『ポツンと一軒家』という番組を欠かさず録画して見ている。レギュラー化される前、というか、最初の放送のときからずっと見ている。
ヤラセが少なそうないい番組なのだが、毎回気になるのは、ロケスタッフが現地で見かけた初対面の中高年(ほとんどは70代以上)にいきなり「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけることだ。なんとも気持ちが悪い。
一人くらい「俺はおめえの父親じゃねえよ」と切り返す人がいないものだろうか。あたしがもし呼びかけられたらそう答えるな。
しかし、考えてみると、こういうときに使える適当な二人称が日本語には存在していないのだね。
「あなた」では言われたほうも見ているほうも違和感がある。そこがどんな場合でも you で済んでしまう英語とはまったく違うところだ。
あなた、きみ、おまえ、おぬし、きさま、じぶん(関西でよく使う二人称の「じぶん」)、てめえ……あと、どんな二人称があったかな。
日本語以外の言語を知らないので自信はないが、日本語のように人称代名詞がいっぱいあるのに、万能な二人称がない言語ってあるのだろうか。
千鳥がやっているテレビCMで、大胡が「きさまは?」と訊き、ノブが「きさま!?」って返すところで終わるのがあるが、「きさま」を漢字で書けば「貴様」で、
もと尊称の代名詞。のち、口頭語として一般化し、江戸時代後期以降は、同等またはそれ以下の者に対して用いる。(精選版 日本国語大辞典)
目上の者に対して、尊敬の意を含めて用いる。中世末から近世初期へかけて、武家の書簡などで二人称の代名詞として用いられた。その後、一般語として男女ともに用いるようになったが、近世後期には待遇価値が下落し、その用法も現代とほぼ同じようになった。(大辞林第3版)
ということだ。
- 中世末から近世初期頃にかけて武家の書簡などで敬意をもって用いられた。
- 天保期(一八三〇‐四四)には、もっぱら目下の者に対して用いられるようになり、ののしりことばへと下落した。
(精選版 日本国語大辞典)
……という解説もあった。
ちなみに、今は目下の者にしか使わない「おまえ」も、江戸時代初期までは 「御前様」という位の高い貴人を敬う言葉として使われていたという。
さて、話をテレビのロケに戻すが、初めて声をかけた相手(明らかに自分より年上)が、「ああ、あの家は俺の兄貴の家だ」と答えたとき、「え? おとうさんのお兄さんなんですか?」とか返しているが、この「おとうさん」をどう替えたらいいのか?
- 「え? きみのお兄さんなんですか?」
- 「え? あなたのお兄さんなんですか?」
- 「え? おたくのお兄さんなんですか?」
- 「え? おぬしのお兄さんなんですか?」
- 「え? きさまのお兄さんなんですか?」
- 「え? きでんのお兄さんなんですか?」
3はギリギリOKの範囲かもしれないが、他はどれもNGだろう。
だから苦肉の策で「おとうさん」「おかあさん」が中高年に対しての万能な二人称のようになりつつある。
しかし、これは本当に気持ちが悪い。本来の意味からかけ離れているからだ。
これから超高齢化社会になる。しかも、一生独身で過ごす人も増えていくし、結婚しても子供を作らない、あるいは、ほしくてもできなかった夫婦もいる。
そういう人たちに向かっても一律「おとうさん」「おかあさん」と呼んでしまうのはいかがなものなのか。
となると、今からでも努力して万能二人称を形成する努力が日本語社会の中では必要なのかもしれない。
言葉は変化する。「貴様」「お前」がかつては尊敬語だったことを思えば、もう一度これらの二人称のランクを戻すことは可能か?
思えば、僕らの世代は「ヤバい」が悪い意味でしか使われなかった時代に生まれ育ちながら、今はいい意味どころか最上級の褒め言葉としても使われる万能性を持つにいたるまでの経過をリアルタイムで経験した世代だ。
それを考えると、案外20年後には「きさま」や「おぬし」が万能な二人称になっているかもしれない。
さらに数十年後には、教科書や辞書の解説にこんなことが書かれているかもしれない。
【きさま】(貴様)
最も一般的に用いられる二人称。
中世末から近世中期までは尊敬の意を含んでいたが、江戸末期から次第に尊敬の意味が薄れ、平成時代には罵りや悪意を込めた蔑称として使われるほどになった。その後、徐々に上下関係や感情を込めない普通の呼びかけの二人称になり、現在に到る。一説には大阪出身の人気漫才コンビが出演したテレビCMが変化のきっかけになったともいわれている。