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のぼみ~日記2018


2018/01/16

見本本届く



まだかなまだかな、と思っていたところに、ようやく見本本が届いた。何十回と読み直しているのに、また読み返す。何度でも読めるということは、内容的にはいいんだと思う。

朝のテレビは動かない


冬になると、毎朝、テレビをつけた直後はしばらくこんな感じ。液晶が凍りついたようになって映らない、動かない。10分くらいすると正常になるんだけれど、そんなんでいいのかね。いくら部屋の中が冷え込んでいるといっても、零下ってわけじゃない。
うちだけかと思ってググったら、同じ症状で困っている人たちが結構いっぱいいた。どれもREGZA。
うちではテレビはずっとREGZAだったが、もっと古いやつはこんなことにはならない。ある時期のREGZAがこうなるらしい。
このテレビ(42Z2)は日光に超してきてから買ったのだが、川崎の仕事場に置いてあったやつに比べて画面が汚くなったなと感じた。川崎の仕事場を処分して、そのテレビ(37Z2000)もこっちに持って来て、寝室に置いてあるのだが、やはり古いほうが画面はきれいだ。それに、部屋が冷え切ってもこんなことにはならない。
なんだかなあ……。

信越線閉じ込め事件に思う



雪で動けなくなった信越線の満員車内に400人以上が15時間以上閉じ込められたという「事件」は、なんとも憂鬱にさせてくれた。
止まるのはまあしょうがない(本当は、あんなところで動けなくなる前にすべきことはあったはずだが……)として、その後の対応があまりにひどい。
現場はどんな場所なのかとGoogleマップで確認したら、平坦な田園地帯だった。
線路のすぐ横を農道が走っていて、普通に車が行き来している車道にも農道が通じている。だからこそ、家族はすぐに車で駆けつけて、車輌のそばで「息子を降ろしてくれ。なんで降ろしてくれないの?」とJR職員とかけ合っているシーンなども放送されていた。
見るに見かねた自治体(三条市)がマイクロバスを出すと申し出ていたのに、JR側(JR東日本新潟支社)が「マイクロバスでは400人以上をいっぺんには運べない」と断っていた(!)ということも後に分かった
一方、ツイッターなどでは、閉じ込められた客の青年が、たった一人で雪かきしたり乗客の対応をしていた乗務員を「素晴らしい」と褒め称えたツイートがまたたくまに広まっていって、妙な美談仕立てになってしまった。
まっ暗な中、雪の上に乗客を降ろしたら危険だから、降ろさなかったJRの判断は正しい、という書き込みもたくさんあったようだが、そういうことを書いている人たちの多くは雪国を知らないのだろう。現地の人にとっては「この場所のどこが危険なの?」というような状況だった。
そもそもローカル線では無人駅が多く、悪天候の日は駅から自宅まで歩くのも、駅前に駐輪している自転車や二輪車で帰るのも無理だから、家族がクルマで迎えに行くのが普通のこと。実際、今回も列車が動き出したときには車内には百数十人しか残っておらず、他の約300人は迎えに来てずっと待っていた家族の車で帰った後だった。さんざん閉じ込めた挙げ句に家族からの抗議で乗客を降ろしていたわけで、乗客を降ろすこと自体には何の問題も生じていなかったのだ。
翌朝、ヘリやドローンからの映像で真っ白な風景が映し出されたのを見て「こんな場所に降ろせるはずはない」と言っている人もいたが、あれは雪国の普通の風景であって、特別なものでもなんでもない。そもそも、異常な降雪量とまでは言えなかったからこそ、JRの指令系統も高をくくって「最新型車輌だから大丈夫」と、先へ先へと走らせたわけだ。
すぐそばには集落があり、公民館もある。地形は平坦で、夜でも車のヘッドライトを向ければ足元は照らせるし、付近住民や自治体職員、消防団員などの協力を得れば、乗客を降ろして付近の建物や迎えに来た家族の車まで誘導することなどなんでもなかっただろう。

列車立ち往生現場から付近の集落公民館までの距離と位置関係



三条市はマイクロバスを出すと申し出ていたのに、JRが断っていた


これに関しては、元鉄道マンが実に適確な解説をしているブログがあったので紹介しておきたい。

近年、鉄道会社の多くは線路設備を守る保線や電気などの技術部門を子会社や関連会社に外注する傾向があります。国鉄時代は保線でいえば保線区本区を頂点に、保線支区や保線管理室などあらゆるところにきめ細かく保専職員を配置していました。残念ながら今では線路の保守を直轄で見ることは少なく、広域に区切られた保線技術センターのような部署があるのみです。
(略)
かくいう私も鉄道マン時代に何度か降雪時に出動しましたが、何とも言えぬ過酷さで寒さとの闘いでした。ですが、そうした鉄道技術者がいたからこそ、安全で安定した輸送を提供できたと思います。いまはそうした技術者も減ってしまい(熟練の技術者の年齢が上がり、定年などでの自然減もありますが、外注化によって意図的に削減していったことも考慮しなければなりません)、技術の継承もままならぬ時代です。施設指令と輸送指令の連携も難しいのではないかと想像しています。
(略)
最近まで、降雪時には「特雪」と呼ばれる除雪列車が走っていました。除雪装置を取り付けたディーゼル機関車で、列車として必要に応じて運転されていました。ところが、この方法では列車として運転するために、車両の整備も営業用車両と同じになり、免許を持った運転士を手配しなければならないなど、運用コストがかかるという欠点から徐々に淘汰されていき、簡便な免許を持つだけで運用が可能な除雪装置付の保守用車に取って代わられてしまいました
(略)
(しかし)保守用車は車両ではなく、あくまでも保線用機械なので列車として運転ができません。本線上を走行するには、線路閉鎖という手続きを行い、その区間に列車が進入しないように手配をしなければならないのです。(略)ある意味、ランニングコストだけを見て、必要な装備を削いでしまった結果だといってもいいかもしれません。
信越線・大雪で車内に430人閉じ込めたまま15時間立ち往生 その背景について考える Norichika Watanabe氏のブログより)

