 5区:宮下隼人(東洋大)1時間10分25秒
- 6区:館澤亨次(東海大学)57分17秒
- 7区:阿部弘輝(明治大学)1時間01分40秒
- 10区:嶋津雄大(創価大学)1時間08分40秒
新記録が出なかった区間も、
- 1区:米満 怜(創価大4年) 1時間01分13秒 ⇒2007年に佐藤悠基(東海大)が出した1時間01分06秒に7秒及ばず
- 8区:小松 陽平(東海大4年) 1時間04分24秒 ⇒昨年自身が出した1時間03分50秒に34秒及ばず
- 9区:神林 勇太(青山学院大3年) 1時間08分13秒 ⇒2008年に篠藤淳が出した1時間08分1秒に12秒及ばず
……と、惜しい記録ばかり。
Y・ヴィンセント(東京国際大1年)の区間新記録は驚異的
メディアでは2区相澤が不滅の記録と思われていたモグス(山梨学院大)の1時間06分4秒(2009年)を破って1時間5分台に突入したことや、その相澤が去年作って、自分でも「20年は破られないと思った」という4区の区間記録1時間00分54秒を、青学の「4年生で初めての箱根。これがラストラン」の吉田が打ち破ったこと、故障上がりの東海大主将・舘澤が去年の青学・小野田の区間記録を40秒上回る劇走で区間新を打ち立てたことなどを大々的に報じるが、なんといっても最大の驚きは3区イエゴン・ヴィンセントの59分25秒というとてつもない記録である。
3区は21.4km。今までの区間記録は去年青学の森田歩希が打ち立てた1時間1分26秒で、これも実は凄い記録なのだが、ヴィンセントはこれを2分も縮めたのだ。
(ちなみに国士舘大学にもライモイ・ヴィンセントという2年生の留学生ランナーがいて、今回も途中で靴紐を結びなおすために止まるというアクシデントがありながら2区を1時間06分46秒の4位で走った。靴紐が解けなければ相澤に次ぐ区間2位くらいになっていたかもしれない)
これがどのくらいとんでもない記録かを説明したい。
3区の21.4kmというのは、ハーフマラソン(21.0975km)に302mと50cm追加した距離である。つまり、ハーフマラソンのゴールを駆け抜けてあと302m先に中継所があるわけだ。
今回、ヴィンセントがハーフマラソンのゴール位置である中継所の302m手前の地点をどのくらいのタイムで走り抜けていたのかを計算すると、58分34秒である。
では、ハーフマラソンの世界記録は今どうなっているのかと調べると、
↑こうなっている。
58分34秒は世界記録に33秒差。歴代4位とほぼ同記録なのだ。当然、今回のヴィンセントの走りがハーフマラソンのレースであったらゴール前のスパートなどもあるだろうから、もう少しタイムは縮まっていただろう。
ちなみに、ハーフマラソンの日本記録は設楽悠太の1時間00分17秒で、2017年9月16日にチェコの大会で出した。1時間を切る選手は未だに出ていない。
国内最高は箱根の2区区間記録保持者でもあった山梨学院大のモグスが2007年2月4日に丸亀ハーフマラソンで打ち立てた59分48秒という記録がある。
モグスが日本の学生陸上界でいかに飛び抜けた存在だったかを改めて知ることができるが、今回のヴィンセントはそれをあっさり超えてしまったのだ。
しかも……である。
ヴィンセントはケニア出身の19歳。来日してまだ9か月。日本語はまったく理解できない。しかし、日本に来ていちばん困ったのは「路面が舗装されていて硬い」ことだそうで、土の上ばかり走っていた彼にとって、アスファルト舗装の上を走るのは苦痛だったという。
いやもう、なんでしょね、この人は。
ケニアには長距離選手としてとてつもない逸材がゴロゴロしているのは周知のことなのだが、この人を東京国際大はどうやって見つけて、どうやって呼び寄せたのだろうか。それを知りたい。
東京国際大にはすでに仙台育英高校OBのルカ・ムセンビという同じケニア出身の留学生選手がいる。ムセンビも5000mを13分台で走る世界レベルの選手である。もし「留学生枠は一人」という制約がない駅伝レースがあれば、ムセンビ、ヴィンセント、伊藤達彦という3人を擁する東京国際大学チームに勝つのは極めて難しい。
ムセンビは今の大学陸上長距離界のトップランナーの一人であるにもかかわらず、しばらくは駅伝には出られず、ヴィンセントの通訳に徹することになりそうだが、それも可哀想なことだ。
かつてのゲディオンと重ねてしまう
