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のぼみ~日記2018


2018/11/11

日光移住7周年記念日


左側の壁の傷はもちろんのぼみ~の仕業
……

2011年11月11日。1が6つ並ぶこの日、僕らは川内村から日光に引っ越しした。
あれからまる7年経過。早いなあ。ほんっとに早い。

そんなときに、今年も円丈師匠から手拭いが届いた。毎年この時期になると2本届く。今年は添えられていた挨拶状(印刷)も手紙(手書き)も例年より長文だった。
この足立六町に住んで32年、その家が、区画整理で2019年春に引っ越しになりました。その32年間で愛犬4頭を飼いました。
……こう始まるあいさつ文には、初代から3代続いた愛犬ロッキー(3代目は平仮名で「ろっきぃ」)と、4頭目となった野良犬ミッキーのことが紹介されている。
ろっきぃ達と暮らした日々はホントに幸せでした。もし、次の世があったら、必ずまた一生に暮らそうね。ありがとう。


先日、近所の犬・レオを見送ったばかりだったので、なんともじんときた。僕も、死んだらレオと腹を割って話ができるのかなあ、なんて思いながら見送った。人間と犬という肉体の違いによる壁が、死んだら取っ払われるんじゃないか……というようなイメージ。

便箋3枚にわたる手紙のほうはさらに心に残った。
それから、たくきさんは「人生死んだ後が勝負」だそうですが、私は死んだときが勝負です。
死んだとき、自分が自分をどう評価するか。
それだけです。他人など関係ありません。自分を評価するのは自分だけです。
今生がダメならネクスト! 私は、なんとなく来世とか、リンネを信じています。


これは僕の今の心境とほぼ同じだ。
僕は「人生死んだ後が勝負」というスローガンを完全に捨てたわけではないが、少しずつ修整している。
自分が生きている間は無理だけれど、死んだ後、100年後とかに誰かが僕の作品を発掘してくれるかもしれないという気持ちで何かを残そうとしているわけだが、そんな今の生き方は、やはり煩悩まみれで、解脱していないなあと思う。
でも、な~~んにも気持ちの拠り所がないままに創作を続けられるほど強くはない。
この世に何も残らなくてもいい。「この世」も残らなくてもいい。この世なんて、きっと蜃気楼のようなものなのだ。「この世」にこだわることはない。
そんな蜃気楼のような「この世」に生きる残りわずかの時間で、デジタルな道具で音楽を録音しているのは、形が残らなくても、自分という世界、自分という小宇宙に存在する価値に従っているのだ……というような、もはや滅茶苦茶な思いこみというか、動機づけ。

ただ漫然とこのまま死を迎えるのは怖い。いや、怖いというよりも、それこそ自分を否定する生き方だと思う。……と、これがまさに煩悩なのかもしれないが……。

脳も含めた肉体が達成する能力が落ちていくことは避けられない。それでも、積み重ねてきた技術や経験で、時間をかけて諦めずに作業すれば、それなりの作品に仕上がるのではないか……と、どんどん低下する気力を奮い起こさせつつ、あがいている。

丸くなりながらも自分を貫く円丈師匠の言葉に触れて、とても嬉しかった。
うん、負けずに続きましょうぞ。わたくしも。

三遊亭わん丈は化けるか?

「NHK落語新人大賞」決勝戦を見た。
6人出てきたが、前半3人と後半3人の実力差(というよりは才能の差)がはっきりしていて、芸の道は厳しいものだなと改めて思った。
後半3人は誰が優勝してもおかしくなかった。


小辰とわん丈の評価が分かれる↑↓




結果、こうなった↑


三遊亭わん丈は、名前からしてすぐに円丈さんの弟子だと分かった。「わん」はろっきぃの鳴き声から取ったのだろうか。
わん丈は20代の7年間、ロックバンドのヴォーカルをやっていたらしい。ロッカー……ロッキー……で、円丈さんはこの弟子に「わん」とつけたのかしら。だとしたら、とても可愛がられている弟子なのだろう。

Profileを見ると、円丈師匠に弟子入りしたのは3.11の直後、2011年4月。
器用な人であることはすぐに分かる。創作落語の怪人?円丈師匠に弟子入りしながら、やっているのは江戸古典落語というのが興味深い。

わん丈の後に登場した入船亭小辰は古典落語の教科書みたいな芸風だった。うまいのかもしれないが、あまりにも模範生的で、突き抜けた魅力を感じない。
最後に登場した桂三度は、「3の倍数と3が付く数字のときだけアホになります」で人気が出た「世界のナベアツ」。放送作家としても活躍していた彼が落語家をめざして桂三枝(現・文枝)に弟子入りしたのが3.11の直前の2011年3月2日だというから、わん丈が落語家をめざしたときとほぼ同時期だ。
ロックバンドのヴォーカルやテレビで売れたお笑い芸人という一見華やかな過去を捨てて、イチから落語家をめざしたという点でも似ている。
三度は3度目の正直どころか、今回が4度目の決勝進出だったが、小辰と同点1位となり、決選投票で1票差で優勝した。
「これが出発点だと思ってさらに精進する」と真面目な顔で語ったのが印象的だった。

わん丈は1982年12月生まれの35歳。三度は1969年8月生まれですでに49歳。三度のほうが1まわり以上年上なのだが、決勝戦での落ち着きかたや間のとり方などは、わん丈のほうが上だった。技術的にも小辰に負けていたとは全然思わない。
ここには映っていないが、審査員の桂文珍もわん丈には10点満点をつけていた(小辰には9点、三度には10点)。5人の審査員のうち3人が10点満点をつけたのはわん丈だけで、柳家権太楼が8.5点という低い点をつけなければわん丈が優勝していた可能性が高い。
(権太楼師匠と円丈師匠は仲が悪いのかしら?)

しかし、わん丈がこれから化けるかどうかは分からない。器用すぎて大成しないのかもしれない(と、僕がいうと信憑性がある?)。

とりあえず今回顔と名前を覚えたので(顔は正直いって印象が薄いのだが……)、円丈さんの弟子ということもあり、これからも注目していきたい。

レオが死んでしまい、愛車も手放し、僕も今が再出発の時期なのかな、なんて思いながら、散歩道で見た空

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↑エントロピー環境論を子どもから大人まで伝えたいという気持ちで書いた、これは私の「遺言」です。

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