要するに、コストカットの弊害である、と。
と同時に、気概を持って仕事をする人材がいなくなった結果である、と。

組織の命令系統の上にいる人間が、資質、志ともに劣化し、現場感覚を失っていることも信じられないが、さらに気味が悪かったのは、それを「正しい」「素晴らしい」「文句を言っている人たちは現場を知らないのに無責任だ」などと言う人たちがいっぱいいたことだ。
乗務員一人がスコップを持って雪かきしている状況は「異常なこと」「おかしいこと」であって、決して誉められたことではない。その乗務員は犠牲者の一人であって、気の毒だが、彼の行動を「素晴らしい」と褒め称えるよりも、「おかしいじゃないか。上の人間は何をやっているんだ」と怒るのが当然だ。
異常な状況を「おかしいでしょ」と言わない人(特に若い世代)が増えているのではないか。
理不尽なことを我慢し、じっと耐えて待っているだけでは命を落とすことだってあるんだよといいたい。3.11のとき、学校の校庭で生徒たちに「待機」を命じた教員とその犠牲になった生徒たちのことを思い出した。

原発が爆発した映像を見た2011年3月12日夕方、僕は取るものも取りあえず、すぐに家を出て避難した。
あのときは原子炉そのものが爆発したのか、建物だけが吹き飛んだのかは分からなかった。一刻の猶予もなかった。
川内村からいつも買い物に行く小野町まで向かうとき、夜道で一台の車も見なかった。逃げ惑う人たちで道は大混雑しているのではないかと思っていたのに、一体これはどういうことなのかと唖然としたものだ。

その頃、村の中心部では隣の富岡町から避難してきた3000人あまりの人たちであふれていた。
村の人たちは炊き出しをして富岡の人たちを迎えた。その行為が美談としてテレビ番組にもなっていたが、一時的に受け入れておにぎりを振る舞うのはいいとして、それから何日もそこにいるということが信じられない。
ガソリンがなくて動けなくなったというのならまだ仕方がないが、動ける人たちはいっぱいいた。なぜもっと遠くまで行かなかったのか。親戚の家、ホテルなど、とりあえず行けるところがあった人たちはいたはずである。実際、すぐ隣の小野町ではガソリンスタンドもコンビニも開いていたのだ。
あのとき、避難命令を出そうとした村長を止めたのは東電社員や保安院職員だった。14日には3号機も爆発していた。キャパのない場所に老人や病人も含めてぎゅうぎゅう詰め込んでいていいはずがない。逃げられる人はどんどん逃げて、避難場所の人口密度を下げることが必要だった。
動きが鈍かったのは、みんなが動かないのでひとりだけ出ていくのははばかられる……みたいな空気が支配していたからだろう。この「空気」が致命的な結果につながることが多いということを知っておく必要がある。
非常時にパニックにならず、順番を守るという行動は当然だし、日本人の美徳だが、動かなければいけないときに動かない、外から指示があってみんなが動き出すまではひたすら耐えてじっとしている、という行動様式は少しも誉められたことではない。
日本人はそうなりやすいのだから、なおさら命令系統の上に立つ人たちには、合理的な判断力、決断力が求められる。
原発が爆発した後、高濃度の放射性物質で汚染された村に長期間村民をとどめていたケースなどは、言語道断だ。

今回の事件に自分が巻き込まれたらと思うとぞっとする。原発爆発のときとは違って、狭い車内に物理的に閉じ込められたら、個人の判断では動けないのだから。
すぐ外に家族がクルマで迎えに来ているのが分かっているのに出してもらえない……その状況で、車内の人からでさえ、怒りではなく美談が拡散されていくという空気感が怖ろしい。
エコノミー症候群などで死者が出たら大騒ぎになっただろうが、それこそ、死者が出るまでは大して問題にされないのだろうか。

不合理なことを不合理だと言わず、そういう状況の中で孤軍奮闘しなければいけない個人の行動を賛美するという図式は、戦争に突入していくときの空気感に似ているのではないだろうか。
B29が焼夷弾をじゃんじゃん落とす下で、庶民は「逃げるな。まず火を消せ」と教えられ、それに従った人たちは賛美され、死んでいった。
こんな風に書くと、それこそ「炎上」するのだろうが、今のような時代を生き抜くためには合理的な思考と決断が不可欠だということを言いたいのだ。

若者よ、死にたもうなかれ。


今年も木の鐸会の雛人形が展示・販売されます
日本橋髙島屋美術工芸サロン(6F):2018年1月10日(水)~1月16日(火)終了
横浜髙島屋美術画廊(7F):2018年1月24日(水)~2月6日(火)

↑写真:木の鐸会代表・鐸木郁子の作品(日本橋髙島屋出展)

医者には絶対書けない幸せな死に方
「医者には絶対書けない幸せな死に方」(講談社プラスα新書)
2018年1月19日発売  内容紹介は⇒こちら

以下のいずれからでもご購入いただけます

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