ヴィンセントの今後はとても楽しみであると同時に、心配でもある。
かつて、同じように日本語がまったく喋れないまま日本にやってきた
ガトゥニ・ゲディオンというケニア、マサイ族出身のすごい選手がいた。
彼のすごさに感心して、
2007年1月には⇒コラムまで書いている。
今読み返してみると、こんなことを書いていた。
元旦のニューイヤー駅伝では、ゲディオンは3区(11.8km)に登場。
この駅伝の勝負区間は、最長区間の2区(22km)と、2番目に長く、登り坂もある5区(15.9km)なのだが、外国人選手はこの2区と5区には出場できないというルールがある。(どういうもんなのかなあ、このルール>日本実業団陸上競技連合)
ちなみに、日清食品には、ゲディオンの先輩にあたるジュリアス・ギタヒという、これまた速い選手(1万メートル27分11秒17、ハーフマラソン1時間01分33秒)がいるのだが、「外国人選手は一人しか出場できない」というルールのため、ゲディオンがチームに入ってからは駅伝の出番がない。
もし、ギタヒとゲディオンが2区と5区を走っていたら、日清食品はブッチ切りで優勝してしまうから、確かにレース全体としては面白くなくなるのだろうが……。
で、ゲディオンはこの3区11.8kmを30分43秒で走った。
11.8kmを30分43秒ということは、平均速度を割り出すと秒速6.4m。10kmに直すと1562秒だから、なな、なんと、26分2秒なのである。
ちなみにトラック1万メートルの世界記録は、エチオピアのベケレ選手が2005年に出した26分17秒53。ゲディオンはこの世界記録よりも15秒以上も速く10kmを駆け抜けたわけである。
ニューイヤー駅伝の3区は下り勾配なので、平らなトラックをぐるぐる回る1万メートルと同じ条件ではないが、競る相手がいなくてこのタイムなら、競ったら当然もっと速く走っていただろう。それを考えても、やはり驚異的なタイムだ。
元旦のゲディオンは、かつて30度を超す猛暑の1998年のアジア大会(バンコク)マラソンを2時間21分47秒で独走したときの高橋尚子と同じくらいものすごいことをしでかしたのだが、メディアはほとんど注目しなかった。なぜなら、日清食品は、ゲディオンが築いたリードを保てず、ズルズルと後退して3位になってしまったから。
お正月のニュースとしては、尻すぼみというのは扱いにくい。それと、駅伝ではどうしても個人記録には目が向けられないということもあるのだろう。さらには、やはりゲディオンが日本人選手ではないから……なのだろうな。了見が狭いね。
(たくき よしみつのデジタルストレス王 251回「ライオン戦士ゲディオン」より)
日清食品に所属してしばらく駅伝やハーフマラソン、クロスカントリーレースなどに出場してそれなりの成績を残した。
特に2009年の活躍はめざましく、
- リスボンハーフマラソン 4位 1時間00分06秒
- 第52回札幌国際ハーフマラソン 優勝 1時間00分39秒
- 第57回全日本実業団対抗陸上選手権 10000m 優勝 27分29秒08
- 第57回全日本実業団対抗陸上選手権 5000m 4位 13分18秒63
- 第50回東日本実業団対抗駅伝 3区 9.5km 区間賞 26分40秒
- 2009名古屋ハーフマラソン 優勝 59分50秒 大会新記録で前年に続き二連覇
……と、世界レベルの実力を示したが、その後は故障などもあり、ひっそりと母国ケニアに戻り、警察官になったらしい。
ゲディオンを記憶している日本人がどれだけいるだろうか。陸上ファンを自称している人でさえ、意外と記憶にないのではなかろうか。
日本にいたのは短かったが、日本語が喋れないまま(英語も怪しい)でほとんど誰ともコミュニケーションできず、孤独だったのだろうなと思う。
実際、ゲディオンの笑顔というのを一度も見たことがない。たまにテレビに映し出される表情も、常に暗かった。
ヴィンセントがゲディオンのような孤独を味あわないでくれるといいなあ、と切に願う。
あと、東京国際大でエディオンの陰に隠れる存在になってしまいそうなルカ・ムセンビ選手、かなりの成績なのに今回はまったく話題に上らなかった国士舘大のライモイ・ヴィンセント選手にも注目し、応援したい。
ヴィンセントは今後はイエゴン、ライモイって、名前のほうで呼ばないといけないな。ゴンちゃんライちゃんでいいか。