『神の鑿』小説版を執筆し始めている。
上中下の3巻構成で、まずは上巻・小松利平編に着手したのだが、高遠石工のことを調べていくうちに、江戸末期の政治経済や民衆の暮らし、信州エリアの飢饉や一揆、石仏や庚申講のことなどなど、実に様々なことを知ることになり、準備ばかりでなかなか筆が進まない。
若いときは1日30枚(400字詰め換算)書くこともあったが、この感じだとせいぜい月に50枚ペースかもしれない。
でも、60年以上生きてきてまったく知らなかったことが次々に出てくるのは楽しい(と思えるようになった)。
石仏、というか、仏像全般について、今まではほとんど興味が持てなかったのだが、高遠石工のことを調べていくうちに知らないでは済まされなくなり、遅ればせながらお勉強している。
例えば上の写真はライチェルを連れてお散歩中に道端の石仏を撮ったもの。ここにこういうものがあるということはずっと前から(レオとのお散歩のときから)知っていたが、これがどんな種類の石仏で、いつ頃のものかなどは調べようとしなかった。石仏があるなあ……ずいぶん摩耗しているなあ……でおしまい。
改めてよく見ると、首をかしげた「半跏思惟像」というポーズのものだ。
半跏思惟像で有名なのは、
広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像(1952年11月 国宝指定) と、
中宮寺の木造菩薩半跏像(1951年6月 国宝指定)
の2体。
広隆寺の弥勒菩薩半跏像
中宮寺の菩薩半跏像
広隆寺のほうは弥勒菩薩となっているが、寺では「如意輪観音」と伝えられているという。また、中宮寺のも、以前は弥勒菩薩だとされていた時期もあり、現在はどちらともいえないとぼかして「菩薩半跏像」としているらしい。
そのくらい、半跏思惟像が弥勒菩薩なのか如意輪観音なのかは区別が難しいらしい。
弥勒菩薩:梵名「マイトレーヤ(慈しみ)」。
ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。(Wikiより)
如意輪観音:梵名「チンターマニチャクラ(チンターマニ=如意宝珠、チャクラ=法輪)」
如意宝珠の三昧(定)に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。如意宝珠とは全ての願いを叶えるものであり、法輪は元来古代インドの武器であったチャクラムが転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。六観音の役割では天上界を摂化するという。
如意輪観音像は、原則としてすべて坐像または半跏像で、立像はまず見かけない。片膝を立てて座る六臂の像が多いが、これとは全く像容の異なる二臂の半跏像もある。六臂像は6本の手のうちの2本に、尊名の由来である如意宝珠と法輪とを持っている。
(Wikiより)
「如意宝珠」は、思うままに智慧や富や幸福をもたらすという珠。「法輪」は煩悩を打ち砕く輪。その2つを手に持っているので如意輪観音。……なるほど。腕は基本は6本。バリエーションとして2本や12本なんていうのもあるらしいが、6本を自然に(?)配置するなんていうのは相当難しいだろうなあ。
大阪・観心寺 木造如意輪観音坐像(国宝)
確かに腕が6本で、宝珠と法輪を持っている。
(以上、国宝の仏像写真はすべてWiki Commonsより)
享保20(1735年)年といえば284年前。300年近い昔、このへんに在住していた女性たちが作る十九夜講(安産や子育て、子供の健康を祈願する、女性の集まり)の14人が金を出し合って石工に彫らせたのだろう。地元の石工なのか、高遠などから来た旅石工なのかは分からないが、当時の空気感というか、世界観、風俗を想像する材料ではある。
石はすごいな、と改めて思う。