
2017/09/05
石の鯱

吉田さんが持って来てくれた写真でいちばん驚いたのはこれ。寅吉が彫った「石の鯱」だという。
写真を撮ったのは浅川町の藁谷六朗さん。非常によく撮れているのだが、持って来てもらった写真がとても小さかったので、スキャンして細部を確認しようとしたが、これが精一杯。
寅吉工房(石福貴)のあった福貴作集落の家にあるらしい。この写真はごく最近のもの。
屋根の上なので銘などは確認できていないという。ただ、おばあさんの話では「痩せ馬(背負子)を背負って取りに行ったら、『そんなもんで運べるわけがなかろうが!』と一蹴され、馬車を用意して運んだ」というエピソードが伝わっているのだとか……。
運ぶのも大変だったろうが、どうやって屋根まで持ち上げて、屋根に取り付けたのだろうか。
元々の屋根は板葺きだったらしいのだが、これだけの石の塊をのせたら、建物自体の耐久性にも影響があるだろう。
その後、瓦を葺いているようだが、よく見ると石鯱の取り付け部分は大きく隙間が空いている。
背後の山が崩れる心配もあるため、今は人は住んでいないらしいのだが、建物自体がいつまで建っているか分からないから、今のうちに、今後の保存をどうするか考えておかないといけない。
なにせ、こんなものは日本中どこを探しても、まずないだろうから。
「木や金属でできるものは石でもできる」という寅吉パワーの真骨頂ともいえる作品だ。

こんなものがあったとは! 屋根にどうやって取り付けたのか? 屋根は壊れなかったのか?

Googleのストリートビューで確認してみた。ああ、これね。近いうちに見に行きたいなあ
須賀川の和平狛犬建立時の写真

こちらは須賀川の和平の狛犬(昭和6(1931)年)の建立時の写真。奉納者である宗方家のお孫さんから提供されたもの

中央に写っているこれが和平だろう

これは弟子の遠藤秀一だろうか。「彫刻師」の文字が、当時の和平の自信とプライドを物語っている
神の鑿三代記は、まだまだ謎が多い。特に、高遠からやってきた利平の生涯は謎に包まれたままだ。
どうやら「できちゃった婚」であるらしいことが分かってきたが、高遠側にはまったくといっていいほど小松家の記録が残っていないようなのだ。利平が脱藩したことで、それまでの小松家の記録も消されたのだろうか。
いろいろ分かってくるにつれ、利平への興味はますますかき立てられる。
浪漫だなあ。
『日本狛犬図鑑05 小松利平・小松寅吉・小林和平』★
利平・寅吉・和平の狛犬作品のほぼすべてを収録。掲載写真点数約200点。
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